「コンテンツって究極、ビジネスモデルが作る」|『映画 えんとつ町のプペル』西野亮廣インタビュー
インタビュー後記
『映画 えんとつ町のプペル』を二度鑑賞し、ただその作品の素晴らしさや出来るまでの過程を伺ってみたい。そう思ってインタビューに入りましたが、結果的に映画に留まらず「えんとつ町のプペル」という大きなプロジェクトをより知り、未来へ期待せざるを得ないインタビューとなりました。何よりも映画ビジネスの当たり前のセオリーを、絵本を制作した時と同じように疑い、未来への仕掛けを既に考えている点に感嘆。西野亮廣はタダでは転ばない。いや、映画は興行収入10億円を既に突破し映画ビジネスとして転んでないわけだが、今までたくさん転んで、バッシングされ、その結果今の西野亮廣がいると思うと胸が熱くなった。
彼の挑戦はまだまだ道半ば。映画はゴールではないことをインタビューで痛感。
ここまでしてでも彼を笑う人はいるだろう。彼の行動を叩く人もいるだろう。今そうであっても、1年後、3年後、5年後とどこかで笑い叩く人たちは心の折り合いを付けることになる気がする。
未来の西野亮廣がただただ楽しみだ。しかし、同時にこう思う。この人のように行動し、突き進みたい。そんな嫉妬心すら植え付けられたインタビューであった。
テット・ワダ プロフィール
TET WADA|テット・ワダ1973年1月20日生まれ
東京都港区生まれ
18歳で単身渡米。ニューヨーク州立大学バルーク校において経営学士を取得後、アパレル会社に入社。マーケティング業務するもその後モデル転身を決意する。ニューヨークの「Q Models Management」に日本人として初めて所属。VOGUE、GQなどにおいて欧米のハイファッション誌のページを飾り、SONY、HP、MOTOROLAなど多くのグローバルブランドのキャンペーンキャラクターを務めた。
とりわけ、VOGUE FRANCEの紙面を飾ったカナダのスーパーモデル・ダリア・ウェーボウとのキスショットは、アジア人男性モデルが初めてVOGUE PARIS誌に登場したことも大きな話題になった。その後、俳優業をスタートさせ、ニューヨークインディペンデント映画でキャリアを積む。2008年には一時帰国し、TBSドラマ『ブラッディ・マンデー』にスナイパー役として出演。2012年より拠点をアジアに移し、日本や台湾をはじめアジア圏において俳優として活躍している。
(取材構成:ヤギシタシュウヘイ、インタビュアー:テット・ワダ)
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