『羊飼いと風船』レビュー:風船=コンドームが示唆するチベットの女たちの悲劇
増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」
どこの国にも独自の文化と、世界中どこも変わることのない普遍的な営みがあります。
そこに電気や車などの文明が入り込み、それぞれはせめぎあい、軋みあっていきます。
チベット映画界の名匠ペマ・ツェテン監督の『羊飼いと風船』は、そんな現代のチベットの草原地域に生きる人々の生活と苦悩、特に女たちが置かれた忸怩たる立場などを描いた人間ドラマの傑作です。
出産が制限されて久しい
チベット農牧民家族の確執
『羊飼いと風船』は、チベットの草原地帯・青海湖のほとりに住む、羊の牧畜民三世代家族を描いていきます。
一見素朴で穏やかな暮らしのようでいて、近代化の波は徐々にそこに住む人々の生活や価値観を変えていっているようです。
ある日、子どもたちが遊んでいるのを父親タルギュ(ジンバ)が咎めました。
彼らが持っていた風船、それはコンドームだったのです。
何も知らない子どもたちは、単に親のベッドの枕の下に“風船”が隠されていたとしか認識できていません。
この地で農牧業に従事する少数民族は、3人まで子供を持つことが許されていますが、タルギュとその妻ドルカル(ソナム・ワンモ)の間にはすでに3人の子どもがいるので、これ以上生んだら罰金を払わないといけません。
そのため夫婦生活にはコンドームが必須なのですが、これは基本的にお上からの配布物で、もらえる数は限られており、大事に使わないといけなかったのです。
避妊手術を望むドルカルは女医からコンドームをもらいますが、子どもたちはまたしてもそれを持ち出して、友達の笛と交換してしまいます。
寝室でコンドームがないことに気づくドルカルでしたが、欲望を抑えられないタルギュはそのまま……。
その頃祖父が死亡し、「高僧を招いてお経を唱えることで、家族の中に祖父が転生する」とのお告げがありました。
まもなくしてドルカルは妊娠していることが発覚します。
堕ろしたいと願う彼女に対し、タルギュも尼僧の妹シャンチュ(ヤンシクツォ)も、おなかの中の子が祖父の転生であることを疑わず、絶対に許そうとはしないのでした……。
牧羊、妊娠、輪廻転生……
伝統と文明が軋み合う現代チベット
本作はこうしたメイン・ストーリーと並行して、タルギュが種付けのための羊を借りて羊を増やし、子どもたちの学費にしようとするエピソードが描かれます。
また妹シャンチムは何やら悲恋を経て、尼僧の道を選んだことが示唆されています。
牧畜と宗教、このふたつの大きな文化は、しかしながら確実に入り込んでくる近代文明の波がもたらす新しい考えとの間に軋みを生じていきます。
羊の子をどんどん生ませて生活を成り立たせようという生活様式と、ドルカルの妊娠にまつわる周囲の想いは、どこかしら悲劇的にリンクしているようでもあります。
さらには「輪廻転生」という古来よりの仏教の思想まで絡み合っていくのですから、事態はさらに複雑です。
(今もチベットの人々の多くが輪廻を普通に信じていることには驚かされますが、それが良くも悪くものその国独自の文化思想形態というもので、他国の私たちが無下にあれこれ言えるものでもないでしょう)
美しくも詩的な大草原を背景にしながら、その中で生きる人々の素朴でちっぽけで、そして複雑怪奇な人間模様。
その中で、やはり忍耐を強いられているのは女であるという苦渋の事実を、この映画はさりげなくも確実に訴えています。
嫌な物言いをあえてしますと「この地域では、女と羊は同じ扱いなのか?」
純朴な子どもたちが無邪気に膨らませて遊ぶコンドームが示唆する、家族と女たちの関係性。
ただしこの映画は単に悪しき伝統思想を批判しようというものだけではなく、時代の流れの中で否応なく変わりゆく家族のありようを、時にユーモラスに、時にシビアに、そして温かくも厳しく見据えていく人間讃歌なのでした。
そこがまた「チベット映画の先駆者」と讃えられるペマ・マッケン監督の秀逸なキャメラアイの賜物でもあるのです。
(文:増當竜也)
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