NHKBSドラマ《新!少年探偵団》「怪人二十面相」演出:佐藤佐吉インタビュー
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NHKBSドラマ《新!少年探偵団》「怪人二十面相」演出:佐藤佐吉インタビュー
普通の映画ファンから
脚本家を目指して
――ではここからは佐藤監督の映画的キャリアを振り返っていただきたいと思います。
佐藤 僕は関西の出身で、学生時代から普通に映画ファンではありましたが、それでメシを食おうなんて微塵も思ってなくて、大学卒業後は教科書の出版社に就職してました。でも当時は1980年代ビデオ・ブームで、いろいろな作品をレンタルして見ていくうちに、映画に精通している人たちと話をしたいと思うようになっていったんです。
そんなとき、新聞で藤本義一さん主宰の心斎橋大学という脚本スクールの存在を知って、そこに入って脚本を書き始めたら藤本さんに褒めてもらえて、小さな賞までいただいたんですよ。それでもうこの道へ進みたいと思うようになって、何のあてもなく東京へ出てきたんです。
―― そこで当時のキネマ旬報社社長・黒井和男氏と出会うわけですね。
佐藤 ちょうどキネ旬が社員募集をしていたので応募して、最初は書類審査で落ちていたらしいのですが、受かった人がすぐに辞めちゃって、それで面接をやり直すことになり、最終的に僕が受かったのですが……、社員といっても編集部とかではなく映画部。と言ってもそこは実質的には解散した後で、つまりは黒井さんの運転手兼秘書の募集だった(苦笑)。
もう全然話が違うし、初日から逃げようかと思ったんですけど、それも癪というか、逆にこれだけとんでもない人にどこまで仕えることができるかやってみようという気にもなりまして、それで1990年代はずっと……。しばらくして黒井さんは西友映画事業部に移ることになり、そのまま誘っていただいてご一緒することになりました。
―― 90年代後半の札幌映像セミナーなど映像作家の発掘活動もされてました。
佐藤 黒井さんから「お前やれ」ということで(笑)。脚本を募集して、10人ほどを選抜して札幌で合宿させ、その中から良い作品ができたら映画化していこうという趣旨で始めました。実際に『〔Focus〕』(96)『月とキャベツ』(96)などが、ここから映画化することができましたね。
ただ、そうなってくると、もともと脚本家をめざして東京に来たという想いが蘇ってきて、それで周囲に内緒で自分も佐藤佐吉のペンネームで脚本を書いて応募したら、何とそれが受かってしまった(笑)。これが問題になったりしていく半面、犬童一心さんや三池崇史さんと親しくなるきっかけにもなりまして、そうこうしているうちにやはり脚本家の道を歩んでみたいということで、タイミング的にも映画事業部解散と重なって、離れることにしたんです。
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