ジャッキー・チェン、輝くアクションの魅力を振り返る
国際スターとしての
ハリウッドへの挑戦
ブルース・リー以降、なかなか国際スターを輩出できずにいた1970年代の香港映画界でしたが、70年代後半より国内での人気が出始めたジャッキー・チェンは1980年代に入って念願のハリウッド進出を目論み、『燃えよドラゴン』(73)のロバート・クローズ監督作品『バトル・クリーク・ブロー』(80)に主演し、ハル・ニーダム監督『キャノンボール』2部作(81・84)にも出演。しかし前者はアメリカ本国でこけ、後者は香港公開が奮わず、さらには1985年、ジェームズ・グリッケンハウス監督の『プロテクター』に主演しますが、こちらも彼の魅力を活かすには至らず終わりました。
しかし、1995年の香港映画『レッド・ブロンクス』が全米興行収入初登場第異1位を獲得したことで一気に風向きが変わり、再びハリウッドへの挑戦が成され、クリス・タッカーと共演した1998年の『ラッシュアワー』が評判となってシリーズ化されるとともに、ジャッキーのハリウッド・スターとしての道も切り開けていきます。
2010年のアメリカ&中国合作のリメイク版『ベスト・キッド』も世界的に大ヒットし、2016年にはアカデミー賞名誉賞を受賞するに至りました。
中国映画界の国際化に伴って海外スターとの共演も多くなり、2017年のマーティン・キャンベル監督『ザ・フォーリナー/復讐者』ではピアース・ブロスナンと共演。
ここでジャッキーは、娘を殺されて文字通り復讐の鬼と化す主人公を熱演し、コミカル色を廃したスタイリッシュなサスペンス・アクションとして異彩を放っています。
悠久の中国大陸
その歴史への憧憬
1997年に香港が中国に返還されて以降、ジャッキー・チェンは徐々に中国映画界とも歩調を合わせるようになっていきます。特に中国悠久の歴史を背景にした史劇系アクションものが俄然増えていきます。
また1911年の辛亥革命を描いた本格歴史映画『1911』(11)は、従来のジャッキー・ファンを大いに驚かせたものでした。
そして現在、中国政府を支援する発言が目立つようになって久しい彼ですが、2003年のドキュメンタリー映画『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』は、その理由を鑑みる上での大きなテキストにもなり得ているように思われます。
これはメイベル・チャン監督がジャッキーから頼まれて彼の家族の系譜を調べ上げ、記録したものですが、日中戦争や国共内戦に翻弄されながらも必死に生き抜きながら香港へ逃れていった両親のエピソードの中には、ジャッキー自身が知らなかったものも含まれていて、そうした衝撃的な内容の数々ゆえに、香港や中国では未だに劇場公開されてない(アジア圏では日本のみ公開)、ある意味幻の作品でもあります。
しかし、この作品の中から醸し出される両親への想いが、ひいては壮大なる中国とその歴史そのものへの憧憬へと結びつき、今のスタンスへと繋がっていったのではないかと、今は勝手に想像している次第です。
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