© 野坂昭如/新潮社, 1988

『火垂るの墓』で泣けなかった夏の思い出:背後に感じた家族の圧力



「夏の終わりに観たい映画といえば?」

そう聞かれ、パッと浮かんだのが『火垂るの墓』だった。言わずと知れた、1988年公開スタジオジブリの名作。私が初めて観たのは小学校低学年の頃だった(1990年代中頃)。夏休みになったらテレビで『火垂るの墓』が放送されるのが、当時の定番だったと記憶している。

私は『火垂るの墓』で泣けなかった。

最初に観た瞬間から泣けなかったので、それ以来、何度この映画を観ても泣けない。清太と節子が懸命に生き抜こうとする姿、戦時中の日本の様子に、子供ながらに衝撃を受けたはずだ。それなのに泣けない。この映画を観て心を動かしてはならないと、半ば強迫観念に囚われている感覚すらある。

少々、この理由について考えてみたい。

『火垂るの墓』で泣けない理由1: 家族の圧力があった

初めてこの作品をテレビで観たとき、私の背後には母や父がいた。

一緒に『火垂るの墓』を観ながら、たくさんのことを教えてもらった気がする。元来、映画やドラマが好きな母は知識も豊富で、「この当時の日本はこうだった」「このおばさんも、ただ意地悪なだけではない」と横からそっと教えてくれた。

まるでリアル副音声のように細やかな解説。当時の私はありがたく思っていたのか、それとも「映画くらい黙って最後まで観させてくれ」と鬱陶しく感じていたのか、それは覚えていない。ただ単純に、この映画は真面目に観なければならないのだ、とある種のプレッシャーを感じていたのだけは覚えている。途中で飽きたりしても、お手洗いに立ったりしてもいけない。

最後までしっかり観て、何かを「感じなければならないのだ」と。

背後に感じた家族の圧力。まるで自分の思考力や感性を試されているような気さえしていた。プレッシャーに感じるあまり内容はまともに入って来ず、涙のひとつもこぼさない私。母は一言「泣かないんだね」と言った。

それ以来、私は誰かと映画やドラマを観るのが苦手だ。これぞという映画は必ず一人で映画館まで赴くし、ドラマも可能な限り一人で観るのが理想である。同じものを観たら同じ感想を抱かねばならないのだ、という強迫観念があるのかもしれない。

『火垂るの墓』で泣けない理由2: 悲しさよりも「怖さ」が先立った

『火垂るの墓』は、清太と節子、小さな兄妹が手を取り合って何とか生き延びようとする物語だ。満足に食べられず、何かあれば防空壕に逃げ込まなければならない生活。親戚を頼って疎開するも、折りが合わずに肩身の狭い思いをするふたり。

そんな様子を見て「かわいそうに」「悲しいな」と思うよりも先に、私には「怖さ」が先にやってきた。ただただ恐怖を感じたのだ。『火垂るの墓』は私にとって、どちらかというとホラー映画に分類される。

もはやトラウマレベルなので、当時の記憶を遡って書くしかないのだけれど、まず思い出されるのは清太・節子の母が包帯で全身ぐるぐる巻きにされ寝かされていたシーン。火に焼かれ全身火傷を負った後に亡くなってしまった。その様がなんともリアルで、まさに夢に見るほどだった。

その後、怖いもの見たさというやつで、やめておけばいいのに「火垂るの墓 都市伝説」などで検索してしまった(1990年代半ば〜2000年代にかけて、インターネット黎明期だった……)。

「節子の死因は栄養失調ではなく、目になんらかの有害物質が入り込み、病にかかってしまったから」だの「清太と節子が笑っているポスターに映っているのは、火垂るの光ではなく空爆の光」だの、見なくても良い情報を次々と摂取し、自己嫌悪に陥った。心の底では欲しくないと思っている情報が得られてしまうのは、インターネットの欠点である。

そんなこんなで、私にとっては『火垂るの墓』は完璧なるホラー映画。『チャイルド・プレイ』レベルにトラウマ物の映画となってしまった。

「夏の終わりに観たい映画」に思いを馳せていたら、こんな文章が仕上がった。甘酸っぱい恋の思い出でも、家族との心温まる思い出でもなく、こんなことばかりが思い出される私の夏よ。来年こそは映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を思い出すような夏にしたいものだ。

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