俳優・映画人コラム

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2021年10月20日

91歳の反逆児。孤高の騎士クリント・イーストウッドの正体とは?

91歳の反逆児。孤高の騎士クリント・イーストウッドの正体とは?


西部劇を蘇らせ、西部劇を埋葬した男


(C)Per un Pugno di Dollari

転機となったのは、テレビシリーズ『ローハイド』(1959年〜1965年)への出演だった。この作品は、南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、何千頭もの牛を市場まで運ぶカウボーイたちの道中を描いた、一話完結型のドラマ。イーストウッドは、隊長を補佐する副隊長ロディ・イェーツを演じ、一気にブレイクを果たす。

そんな彼に、ヨーロッパから映画出演のオファーが届く。当時西部劇はアメリカでは斜陽を迎えていたが、イタリアでは“マカロニ・ウェスタン”と呼ばれるイタリア製西部劇がたくさん作られるようになっていた。新進気鋭の映画監督だったセルジオ・レオーネは、黒澤明の傑作時代劇『用心棒』(1961年)を西部劇に翻案した『荒野の用心棒』(1964年)を準備中で、その主演としてイーストウッドに白羽の矢を立てたのである。

裏話をすると、セルジオ・レオーネにとってイーストウッドは望んだ俳優ではなかった。『十二人の怒れる男』(1957年)で知られる名優ヘンリー・フォンダや、『荒野の七人』(1960年)のジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソンにオファーを出したのだが、ことごとく「NO」を突きつけられる。

困ったレオーネは、『ローハイド』の隊長役エリック・フレミングに話を振るが、彼にも断られてしまう始末。しかしエリック・フレミングは、共演していたイーストウッドに『荒野の用心棒』への出演を勧めていた。いくつもの運命の扉をくぐり抜けて、彼にお鉢が回ってきたのである。

イーストウッドは、『ローハイド』で使っていたブーツとガンベルトをそのまま着用し、“名無しの男”を熱演。セルジオ・レオーネと意見をぶつけ合いながら、ニヒルで寡黙なキャラクターを創造していった。

「『ローハイド』はストーリーがすごく陳腐だったから、その後でセルジオの映画に出るのは楽しかったね」
(『孤高の騎士クリント・イーストウッド』より抜粋)

その後もイーストウッドはレオーネと組んで、『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン』(1966年)と立て続けに主演。『荒野の用心棒』に始まるこの3作品は「ドル箱三部作」と呼ばれ、マカロニ・ウェスタンの金字塔となった。クリント・イーストウッドは、西部劇のスターとしてその地位を確立したのである。

だが前述した通り、アメリカではすでに西部劇は死に絶えたジャンルだった。彼は幽霊化したジャンルを、イタリアという異邦の地で一時的に蘇らせたにすぎない。彼は遅れてきた西部劇スターだったのである。

その後彼は数々の西部劇を次々と創り上げていくが、まるでその行為は、自ら蘇らせたこのジャンルを、自らの手で埋葬するかのようだった。特にアカデミー作品賞を獲得した『許されざる者』(1992年)は、その匂いが濃厚に漂っている。

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