ミムジー・ファーマー:『MORE/モア』『渚の果てにこの愛を』“海と太陽に愛された死の天使”の魅力
ミムジー・ファーマー:『MORE/モア』『渚の果てにこの愛を』“海と太陽に愛された死の天使”の魅力
激しい賛否を巻き起こした
問題作『MORE/モア』
ドイツからヒッチハイクでパリへやってきた青年(クラウス・グリュンバーグ)が、そこでアメリカのヒッピー女性(ミムジー・ファーマー)と知り合い、地中海イビサ島へ赴いてドラッグとセックスに明け暮れ、やがて破滅の道をたどっていくという『MORE/モア』は全世界にカウンター・カルチュアが吹き荒れた1960年代後半を象徴するかのような問題作として、公開当時は激しい賛否を巻き起こしました。
しかし完成から半世紀経った今の目線で見据えると、たとえばアメリカン・ニューシネマなどにも顕著なドラッグ感覚の映像センスは意外と薄く、むしろネストール・アルメンドロスならではのまばゆい日差しの映像美の中で愛欲に溺れていくカップルの姿が、フォトジェニックに美しく映されていきます。
当時はスキャンダラスだったであろうフリーセックス描写なども今ではさほどのものではなく、後々『運命の逆転』(90)などかっちりしたドラマを幻惑的に演出する術に長けたバーベット・シュローダー監督のセンスは、このデビュー作からも大いに窺うことが出来ます。
また本作はピンクフロイドが音楽を担当し、そのサントラ・アルバムは今なお人気を誇っていますが、映画音楽としての効果は実に秀逸ではあれ、思っていたほど多くは劇中で流れません(そのため、過剰な期待を以って本作に臨んで肩透かしを食らったという音楽ファンの声も割とよく聞きます)。
では、今の目線で見据えた『MORE/モア』の最大の魅力は何か?と問われたら、間違いなくミムジー・ファーマーその人に尽きる!と答えざるを得ないでしょう。
もともと純朴な青年を誘惑するでもなく、いつのまにか一緒に暮らし、何気なくドラッグを勧めて破滅させてゆくヒロインに悪意などは一切なく、その意味でも彼女はファムファタルでもヴァンプでもなく、まさに「死の天使」に他なりません。
(その意味でも今回「海と太陽に愛された死の天使」という彼女のキャッチフレーズを考えついた人、すごい!)
ヌードもセックス・シーンも割とあるほうですが、その脱ぎっぷりなども実にあっけらかんとしていて、まったく扇情的ではないのです。
全体的にシンプルな印象をもたらす立ち姿や、小顔の中の凛とした表情なども、ドラッグに溺れてゆきながらもどこか無垢な佇まいの奥に秘められた理性的なものを感じさせられます。
実にインモラルなテーマを扱いつつ、めくるめく海と太陽の映像美と、その中で輝く「死の天使」ミムジー・ファーマーの姿こそは、本作を単なる反体制的ドラッグ映画とは一線を画した“映画”ならではの情感を大いに醸し出してくれているのでした。
インモラルなミステリ映画
『渚の果てにこの愛を』
『MORE/モア』のスキャンダラスな話題も含めた成功によって、ミムジー・ファーマーはそのショートカットのイメージも湛えた形でのミステリ映画『渚の果てにこの愛を』(70)に出演します。旅の若者(ロバート・ウォーカー)がふと立ち寄ったドライブインを経営する母(リタ・ヘイワース)から「息子」と、娘(ミムジー・ファーマー)からは「兄」と誤解されてしまうことから始まる、歪み切っていて謎めいてもいる関係性を描いたミステリアスなラブ・サスペンス映画。
監督はフランス映画界で職人的才腕を奮い続け、『女王陛下のダイナマイト』(66)『チェイサー』(77)『警部』(79)など傑作も多いジョルジュ・ロートネル。
ここでユニークなのが、母を演じるのが『ギルダ』(46)や『上海から来た女』(47)など戦中戦後のハリウッドを代表するセックス・シンボルともファム・ファタールとも謳われた名優リタ・ヘイワースであること。
そう、この作品は「ファム・ファタール」の母と「死の天使」の妹に見初められてしまった男の受難劇でもあるのでした!
ここでもミムジー・ファーマーは大胆に「兄」を挑発し、濃密なラブシーンなどもあっけらかんと披露しつつ、禁断の世界を清楚ながらもミステリアスな衣で包み隠していく熱演で、イタリアのダヴィッド・ディ・ドナテッロ特別賞を受賞しています。
なお、クエンテイン・タランティーノ監督が『キル・ビルVOL2』(04)の劇中で本作のサントラを引用したことから、本作は再評価の気運が高まっていったことでも知られています。
無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。
無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。