<徹底解説>「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも」2021年11月5日より開催中!
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ヴィム・ヴェンダースの
映画的キャリア
ヴィム・ヴェンダースは1945年8月14日、ドイツのデュッセルドルフに生まれました。66年に画家を目指してパリへ赴き、この時期に1日5本以上の映画を見る日々を過ごしていたとのこと。
67年にドイツに帰国してミュンヘンテレビ・映画大学に入学し、映画批評活動を始めるとともに短編映画の制作に取り組むようになります。
1970年、モノクロの16ミリ・フィルムを用いて初の長編映画『都市の夏』を監督し、72年『ゴールキーパーの不安』で第32回ヴェネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞を受賞。
ここから徐々にヴィム・ヴェンダースの名前が知れわたるようになっていきますが、そんな彼が続けて手掛けたのが『都会のアリス』(74)『まわり道』(75)『さすらい』(76/カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞など受賞)と、後に“ロード・ムービー三部作”とも称される作品群で、このあたりから彼はニュー・ジャーマン・シネマの旗手として一気に注目を集めていきます。
この後はタッチを変えてパトリシア・ハイスミス原作のサスペンス映画『アメリカの友人』(77)をデニス・ホッパー&ブルーノ・ガンツ主演で撮り、死期の迫った名匠ニコラス・レイ監督の姿を捉えた『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(80)などを発表。
この時期、日本ではまだまだ海外のインディペンデント映画が容易に見られる時代ではありませんでしたが、1977年に『まわり道』『さすらい』『アメリカの友人』を含むニュー・ジャーマン・シネマ作品群が上映されたことで、ようやくヴェンダースの存在も映画マニアの間に浸透していくことになりました。
そして1980年代に入ってミニシアター・ブームが到来し、またビデオ・ソフトの普及なども功を奏して、彼の作品群が比較的容易に見られるようになっていくのです。
(『都会のアリス』も1988年にようやく劇場公開されました)。
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