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<解説>『スティルウォーター』が構想10年を費やした理由


3:「実話」「地中海暗黒小説」「フランス人の作家の協力」で完成した脚本

この『スティルウォーター』は発想から完成に到るまで約10年を費やしている。その経緯を顧みれば、とても難産な作品であったことがわかるはずだ。

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脚本家兼監督のトム・マッカーシーは、イタリアに留学していたアメリカ人学生がルームメイトを殺害したとして逮捕され、一貫して無実を訴えたものの有罪判決を受け、長期の刑期を言い渡された2007年の実際の事件について強い感心を持った。

さらにトム・マッカーシーは、ちょうどその頃に「地中海暗黒小説」と呼ばれる文学ジャンルにも傾倒しており、ヨーロッパの港町を舞台にしたスリラーを作ることも考えていた。トム・マッカーシーによると地中海暗黒小説の魅力は「事件を取り巻く人物の人生を描写しており、犯罪小説というジャンルを超えている」ことであり、それとセンセーショナルな人間の悲劇が表れた実際の事件と組み合わせた、フィクションの映画を作り上げようとした、というわけだ。

そこでトム・マッカーシーは脚本家のマーカス・ヒンチーと組んでマルセイユを舞台にしたオリジナルの脚本を執筆し始めたものの、出来上がった脚本に満足できず、一旦プロジェクトから離れて『スポットライト 世紀のスクープ』や他作品を手掛けるようになった。

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そして7年後にトム・マッカーシーはあらためて脚本を読み返し、見直しが必要だと考えた際に、フランスの文化、習慣、そして哀愁を熟知したフランス人作家と組むことを閃く。そこで、ジャック・オーディアール監督作『預言者』(09)『君と歩く世界』(12)『ディーパンの闘い』(15)などのトーマス・ビデガン(2022年1月14日同日公開のアニメ映画『シチリアを征服したクマ王国の物語』でも共同脚本を担当!)、同じく『ディーパンの闘い』を執筆したノエ・ドゥブレに協力を依頼。彼らとのミーティングや1週間の缶詰め作業などを含めた執筆作業は、およそ1年半にも及んだという。

超実力派の脚本家が揃ったことで、たゆまないブラッシュアップがされたことは間違いない。劇中の主な舞台となるマルセイユで、現地の人間がフランス語を話し、主人公が言葉の壁や文化の違いにぶつかる様も物語で大きな意味を持っている

さらに劇中では差別主義者への憤りや犯罪が多発する危険な場所への言及があり、そのリアリズムも現地に詳しい脚本家が集ったために培われたものだろう。実際に観れば、わずかなセリフや設定にも奥深さを感じることができ、「脚本の完成度が半端なものではない」ことが如実にわかるはずだ。

4:アメリカの「時代の変化」がもたらしたもの

本作の脚本に大きな影響を及ぼしたことがもう1つある。それは、7年間の空白の期間を経て、時代が変化したことだ。何しろ、初めに脚本が書かれた時のアメリカはオバマ政権だったが、再度読み直したときはトランプ大統領が政権についたばかりだったのだから。

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トム・マッカーシーは、当時に感じていたことをこう振り返る。「トランプ政権が大手を振って、大半のアメリカ人にとっても、また世界中の多くの友好国にとっても、アメリカは方向性を見失ったように見えた。これまで、正義、平等、自由を掲げてきたアメリカが分断していくのを世界中が目撃した。アメリカの道徳的権威は失墜していたのにも関わらず、多くのアメリカ人が“アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)”“ミー・ファースト(自己中心主義)”を強く信じていた」

さらに、「これは、農村などの地方や僻地が何十年にもわたり衰退し、彼らの助けを求める声を政府やビジネスエリートが聞き入れてこなかったことへの反発のように感じた」とも語っている。トランプ現象の裏にアメリカの右派の人々の嘆きがあったことを理解した監督は、それにより「主人公ビルの人物像も深く理解することができた」と語っており、それは同時に今までの脚本に欠けていた幅と視点でもあったのだそうだ。

実際の本編の舞台のほとんどはこれまで書いてきたようにフランス・マルセイユであり、表面上はアメリカを描いていない映画にも思える。だが、主人公の現状は貧困にあえぐアメリカ人市民の代表にも思えるし、そのアメリカ人の主人公に協力するシングルマザーの言動は、アメリカに友好的な(であった)国の風刺にも見えるのだ。

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さらにタイトルに冠されている「Stillwater」はアメリカ・オクラホマ州の実際の都市の名前であると同時に、「溜まり水(Still Water)」というダブルミーニングとも言えるし、それもまた複雑な余韻を残す物語に重要な知見を投げかけている。

結果として、およそ10年間にわたる歳月をかけて完成へとこぎつけた『スティルウォーター』は父が自身の娘を救おうと奔走する単純明快なサスペンス、無骨な男のシングルマザーとその娘との交流のドラマとして存分に楽しめるだけでなく、アメリカの時代の変遷の揶揄も確実に込められている内容となった。ラストの「あの言葉」を鑑みても、それは明白だろう。

おまけ:まさかの「日米構想10年対決」!?

最後に余談だが、本作『スティルウォーター』の公開日である2022年1月14日と同日、同じく「構想10年」が打ち出されていた日本映画が公開されている。『カメラを止めるな!』(17)の上田慎一郎監督・脚本最新作『ポプラン』だ。



『ポプラン』のあらすじは「イチモツがなぜか突然どこかへいってしまったため捜す」という、それだけ聞くと「大丈夫かそれ?」と思ってしまいそうなもの。だが、そんなキテレツさから始まった物語は、独善的だった男が人生を振り返るロードムービーへと展開していき、上田慎一郎というその人の人生観や価値観が表れたドラマとしても面白く仕上がっていたのだ。

何よりの魅力は、主演の皆川暢二が全身全霊で頑張る姿だろう。『メランコリック』(18)では根暗青年に扮していた彼が、この『ポプラン」ではマンガ配信で成功したイケメン敏腕社長となっており、とても同じ人だとは思えない。『ポプラン』劇中ではカッコ悪いはずの姿でさえもカッコよく、本作を観れば誰もが皆川暢二のファンになるのではないだろうか。「イチモツがなくなる」というイロモノのようなアイデアも、「有害な男らしさ」の批判と考えると奥深いものがある。

もちろん、構想が長ければ必ず面白くなるというわけではない。だが、作品外での「作り手の(昔年の)思いや価値観」が伝わるというのも創作物の面白さの1つであるし、『スティルウォーター』と『ポプラン』は間違いなく長い時代の変遷があってこその物語が紡がれた作品だった。両者は独善的な男が主人公であり、大切な人との出会いや再会によって、成長する様が描かれていることも共通している。ぜひ、ジャンルや作風は全く異なるものの、「構想10年」の重みと、だからこその魅力のある映画を期待して、劇場へと足を運んでほしい。

(文:ヒナタカ)

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