Netflix韓国ドラマ「その年、私たちは」で深く突き刺さった7つのセリフ
「友達にはなりたくない」
(10話:ウンからの「友達になろう」という提案を、一旦は受け入れたヨンスの本音)別れた恋人と友達になれるか?という問題は、世界共通らしい。
友達になりたいという言葉は、本当にそうなりたいわけじゃなくて、友達という名目で相手のそばにいたいという思いからきている。
筆者のバイブル的少女漫画「天使なんかじゃない」の主人公・冴島翠も、一度別れた恋人の晃に「友達やろうね」と、言っていた。
その後の関係を「少し淋しくて、その分優しくなれる、プラマイゼロのちょうどいい関係」としつつも、結局は「晃を失わずにすむギリギリの手段だった」と気づくのである。
つまり、本当の意味で友達になどなれないのだ。
どちらかに未練がある限りは。
「僕だけを愛してくれる君に、会いたかった」
(11話:再会してからつかず離れずだった2人の距離を一気に縮めたウンの告白)好きな人に会いたいと願う気持ちの中には、自分と同じ気持ちでいてほしいという願望が含まれているのかもしれない。
だって、その人にとって自分の存在があまりにも軽く感じられてしまったら、悲しくて、腹立たしくて、「会いたくなかった」と思うに決まってる。
好きな人に好かれるって、一体どれほどの奇跡なんだろうと、つくづく実感してしまう。
「今までずっと会いたいと思ってた。君が戻ってきたとき、目の前にいる君になぜか腹が立って、憎かった。……僕は君に愛されたいんだ。僕だけを愛してくれる君に、会いたかった。」
個人的に、これは数ある韓国ドラマの告白シーンの中でもかなりグッとくるセリフだった。
11話はエピローグも絶対に見逃せない。
1話からすべてのエピローグが物語に深みを出す重要な役割を担っているのだが、こと11話に関しては......いや、ここでは何も言えない......。
「片思いに終わりがあるなら、今であってほしい」
(12話:今度こそヨンスへの気持ちを諦めたいジウンの、痛切な思い)ヨンスとウン、2人の10年後のドキュメンタリーを撮影することになったのは、テレビ局のプロデューサーとして働いているキム・ジウン(キム・ソンチョル)だ。10年前の番組を撮影していたのは、今の上司である。
ジウンはウンと小学生からの親友であり、最初の撮影時に2人と同じ学校に通っていた。そして、出会ったころからずっと密かにヨンスへ思いを寄せている。
韓国の間宮祥太朗とでも言うべきか、このキム・ソンチョル演じるジウンの“2番手”っぷりは素晴らしい。
幼いころの母親との関係で、「自分が不必要なかけら」なのだと思い込んでしまったジウンは、感情を抑え込み、自ら求めることをやめた。
ヨンスへの片思いも、「苦しみながら好きでいることに慣れて、すごくつらくても、まるで平気な気分になれる」のだという。
決して気持ちがバレるようなことはしない。自分から思いを口にすることもない。
実行し続けるのはとても簡単じゃないその徹底した姿勢を保っていられるのは、唯一の友達を失いたくないから。
幼いころから時間、日常、家族までもを分け合って過ごしてきたウンとでさえ、ヨンスに対する気持ちだけは共有できるものじゃないから。
「片思いをしてみたら、自分が特別な人間になった気分だった」
(12話:ウンに惹かれていたNJ(ノ・ジョンウィ)が初めての片思いをジウンに語るシーン)会うと気分が晴れる相手がいるという幸せ。誰かを好きになると、幸せのハードルが低くなって、なんてことない日常を愛おしく感じたり、ちょっとしたことで嬉しくなって、ついつい顔が笑っていたりする。
そういうキラキラした瞬間があるのもまた、片思いのもつ魅力だ。
片思いはつらく、苦しいというイメージが強いが、本当にそうなのだろうか。
いつまでも叶わぬ思いを抱え続けるのは確かにつらい。だけど、幸せな気分になれたことを喜び、時機を見て自ら気持ちに折り合いをつけることができるのも片思いまでだ。
相手が気づいてさえいなければ、それこそずっと友達でいることも可能だろう。
ただし、この考えが行きつく先は「ひとりが楽」しかない。
決して「우리(ウリ:”私たち”という意味)」にはなれない。
このシーンでNJが繰り広げる激しい感情の浮き沈みは、片思いのもたらす両極端な性質を完璧に代弁してくれるものだった。
他にも、NJがウンへの気持ちに悶えてジタバタしている様子は「あぁ~、わかる......わかりすぎる......!」と、こっちまでジタバタしてしまうほどの可笑しさで、全然憎めない。
どうしたって「2人の邪魔をする悪役」にはならないのがNJの最大の魅力だろう。
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