Netflix韓国ドラマ「その年、私たちは」で深く突き刺さった7つのセリフ
「その年、私たちは」は単なる「学生時代の元恋人と5年ぶりに再会してヨリを戻す話」ではない
咄嗟に目をそらす・わざと睨みつけるように見つめる・思わず目で追ってしまう・そっと見つめた横顔が、寂し気に視線を送る先......。
目は口程に物を言うとは良く言ったもので、それぞれの思いを乗せた視線の描き方が素晴らしいのも、見どころのひとつだ。
視線を向けた先の横顔が、誰を見つめているのか気づいた瞬間の動揺。
自分を見ていないことを、思い知らされた瞬間の惨めな気持ち。
少なからず経験のある心の揺らぎに、深く感情移入してしまう。
また、周りで見守っている家族や友人が向ける視線にも涙腺が弛む。
心配だよ、信じているよ、安心して大丈夫……。そんな声が聞こえてくるような眼差しに、涙が込み上げてくるのである。
さて、ここまで「その年、私たちは」がどれだけの切なさ要素を含んでいるのかをつらつらと述べてきたが、ドラマそのものは実に軽やかに進んでいく。
映像は明るく美しいし、音楽も心地よく耳に残るものばかり。
特に8話の雨のシーン。突然の天気雨でキラキラと輝く雨粒が2人に降り注いで、まるで魔法がかかっているみたいだった。
共感性の高いセリフと映像美に彩りを加える音楽の数々。
流れる涙のデトックス効果も相まって、観ているだけで癒されている自分に気づくはず。
みんな、孤独を感じて生きている。
自分だけが仲間に入れていないような気分になることもあるし、ひとりだけ置き去りにされている感覚を味わう日もある。
誰にも知られぬまま傷ついて、そっと泣く夜もあるだろう。
あるいは、自分にはこれといった目標も欲もなく、ただ淡々と日々を繰り返しているだけのつまらない人生だと嘆いているかもしれない。
誰もが抱えるその寂しさを、しっかりと受け止めて生きてきたのがこの話の主人公たちである。
むやみに誰かに自分の不幸を吐き出したりせず、周りのせいにすることもなく、ただじっとひとりで耐えて生きてきた。
そうやって傷ついたままの心でも誰かを思いやることができるし、誰かの傷を癒すことができるのだ。
一見ありきたりな恋愛模様の裏でしっかりと描かれているそれぞれの孤独こそ、胸に迫る切なさの最大の理由だろう。
そして、「今の生き方を続けたい」と願ったヨンスのように、自分の足で、自分を主軸にして、周りにあるはずの幸せを見逃さずに生きていけたら。
そんな希望を残してくれたハッピーなエンディングに、心の底から感謝したい。
(文・加部)
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