映画コラム
『トイ・ストーリー4』が賛否両論である「3つ」の理由と、それでも肯定したい理由
『トイ・ストーリー4』が賛否両論である「3つ」の理由と、それでも肯定したい理由
『トイ・ストーリー4』じゃなかったら良かったのかもしれない
ジョシュ・クーリー監督は「なぜ『トイ・ストーリー3』の続きを作るのか?」とよく聞かれていて、その疑問に対して「ウッディとアンディの物語は終わった。だが、ウッディ自身の物語は終わってはいない」と返していたこともあったそうだ。確かに、これまではアンディという持ち主がいてこそのウッディの物語であったが、今回はウッディというおもちゃの生き方、その自由意志に焦点を絞った内容であり、『トイ・ストーリー3』以前とは物語の本質が異なっているのだ。だからこそ「『トイ・ストーリー4』とナンバリングするのではなく、『ウッディ』みたいな主人公の名前を冠するタイトルだったら良かったのに」という意見もよく見かけるし、筆者もそれには同感だ。これまでが3部作として綺麗に物語として円環構造を成す形で終わった内容だったのに、そこから逸脱した作品にナンバリングする自体が野暮とも言えるだろう。
例えば、主人公の名前をタイトルに冠した2017年の映画『LOGAN/ローガン』は、映画の『X-MEN』シリーズがこれまで描いてきた内容からすれば悲劇的な物語ではあるものの、絶対的な「正史」というよりも、ある種の「IF」として観られるような印象もあった。タイトルが『ウッディ』で、作り手があくまで「たくさんある可能性の1つ」として本作の物語が提示されていたら、ここまで多くの反発を生むことはなかったのかもしれない。
おもちゃを大切にしない子どもだったから
総じて、この『トイ・ストーリー4』を肯定したい理由は、筆者個人がおもちゃを大切にしない子どもだったからのなのかもしれない。よくおもちゃを壊していたし、なくしていたし、そのために親には怒られていたし、今ではどんなおもちゃだったかもよく覚えていない。これまでの『トイ・ストーリー』では、おもちゃを大切にする理想的な持ち主であるアンディの姿が描かれていたが、そうではなかった筆者は、どうしても過剰に罪悪感を覚えてしまったのだ。だが、今回の『トイ・ストーリー4』では前述したように、「君がいなくても、どこかで元気にやっているかも知れないよ」なおもちゃたちの姿を示してくれるのだ。そのどうしようもない罪悪感を少しだけ軽くしてくれる作り手の優しさが伝わってきたため、それだけでも筆者にとって本作は大切な作品になったのだ。
そして、大切な誰かと一緒にいれる/なることはもちろん幸せであるが、それ以外のことでも、または他の誰かと、幸せになる道はどこかにあるかも知れない、と示してくれる物語は、おもちゃに対してだけに限らない、全ての「理想のままではいられなかった」経験がある方への福音にもなると思う。やはり、その「無限の可能性」を示してくれた本作を、筆者は好きにならざるを得ないのだ。
>>>ディズニープラスで『トイストーリー4』を観る
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(文:ヒナタカ)
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