(C)Makoto Shinkai / CoMix Wave Films
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2022年10月01日

『秒速5センチメートル』タイトルの意味、そして新海誠監督が「距離」を描く理由を解説

『秒速5センチメートル』タイトルの意味、そして新海誠監督が「距離」を描く理由を解説


2:残酷なまでに示される「心の距離」

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新海誠監督は多くの作品で「精神的な心の距離」を「物理的」または「時間的」に示してきた
。今回の『秒速5センチメートル』で、それを示す最も象徴的なモチーフは「列車(電車)」だろう。

第1話「桜花抄」では、13歳の主人公の貴樹が、想い人の明里に会うために列車に乗り込むものの、大雪によりその列車は何時間も停車してしまう。列車は通常であれば決まり決まった時間に、決まった場所まで乗客を送り届けてくれるのだが、大雪という自然現象は「出会うまでに進むスピード」を「ゼロ」にしてしまう、というわけだ。降っている雪自体は舞い落ちる桜にも似ていて、それこそ桜の花を「まるで雪みたい」と見立てていたことも、その残酷さを際立たせているようだった。

第2話「コスモナウト」では、 進路に悩み、趣味のサーフィンも思わしくない女子高生の花苗は、カブ(オートバイ)で通学していて、それは想い人の貴樹も同様。その乗り物があるからこそ、一緒に貴樹と帰ることもできたりもした。しかし、歩いて一緒に帰ったとしても、花苗は貴樹に告白ができなかった。そして、目の前で花苗と貴樹は「遠い遠い場所まで目的を持って飛んでいく」ロケットを見る。物理的な長い距離を一瞬で進んでいくロケットは、カブに乗っても歩いて帰っても結局は告白できず、貴樹との心の距離を近づけていけない、花苗の心情を相対的に際立たせているようでもあった。

第3話「秒速5センチメートル」で、社会人となり仕事に忙殺されている貴樹は、当時に3年間付き合っていた恋人の理紗から、ガラケーのメールで「1000回メールしても、心は1センチくらいしか近づけなかった」と言われてしまう。そして、映画冒頭と相対するように、貴樹と明里は「線路」ですれ違うのだが、声をかけることなく、そのまま2人はお互いに去ってしまうのだ。

3:ラストはバッドエンドなのか?

このラストを、いわゆるバッドエンドだと思う方も多い。だが、その時に貴樹は柔らかな笑顔を浮かべている。貴樹は明里はもちろん、花苗との思い出も胸に、前向きになれた、たとえ想い人の明里と一緒になれなくても、それが生きる「糧」になったとみることもできるはずだ。

また、その直前には、山崎まさよしの「One more time,One more chance」に乗せて、今までの記憶も蘇っていた。「いつでも探しているよ、どっかに君を姿を」といった歌詞は、貴樹の明里への想いを吹っ切れなかった貴樹の想いそのものかもしれない。



だが、その歌詞が歌い終わったアウトロで、貴樹が笑顔になっていたということは、やはりそれらの記憶を持ちながらも、これからの自分の人生を生きることができるという希望だろう。

そして、その踏切には桜の花が舞い落ちていた。彼はここで「桜の花が舞い落ちるスピードは秒速5センチメートル」というあの頃の明里の言葉を思い出し、その曖昧でもある情報を「きっとそうなんだ」と肯定すること(=すれ違った女性はきっと明里なんだと思うこと)ができたのかもしれない。

『秒速5センチメートル』というタイトルの意味は、人生のどこかで、そのように「きっとそうなんだ」と思うこと、それ自体が奇跡なんだという、肯定にこそあるのではないか。

また、『秒速5センチメートル』の小説版では、第3話の出来事と、貴樹の心情がさらに詳細に綴られている。この小説は、新海監督自身、映画の結末にショックを受けた観客の声を聞き、その反省のためにも書いたと語っている。実際に小説版のラストを読めば、おそらく映画よりも、ポジティブで前向きな印象をきっと得られるのではないか。そちらでは貴樹はとある自責の念を抱いていることもはっきりと綴られており、それを踏まえてなお、彼が最後にどのような気持ちを抱いたかを知れば……大きな感動を覚える方は多いはずだ。

さらに、新海監督はかつてのウェブサイト「Other voices-遠い声-」にて、本作について「我々の日常には波乱もドラマも劇的な変節も突然の天啓もほとんどありませんが、それでも結局のところ、世界は生き続けるに足る滋味(じみ)や美しさをそこそこに湛(たた)えています」と語っていたこともある。

「秒速5センチメートル」では、それこそ大きな事件はほとんど起きない。しかし、誰かの人生のどこかにある「すれ違い」「別れ」が描かれており、それは残酷なようで実は(美麗な画をもって描かれるように)美しくある。ひいては、やはり生きる糧になるということを、この『秒速5センチメートル』では訴えてられているのではないか。

ちなみに、ラストの踏切は、冒頭の踏切とは明らかに違う場所だ(線路の間隔や背景などが異なる)。同じ場所でなくとも、話しかけたりしなくとも、かつての想い人とどこかですれ違い、そしてその思い出を胸に生きていけるという、やはり奇跡を綴った物語と言える。

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