(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会

『すずめの戸締まり』新海誠監督の優しさが沁みる「10」の考察



3:鈴芽のそばで舞っている二匹の蝶の意味は?


劇中では、「二匹の蝶」が鈴芽の近くで舞っている、もしくは止まっているシーンがいくつかあることにお気づきだろうか。

(1)目覚めた鈴芽の周りに舞っている

(2)バス停で待っている時、逆さに止まっている(アップで映る)

(3)東京で地震が起こる時に、飛び立っている(アップで映る)

(4)東北に向かった道中、芹澤が「こんなに綺麗な場所だったんだな」と話す場面でも舞っている

(5)常世で鈴芽と幼い頃の鈴芽が出会った時、初めは大きくなった鈴芽のところにいた二匹の蝶は、3本脚の椅子のところに移動する。その後に蝶は、椅子を渡された幼い頃の鈴芽と、大きくなった鈴芽のところ、それぞれに一匹ずついる

小説版では、子ども用の椅子を作るときに母の椿芽から「ピンクと青と黄色、どれが好き?」と問われ、幼い頃の鈴芽はモンキチョウがお母さんの後ろで舞っていて、すごく可愛いと思ったから「きいろ!」と答えていた、とも書かれている。

また、幼い頃の鈴芽が使っていた日記帳の表紙はアゲハチョウでもあった。アップで映る(2)と(3)も同じくアゲハチョウ。それ以外で鈴芽のそばで舞っているのは、おそらくはモンキチョウなのだろう。

これらの蝶が示すものとは何だろうか。仏教で蝶は魂を運んでくれる存在であり、ギリシャでも魂の象徴ともされていることなどから、二匹の蝶は鈴芽の両親の魂であり、鈴芽を見守ってくれているのではないか、といった考え方もできるだろう。

また、荘子の「胡蝶の夢」は「現実と夢がはっきりと区別できないこと」、転じて「人生の儚さやうつろい」を意味する説話だ。鈴芽が4歳の時に、大きくなった自分と出会ったこと、その夢か現実かもわからないことを覚えている状況そのものを蝶は示していたのかもしれない。

筆者個人は、蝶が幼い頃の鈴芽と、大きくなった今の鈴芽、それぞれの近くに舞っていことから、やはりこの物語が最初と最後で繋がっている、後述するように幼い鈴芽が「光の中で大人になっていく」こと、彼女への祝福を意味しているのではないか、と思えた。

4:ダイジンの意味は「大臣」だけではない

災いを封じる役割を担う「要石」が変化した姿であるダイジンは、さまざまな「含み」のある存在だ。劇場パンフレットによると、強大な存在で大事な役割を担っているということで「大臣」という漢字が当てられていて、同時に「大神(ダイジン)」の意味も込められているという。


さらに、神戸のスナックでは、小説版、またバリアフリーの字幕にて、ダイジンは大臣でも大神でもなく、「大尽」という漢字が当てて呼ばれている。「大尽」とは「たくさんのお金を使って豪遊するお客」のことだ。

また、愛媛の旅館でも、神戸のスナックでも、「珍しく客入りが多い」ことが語られている。ダイジンは明らかに「福の神」的な効果をもたらしているのだ。

また、ダイジンと終盤に登場するサダイジンは、人とのコミュニケーションが「できる」というよりも、地震を鎮める目的のために人とのコミュニケーションを「必要」としているようにも思える。(ひょっとするとダイジンはSNSでバズって鈴芽に気づいてもらうことも計算ずく?)

事実、来場者プレゼントの「新海誠本2」にて、ダイジンとサダイジンは地震を封じる役目は自分たちだけは果たせないから、人との共同作業で産土(うぶすな)という土地の神を鎮めようとしている、と書かれている。ダイジンは後ろ戸の場所へ鈴芽と草太を導いていたし、サダイジンが環に本音を言わせたのは鈴芽との関係を前に進めさせるためだったのだそうだ。人との協力が必要な神様、というのも発想として面白い。

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