(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会

『すずめの戸締まり』新海誠監督の優しさが沁みる「10」の考察



7:「未来」ではなく「明日」と言った理由

本作のラストで、大きくなった鈴芽は、4歳の頃の鈴芽に「あなたは光の中で大人になっていく」などと、「生きている未来の自分から」、それが「決まっている」ことが告げられている。

ここで、大きくなった鈴芽は「私は、鈴芽の、明日(あした)」と自己紹介する。ここで「(12年後の)未来」ではなく「明日」と言ったのは、明日が「1日後」だけを意味するのではなく、「明日があるさ」などの言い回しに代表されるように「希望」に転じる言葉だから、ということもあるのだろう。

また、「明日」は繰り返し繰り返しあるものだ。その明日を繰り返した結果としての、今の鈴芽がここにいるのだと、大きくなった鈴芽は教えたのではないか。彼女は実際に、「朝が来て、また夜が来て、それを何度も繰り返して……」とも言っているのだから。


また、新海誠監督作品では、『秒速5センチメートル』や『天気の子』で「大丈夫」という言葉が出てくる。それは登場人物を鼓舞すると同時に、作品を観る観客へも贈られている。それは、具体的に「大丈夫」という言葉が使われていなくても、実は新海誠作品の全てで共通している精神性でもあったように思う。

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今回の『すずめの戸締まり』では、もともとは「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と3回繰り返すいう案もあったそうだが、それを「明日」という、それ自体が「(大丈夫の)繰り返し」も意味する言葉として打ち出したのも、見事だと思うのだ。

さらに、「新海誠本2」によると、椅子が3本脚になっているのは、鈴芽の(震災や母を失った)心の傷や欠落も表現しているそうだ(3本脚になった理由そのものは津波に巻き込まれたから)。だからこそ、大きくなった鈴芽が「3本脚でもきっと立てる」みたいなことを幼い頃の鈴芽に言って渡すという流れも考えていたが、結局はやはりグッとシンプルな「鈴芽の明日」になったという。「明日」という、ただひとつの言葉には、これほどの多くの意味があったのだ。

8:「自分自身に言ってあげる」は新海誠監督の成熟か

もう1つ、やはり重要なのは、ラストで鈴芽が自分自身に言ってあげている、ということだろう。それは、これまで「他者との出会いにより自分が変わることができる」という考えを持っていた、新海誠監督という作家の成熟とも考えられないだろうか。たとえば、過去に新海誠監督は、このように語っていたこともあったのだから。



「いつまでも今のままの自分でいたいと思っている人って、多くはない気がします。自分はこう変わりたい、こういう人生を送りたいという気持ちを、皆切実に抱えていると思うんです。それらを叶えてくれるものは、他者との出会い以外にありえないのではないでしょうか。自分1人で内発的に人生を変えていくことは難しいと思います」

「新海誠の世界 時空を超えて響きあう魂のゆくえ」榎本 正樹 著 KADOKAWA 394Pより



そんな新海誠自身が、日本のさまざまな土地を渡り歩いて、それぞれの場所で他者と出会って、そして最後に「自分自身」に出会って、そして変わる物語を作ったのだ。


また、新海誠監督は、これまでの作品で、時には過剰に感じてしまうほどにたくさんのモノローグを入れていた、転じて「自問自答」をする作家だったと思う。だが、今回の『すずめの戸締まり』には、鈴芽が母の椿芽が椅子を作った時の夢を見た後の「(椅子を)大事にしていたの、いつまでだっけ」以外では、モノローグがなくなっている。

自分自身に向き合うことを、モノローグという手法ではなく、文字通りに「自分に会う」ことで描くということ、そして(過去の)自分に出会ったことで成長する物語を描いたことも、感慨深い。

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