(C)2022「ある男」製作委員会」製作委員会
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2024年03月08日

【見放題配信中の必見作】映画『ある男』に秘められた“誰かを演じる”ことへの問いかけ

【見放題配信中の必見作】映画『ある男』に秘められた“誰かを演じる”ことへの問いかけ

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石川慶という監督ほど、観客に媚びることなく常に一定の距離を保ち続けながら物語る人物はいないのではないか。そんな映像作家から生み出される作品は、ここぞというようなエモーショナルなシーンも差し込まず、ある意味「淡々」と、しかし「深く」観客の心の中に入り込む。

映画からそこはかとなく漂ってくる冷淡さが石川監督の持ち味であり、唯一無二の作家性でもある。それでいて、「人間」を根っこから掘り出すように描く。これまで手がけてきた『愚行録』『蜜蜂と遠雷』『Arc アーク』、そして先日見放題配信がスタートした『ある男』のすべてに共通していえることだろう。

2022年11月18日に公開された『ある男』は、第46回日本アカデミー賞において作品賞を筆頭に監督賞や脚本賞(向井康介)、編集賞(石川)など8部門で最優秀賞を獲得した作品。

今回は本作の必見ポイントをじっくり紹介していきたい。

【インタビュー】窪田正孝×石川慶対談「自分を形成しているのは自分じゃない」、『ある男』の撮影を振り返る

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『愚行録』で観客を震撼させた石川慶監督の到達点

(C)2017「愚行録」製作委員会

改めて石川監督のフィルモグラフィを振り返ってみると、各作品の重厚な佇まいから既に大ベテランのような雰囲気を醸し出しているが、長編映画としては『ある男』でまだ「4作目」という事実に驚かされる。

それだけ、『愚行録』以降の石川慶作品が多くの映画ファンから注目されている証なのかもしれない。たとえば当代随一の人気を誇るクリストファー・ノーラン監督ですら長編2作目の『メメント』が高く評価されながらも、「誰もが新作を期待する映画監督」となったのは『ダークナイト』以降ではないだろうか。



実際に、長編映画第1作の『愚行録』から石川監督の手腕は圧倒的だった。貫井徳郎の同名ミステリー小説を原作に、数々の証言から浮き上がってくる事象や登場人物の本性が垣間見える演出は薄ら寒さを感じるほど。クライマックスで描かれたある人物の独白に至っては、俳優のベストアクトもあり長編デビュー作とは思えない緊張感をスクリーンに刻みつけた。

その後も恩田陸原作の『蜜蜂と遠雷』、ケン・リュウ原作のSFドラマ『Arc アーク』と話題作を続けて発表。長編映画第4作にして日本アカデミー賞最優秀賞監督賞に輝いた石川監督は、日本で最も新作公開を待ち望まれる映画監督のひとりであることは間違いない。

個人の尊厳を問うヒューマン・ミステリー


『ある男』は予告編から衝撃的だった。本作のメインキャラクター・里枝は、離婚歴があるシングルマザー。文房具店に客として訪れた「谷口大祐」と惹かれ合い、ふたりは結ばれるが、林業に従事していた大祐は倒木の下敷きになりこの世を去ってしまう。

子供たちとともに残された里枝が悲観に暮れる中、大祐の仏前に手を合わせにやってきたのは大祐の兄・谷口恭一。しかし彼は大祐の遺影を見るや否や、里枝に告げる。「大祐じゃないです」──。



芥川賞作家・平野啓一郎の読売文学賞受賞作を映画化した本作は、予告だけを見ると「谷口大祐を名乗っていた人物は何者なのか」という謎をめぐるミステリーだと思うかもしれない。確かにその通りではあるが、もっと根深い、社会の暗部にまで踏み込んだストーリーが用意されている。

また単純に「誰かになり変わる」という問題を表面的に描くだけでなく、その中にあるドラマだったり、人間の内側にある欲求にもフォーカス。もしそれを絵空事のように感じるなら、それだけ現在の自分や置かれている状況に満足している証拠なのだろう。

しかし──少なくともこの映画に出てくる登場人物のように──物質としてではなく己という存在を抹消したい、消し去らなければならない状況に追い込まれている人が現実世界にいるのも事実。その「問題」をすくい上げたのが本作『ある男』なのだ。

【関連コラム】“安藤サクラ”の魅力を3本の映画から分析——幅広い役柄への説得力と存在感

全員主役級の豪華キャスト


本作は「谷口大祐」とは一体何者なのかという点に軸を置き、物語が展開していく。里枝から調査を依頼される主人公の弁護士・城戸章良には、石川監督と『愚行録』で既にタッグを組んでいる妻夫木聡をキャスティング。幸せな家庭を築いたのも束の間、夫を失っただけでなくその夫が何者なのか突如渦中に放り投げられる里枝には、安藤サクラが扮している。

また「谷口大祐」を名乗り章良から「X」と名づけられた、物語の鍵を握る「ある男」には窪田正孝。他にも恭一役に眞島秀和、恭一の弟であり本物の谷口大祐役に仲野太賀、その元恋人・後藤美涼役に清野菜名、そして章良が調査の中でアプローチする男・小見浦憲男役に柄本明が名を連ねた。


石川監督のもとに集まった出演者の名前だけでも「観たい」と思わせる作品であり、もちろんそれぞれ登場時間の差はあれど、しっかり印象を残す。

ちなみに仲野太賀演じる「本物の大祐」を含め、上記キャストはいずれも本作公式サイトでも紹介されているキャラクター。事前にその配役を知ってもストーリーに影響はなく、《ある男X》の正体や、なぜ《谷口大祐》を名乗ることになったのかという点に着目して鑑賞してほしい。

妻夫木聡と窪田正孝が見せる新たな一面


謎の男と謎を追う男。

『ある男』を極端にシンプル化して説明すればそのような表現になり、それだけ《ある男X》を演じる窪田と章良役の妻夫木は本作になくてはならない存在となっている。

特に窪田は谷口大祐として里枝の前に現れ、里枝に惹かれ、その正体を隠しながら幸せな生活を送り、そして事故死を遂げるという難しい役どころ。これまでクセのあるキャラクターを含め様々な役をモノにしてきた窪田にとっても、“本当の自分”を隠した“ごく普通の人”を演じるのはチャレンジだったかもしれない。

それでも生活を共にしていた里枝が一切気づかなかったように、窪田は観客の前でも谷口大祐という男を演じきってみせた。


謎を追う章良も、実は一筋縄ではいかない人物。彼の出自は「誰かになり変わる人生」という本作のテーマに“近い”ものを内包しているが、それは個人というよりも様々な意味を持つ「血」についてであり、戸籍売買とは異なりそこで生きていくために用意された選択肢のひとつ。

また、それは章良自身のパーソナルな話(小見浦にあっさり見抜かれたが)であって、直接的に《ある男X》と関わる部分ではない。

それでも──妻や義実家との関係に悩みを持つ章良もまた、周囲が気づくことのない二面性をその内に秘めたキャラクターといえる。里枝からすれば頼りになる弁護士としか目に映らないが、観客は章良が普段隠している表情を薄々と感じ取っていくはず。

そしてラストに用意された意味深なシーンこそ章良というキャラの内面を物語っており、『ある男』が持つ「誰かになり変わる人生」というテーマへと厭らしくも帰着していく。

まとめ


『ある男』はたとえば泣ける、笑えるといったようなエンタメ性を排除した作品だが、逆に現実的な肌触りだからこそ大きな余韻となって胸に残る。本作で描かれることは決して「映画の中の話」ではなく、自分を《ある男X》に置き換えた時に「同じ選択をする可能性は1ミリもない」と断言することは誰にもできないだろう。

《ある男X》が《谷口大祐》として生きたように、俳優もまた映画で「役」を演じて生きている。もしかすると映画を観ている“自分自身”も、この世界で生きるために別の自分を演じているのではないか。

そんな二重構造の中で、『ある男』が投げかける問題について本当の自分と向き合いながら答えを探ってみてはいかがだろう。

(文:葦見川和哉)

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