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実写とアニメーションの“違い“とは?垣根が崩れたこれからの時代について映画ライター3人が語り尽くす!


3月10日(日本時間3月11日)に第96回アカデミー賞授賞式が開催され、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』が作品賞を含む7部門を受賞する結果となりました。一方で2人の俳優の、オスカー像授与時のステージでの振舞いがアジア人差別ではないかと騒動にもなっています。

今回のアカデミー賞は時代を反映していたのか、そしてあの騒動はどう考えればいいのかなどを考え、この時代だからこその“実写”と“アニメーション”について、CINEMAS+に寄稿する3人のライター、ヒナタカ杉本穂高CHE BUNBUNが徹底的に語り合いました。

【目次】


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映像の真実性が揺らいだ時代のアカデミー賞


ヒナタカ:杉本さんは12月に発売されたご著書「映像表現革命時代の映画論」でもアカデミー賞のあり方について言及していましたけど、今回の賞結果についてどう思っていますか?

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

杉本:僕の本では、実写とアニメーションがアカデミー賞の世界でも奇妙に分断されていることを指摘しました。それでいうと、今回もアニメーション作品は一本も作品賞にはノミネートされてなくて残念と思う一方で、アニメーション的な感性を持った作品『哀れなるものたち』や『バービー』が有力候補になっているのは面白い現象だと思っています。去年の作品賞『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(エブエブ)』にも言えますし、これは、実写とアニメーションの感性や作り方の接近によって、アメリカ映画にも変化が起きているのかなと思っています。

ヒナタカ:僕はアカデミー賞について、ロバート・ダウニー・Jr.やエマ・ストーンの振舞いがアジア人差別じゃないかという騒ぎにもやもやしてしまっていたんです。考えすぎるのも良くないかなとか、でも大事なことかもしれないとか……。そんな風に何時間も考えていました。

(C)LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

杉本:授賞式での振舞いの件は、その瞬間を世界中の人が映像で目撃してるけど、結局真相はわからない。映像の真実性って本当にあるのかなって僕は考えてしまいました。というのも僕の本は実写とアニメーションの重なりを指摘するもので、実写は現実を切り取り、アニメーションは作り物の虚構と言われてきたけど、結局のところ、映像は実写もアニメーションも客観的な事実を写せないんじゃないか、特にフェイクニュースの時代には、どんな映像も真実には到達し得ない、実写とアニメーションの差がフラットになっていくのと同様に、事実と虚構がフラットになっていくというテーマも裏に込めたつもりで、あの一件は僕の本のテーマと遠いところで重なってるかもしれないです。

『落下の解剖学』(C)LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

CHE BUNBUN:この騒動で僕は、今回のノミネート作の一本『落下の解剖学』を思い出しました。この作品は、事件の真相はどうだったのか結局わからないままで、誰もが自分の信じたい方向に解釈していく様が描かれます。二人の授賞式での振舞いをいろんな人が解釈していますけど、結局真相にはたどり着けない。ミシェル・ヨーがエマ・ストーンの件について釈明をしていましたけど、それだって結局は何が本当なのかわからないですよね。

(C)Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

杉本:そうですね。今回のアカデミー賞は、映像の真実性が揺らいでいる時代のラインナップだと思いました。『関心領域』は、収容所に隣接したドイツ兵将校の裕福な家庭生活をカメラが写していて、収容所内の悲劇は遠くから音だけ聞こえてくる。つまり、カメラは一番重要な事実を捉えていない。それはわざとそういう風に描いてるわけですけど。『落下の解剖学』とは異なる形で、結局カメラって事実写せるのかって問題提起しているように思います。『アメリカン・フィクション』もステレオタイプな黒人を小説に書いたら、それが絶賛されてしまうという、「人は信じたいものしか信じない」という問題を描いていて、真実はどうでもいいのかという問題提起があると言えるかもしれない。

『関心領域』(C)Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

CHE BUNBUN:作品賞を受賞した『オッペンハイマー』も重要ですけど、『落下の解剖学』と『関心領域』が入っているのが現代的で注目に値すると思います。この2本は非常にアクチュアルな問題提起をしていて、授賞式での振舞いをめぐって、それが実感された気がします。意識的にせよ、無意識的にせよ、関心の外側に大事なことを置いてしまうことがあるということを『関心領域』は描いていて、ジョナサン・グレイザー監督のスピーチはちゃんと映画の内容にも即していて素晴らしかったですね。

(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.

ヒナタカ:グレイザー監督のスピーチはすごく良かったですね。『オッペンハイマー』でには、原爆の被害は確かに直接的には描いてないんですけど、オッペンハイマーが「どう感じていたか」の主観を描いていて、この人にはこう見えているんだっていうのを追体験させるような感じで、これはこれで一つのアプローチとして誠実だと思いました。

杉本:「映像は客観的な事実か、主観的なものか」という点は大事なポイントですよね。人間の意思を切り離した客観的な現実を切り取れるのが、他の表現手段とは違うところだという映画批評のあり方ってあったと思いますけど、どんどん主観的になって内面的なものを描く作品が増えている。これはどっちかというと、アニメーションが得意にしていた領域だったと思います。映像の真実性は、生成AIの登場でこれからますます揺らいでいきます。そういう意味では今年のアカデミー賞は時代を的確に反映していると思います。

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作品賞とアニメーション賞の分断は妥当か

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ヒナタカ:『ゴジラ-1.0』の視覚効果賞受賞でこの賞に改めて注目が集まりましたけど、現代映画では結構重要な賞なんじゃないかって思います。杉本さんの本の中でも、実写と言われてる作品もほとんどは3DCGによるVFX映像で、実景が写ってないことが多いから実質アニメーションみたいなものと指摘されていますけど、視覚効果賞のノミネート作品は、本当にどれもそんな感じですよね。

杉本:そうなんですよね。実質アニメーションな作品も「実写」として流通している現状があります。アニメーションと実写に技術的な違いはないなら、純粋なアニメーション作品ももっと作品賞候補に入ってもいいって思いが僕にはあります。

ヒナタカ:アニメ映画は、アニメーション部門だけじゃなくて、作品賞にも普通に入った方がいいということですよね。

杉本:作品賞は「Best Picture」であって「Best Live Action」じゃないですからね。元々、アカデミー賞に長編アニメーション部門はなかったんですが、2000年代に長編アニメーションが増えてきたので、新たに新設されました。今でもアニメーション作品は作品賞ノミネートできるんですけど、実績としてはこれまで3本しかないです。

©2023 Studio Ghibli

CHE BUNBUN:アニメーションの冷遇自体に加えて、アニメーション部門も今までディズニーとピクサーばかりが受賞してきましたよね。ここ数年でそういう傾向も変わってきたように思います。今回は『君たちはどう生きるか』が受賞しましたけど、対抗馬が『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』でしたし。


杉本:『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』が昨年の長編アニメーション受賞でしたし、2年連続で非・CGアニメーションが受賞しているんです。デル・トロ監督は最近よく「Animation is cinema」ってフレーズを言うんですけど、アニメーションも映画なので、いずれは作品賞を実写作品と対等に争う時代になってほしいと思います。役者の芝居の細かい表情一つひとつに繊細があるようにアニメーションで描かれた線一本いっぽんにも繊細さがありますから。

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実写とアニメーション、それぞれの「らしさ」とは

杉本:アカデミー賞でもアニメーション的な感性の作品が候補となる時代になっていることもあって、僕は実写らしさとかアニメーションらしさってどういうものか考え直したいなと思っているんです。技術的にも作られ方も垣根が崩れていて、互いに影響も与え合っていると思うんですけど、同時にそれぞれの映像から受け取れる印象は異なるわけで、それをこれからの作り手はどう使い分けていくべきなのか。それを考えるっていうのも、本を書いた動機の一つでした。

(C)2022「かがみの孤城」製作委員会

ヒナタカ:今は実写畑の人がアニメーションを作ることもあれば、その逆も珍しくないですよね。原恵一監督はアニメ作品でも木下恵介監督作品などの実写からの影響が強いこともあって、ご自分でも実写映画を撮っているし、高畑勲監督も昔から人間の動作を丹念に描こうとしています。片渕須直監督もリアルに当時のことをすごく調べて再現しようとする。でも、そういうことをあえてアニメでやると、実写とは違うものになるので、意義深いのかなと思うんです。実写でもやれることなんだけど、あえてアニメでやることに意味があるというか。

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©2024「ハイキュー!!」製作委員会 ©古舘春一/集英社

CHE BUNBUN:それでいうと最近の作品では『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』を見たときにそれを感じました。終盤に主観のショットで試合の様子を長回しで見せるじゃないですか。これがすごいリアルで。あれはとても実写的な感覚でした。一回真っ暗になったり音に頼って視界の外を想像させるような瞬間もあったりしてゾクゾクする表現になっていました。

ヒナタカ:あれはすごいですよね。でもきっとアニメにしかできない表現で実写に近づいているというか。筋肉の動きまで描写されていて、重力やボールの威力もちゃんと感じられる。実写のような迫真性があるけど、それはアニメとしての誇張表現がなせる技なのかなと思いました。

CHE BUNBUN:そうですよね。アニメならではだけど、限りなく実写的な映像表現っていうのがあり得るんだなと思いました。

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©野田サトル/集英社 ©2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

杉本:逆に実写という表現にはどんなの魅力があると思いますか?僕はマンガやアニメの実写化企画こそ成功のために「実写ならでは」を考える必要があると思っています。例えば、最近の例だと『ゴールデンカムイ』の実写映画には、実写ならではの魅力があったと思いました。極寒の北海道ロケが作品の価値を上げていると思うし、それは実際に撮影に行かないとなかなか出せないと思う。

ヒナタカ:実写ならではだと、アニメと実写の両方が作られた『心が叫びたがってるんだ。』の実写の合唱場面では、アニメとは異なる魅力がありました。『ゴールデンカムイ』もそうですけど、生身の人間の良さってあると思います。

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(C)2015 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED

CHE BUNBUN:『ゴールデンカムイ』だと、荷馬車の上で戦うシーンにそれを感じました。落っこちそうになるけど落ちない、そのギリギリな感じ。『駅馬車』とか、最近なら『マッドマックス 怒りのデス・ロード』とか、動くものの上で戦う系譜の描写ですよね。

杉本:本物の人間が落ちそうになっているからこそのスリルがあるわけですね。

© 黒柳徹子/2023映画「窓ぎわのトットちゃん」製作委員会 
 
ヒナタカ:確かに生身の人間がやってこそハラハラはあると思うんですけど、一方で『窓ぎわのトットちゃん』で子ども2人が木に登るシーンなんかは、アニメなのに『ミッション・インポッシブル』の超絶アクション並みのハラハラ感がありました。

杉本:ものすごい上手いアニメーターが描けば、そのレベルまでやれるんですよね。架空の存在にあれだけの実在感を与える技術は本当にすごい。そういう熟練のアニメーターの力で映像の迫真性を獲得できるなら、やはり表現として実写が優位とは言えないと思います。そういう時代に、どんな風に映画について書いたり語ったりしていけばいいのか、実写とアニメーションを分断しないで、フラットに評価していく、新しい感覚が求められているなと思います。

(文:杉本穂高/協力:ヒナタカ・CHE BUNBUN)

「映像表現革命時代の映画論」著作情報


「実写」と「アニメ」の境界に隠されていた“映画の可能性”を繊細かつ大胆に解き明かす、映画レビュー!

■内容紹介
私たちが観ているのは実写か、アニメーションか?

みなさんが好きな映画は実写作品ですか、それともアニメーション作品ですか? これまで私たちは、映像作品を「実写」と「アニメーション」に区別してきました。しかし近年、実写には実物かCGか区別不可能な、アニメーションには実物かと見紛うほどリアルな映像が増え、その境界は曖昧になっています。本書では、進化を続ける映画カルチャーを長年追う著者が、実写とアニメーションの二分法を疑い、そこに隠蔽されてきた「実写映画中心主義史観」を乗り越えるべく、話題作の映画が提示する可能性を大胆かつ緻密に検証します。この映画論とともに、新たなる映像の世紀へと踏み出しましょう!

  • 「列車映画」としての『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
  • アニメは震災という現実を記録できるか?ーー『すずめの戸締まり』
  • 『るろうに剣心』は時代劇なのか?
  • AIで復活したヴァル・キルマー ーー『トップガン マーヴェリック』……

■「映像表現革命時代の映画論」の構成

  • 第一章 現代アニメに息づく映画史
  • 第二章 実写とアニメーションの間隙
  • 第三章 フレームレートとテクスチャー
  • 第四章 実写とアニメーションの弁証法
  • 第五章 AI時代の演技論

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