<ブギウギ ・終幕編>25週~最終週までの解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】
第125回のレビュー
スズ子(趣里)が引退会見した記事を読み、浮かない顔の羽鳥(草彅剛)。彼に助言するのは麻里(市川実和子)です。
一方、スズ子にはりつ子(菊地凛子)がいて。「あなたたちは何やってるのよ」と釘を刺します。
スズ子が会いに行こうとすると、ちょうど羽鳥が訊ねて来ました。
お互い、相手が気になっているのに行動できず、誰かに背中を押してもらってやっと動き出し、ようやく会ってももじもじ。応接間で向き合っている感じはまるでお見合い。
なんだか恋愛関係みたいにも見えますが、師弟関係です。まあ限りなく恋愛に近い別の関係というのもあるとは思いますが。
スズ子も羽鳥も、不器用で洗練されない言動がなんだか似すぎていて……。似ているからこそ、ここまで一緒にやってきたのかもしれません。
音楽がすべての羽鳥。歌と愛子がすべてのスズ子。そこには一直線になりますが、あとのことはうまくできない。そんなふたりが、いままで胸の奥にしまって語らずにきた言葉を一気に吐露します。
羽鳥は、ブギの代名詞がスズ子になってしまったことに嫉妬を覚えていたこと。
スズ子は、羽鳥にとって最高の人形でいたかったこと。年をとってそれができなくなったいま、引退を考えたこと。
つまり、スズ子が羽鳥の音楽の最高の体現者になろうとがむしゃらにがんばったため、ブギの代名詞となり、仕掛け人の羽鳥の影が薄くなってしまったのでしょう。そんなことはなくて、羽鳥も人気作曲家になったわけですが、作曲家はセンターに立てないのはやむなし。喝采は常にスズ子が浴びています。
しかも、スズ子がブギを歌い過ぎて、ブギが飽きられてしまった。羽鳥の大事なブギが日本であっという間に消費されてしまったことが羽鳥には悔しかったでしょう。
監督と俳優とか、編集者と作家、コーチと選手とかにもありがちな、人形使いと人形問題。
朝ドラでは、夫と妻も「人形の家」を例えにその関係性を問うことが少なくありません。
雇用者と被雇用者もそうで、どうしても上下関係ができあがりがちです。そして、上になった人が下の人を思うままにする。そうではなく、皆、対等なのだという話で、音楽はまさに誰もを対等にするものだと羽鳥は思ってやってきたのに、気づけば、自分が人形遣いのようになっていたということに愕然となるのです。
羽鳥がスズ子にこれまで「ありがとうございました」と感謝を丁寧に低姿勢で言ったのは、
一方的な人形遣いじゃ決してないことの現れです。
彼もまた、スズ子に作ってもらった。
ただ、羽鳥はスズ子を人形と思っていた自覚はないとはいえ、その兆候が、前半ありました。
自分の目指すジャズやブギを体現してくれる最高のパフォーマーとして、彼はスズ子に夢中になっていましたから。スズ子が正しく表現したから、日本にジャズやブギが定着したのでしょう。
想像するに、外国の雰囲気まんまではなく、日本や大阪の民衆の要素をもったスズ子の身体に融合したから成功したのだとは思います。あくまでこれは、モデルである笠置シヅ子のパフォーマンスを見て筆者が思ったことですが。
羽鳥はほかの歌手ともつきあいがあり、いい曲をたくさん作っていますが、ここでスズ子は、これまでほかの作曲家とは仕事をしなかったとをはじめて語ります。そうなのです、モデルである笠置シヅ子も服部良一の曲しかほぼ歌っていないのです。
自伝によると、「独立してから十年間に先生以外の作曲者のものはたった二曲しか歌っておらず」とあります。すごく一途な人です。
羽鳥に、愛助(水上恒司)に、愛子(このか)に、と常に一途な人なのです。羽鳥には恋愛感情をいっさい抱くことがなかったのか、気になっちゃいますよね。
身近な人と縁遠いスズ子の人生に一番長く伴走したのが、おそらく羽鳥。ふたりが作りあげてきたこれまでの、密度の濃い道。最終回、どんなふうに楽しく終わらせてくれるでしょうか。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
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