©️2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会
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映画コラム

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2024年06月07日

『違国日記』新垣結衣が愛おしく、理想的な実写映画になった「3つ」の理由

『違国日記』新垣結衣が愛おしく、理想的な実写映画になった「3つ」の理由

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映画『違国日記』が2024年6月7日(金)より全国公開中。原作は「心が救われる」「人生の本棚直行」などと絶賛を呼び、累計販売数180万部を突破したヤマシタトモコの同名漫画だ。

本編で語られるのは「両親を亡くした15歳の姪との、年の差20歳の共同生活を始める物語」。そして、後述する理由で、実写映画化の意義があると心から思えた素晴らしい作品だった。

1:極端だけど納得できるセリフのカッコよさと、その後のギャップのかわいらしさ



本作の魅力の筆頭は、新垣結衣が「小説家らしい理屈っぽい話し方をする変人にハマりまくりで愛おしい」ことだ。

彼女は、事故で両親を失ったばかりの姪が、親戚から心ないコソコソ話をされるのを見過ごせず、「あなたを愛せるかどうかはわからない。でもわたしは、決してあなたを踏みにじらない」などと正面から言い切る。か……カッコいい!

さらに、姪が「たらいまわし」にされるような自身の状況から思わず「たらいってどうやって書くんだっけ」と言いつつ涙を浮かべたことに対し、「たらいまわしはなしだ!」「それから盥(たらい)は臼に水を入れて下に皿を敷くと書く!」とまで言うのだ。

これは(原作からモノローグがなくなったこともあり)かなり極端なセリフ回しにも思えるのも事実だろう。だが、新垣結衣がじっと目の前の姪を見つめる様と、言葉の一つひとつに力を入れたような口調から、それらの言葉が「本気」なのだと心から思える。小説家という言葉を紡ぐ職業も鑑みれば、要素を論理立てて話す様も、実に「らしい」と納得できるだろう。

そして、その後の彼女は世間一般の大人からすれば、「部屋が散らかっている」といったダメなところを見せるし、人見知りで他人との同居がそもそも向いていなさそうな不器用さも見せるため、先ほどのカッコいいセリフとのギャップがかわいらしく感じられたりもするし、「さっきは勢いで言ったんだな(でも誠実)」な印象も愛おしかったりもするのだ。



初めこそ姪の両親の遺品を一緒に整理したりと、やはり毅然とした大人らしい行動をしていたはずなのに、その後の普段の姿はやっぱり変人そのもの。時には姪から心配されたり、ちょっと怒られたり、姪の友達に「変わっている」と紹介されて気にしている様も、ニヤニヤとしてしまうだろう。

なお、新垣結衣は2023年公開の『正欲』でも「他の人とは違う」疎外感ゆえの悩みを持つ女性を、時にははっきりと「嫌悪感」をにじませる目つきからも見事に表現していた。今回はそちらにも通ずる変人役であると共に、「私はこれでいい」という自己肯定感も持つ、少し印象が異なる役にもなっていた。



ちなみに、瀬田なつき監督は新垣結衣について「(映画やドラマだけでなくバラエティ番組での)どこか飄々とした雰囲気や、普段はインドア派だということも話されていて、槙生(主人公)にピッタリ」「初めてお会いした時も、脚本に対してとても誠実に向かい合ってくださる言葉や、飾らない佇まいがまさに槙生」と思っていたのだとか。


その通り、イメージとマッチしているだけでなく、本人の誠実さがストレートに表れた役柄なのだろう。

2:15歳の新星、さらには夏帆や瀬戸康史との関係の愛おしさ


もうひとりの主人公といえる姪を演じるのは、オーディションで選ばれた新星の早瀬憩。瀬田監督によると「ちょっと素朴で幼い感じもありつつ、どこか達観した雰囲気を持っていて、ご自身と朝(姪)を重ねて、等身大で演じてくれそう」と感じていたそう。

15歳という役と同じ年齢であることも大いに説得力を持たせていて、今だからこそのみずみずしい魅力を切り取っていた。

その姪はかなり生真面目で、どちらかといえば社交的な(でもちょっと影のある)キャラクターだ。それは、普段はダメなところも見せる、なんなら「コミュ障」「陰キャ」な印象がある新垣結衣演じる叔母とは正反対。そんな2人が衝突したり、徐々に打ち解けていく様も大きな見どころとなっている。


さらに、夏帆演じる明るい性格の親友を交えた餃子パーティーは楽しい時間となったりもするし、瀬戸康史演じる元恋人とのやりとりからは違う一面も見えてきて、その時間がまたかけがえのないものに見えてきたりもする。

それぞれの俳優の魅力をストレートに打ち出しつつも、いい意味で演技をしていないようにすら見える自然な会話および関係性が、やはり愛おしく思える。原作の魅力を、俳優および演出でこれ以上なく昇華させたことが、何よりの実写映画化の意義だろう。


さらには、美術がもたらす効果も大きい。主人公の仕事部屋は本がたくさんあり、その散らかりぶりも含めてリアルで、彼女が「この仕事で生きていた人」という説得力を底上げしている。

さらには、瀬田監督によると「前半は本やモノをたくさん散らかして片付いていない感じにし、ふたりの暮らす時間とともに多少整理されてきたり、朝のゾーンに物が増えたりと、散らかりバランスをスタッフと相談して作っていった」そうなので、その部屋の変化に注目しても楽しめるだろう。

3:「完全に理解をしなくても支え合える関係性」の肯定


また素晴らしいのは、原作と同じく「完全に理解をしなくても支え合える関係性」を肯定していることだ。2人の主人公の関係は、家族ではあるけれど、親子という感じでもないし、年の離れた友人でもあるようで、そうでもないように見える。

初めこそ、主人公は「(死んだ)姉のことを好きになれない」と姪に主張し、そのことで不穏な空気が流れることもあるのだが、それでも2人の日々は続いていき、わだかまりも少しずつ解消される。そんな一言で表現できない関係性が、「近すぎない」ことも含めて、とても心地よく思えるのだから。

この印象は直近であれば、2024年2月に公開された映画『夜明けのすべて』も連想させる。こちらではPMS(月経前症候群)とパニック障害を抱えた男女の「恋人ではない」、お互いのことを完全には理解しないままでも支え合える関係を自然に描いていた。



現代では「型にはまった」ような友人関係・結婚・仕事を、「世間体」も考えて「そうしている」という人もいるだろう。「完全に分かり合える」人間関係を美徳とする人もいるだろう。

だが、『違国日記』や『夜明けのすべて』では無理をする必要は決していない、今のままの自分の価値観を大切にして、親しい人と全てを分かり合えなくても、適切な距離感で支え合えればいいのだと、優しく教えてくれるようでもあったのだ。


さらには、『違国日記』の主人公が姪が抱えた問題についてのアドバイスは、一つひとつ書き留めておきたいくらいの金言であるし、その姪の交友関係もとても愛おしいものに思えてくる。回想やモノローグを安易に使うことなく、現在進行形で丁寧に物語を紡いでいく構成も的確で、原作のとある会話の場面を「広い体育館」へと変えたアレンジも、とても画(え)になっていた。


個人的には原作からの取捨選択も的確だと思えたが、『違国日記』というタイトルの意味は原作のほうがわかりやすく思えたし、削られた要素には賛否もあるだろう。それでも、本作は漫画の映像化作品としても、俳優それぞれの個性を生かした映画としても、そして完全に理解をしなくても支え合える関係性を肯定したドラマとしても、高い完成度を誇っている。

ぜひ、劇場のスクリーンで、ゆったりと「変化(もしくは変わらない)」の物語を堪能してほしい。

(文:ヒナタカ)

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