『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』レビュー:今、なぜか大島渚!
黒地に白文字のエンドタイトルまで
美しい『戦場のメリークリスマス』
さて、『愛のコリーダ』は第26回カンヌ国際映画祭監督週間部門に出品され、シカゴ国際映画祭審査員特別賞および英国映画協会サザーランド賞を受賞。
こうした世界的評価を経て取り組んだ次作が、やはりフランスとの合作『愛の亡霊』(78)です。
不倫した妻が愛人と共謀して夫を殺害し、やがてはともに堕ちていくストーリーは前作と似た部分もありますが、性描写はぐんと抑えられてドラマ性も強調。
この作品で大島監督はついに第32回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞しました。
しかし、海外の評価は国内の映画製作になかなかプラスをもたらしてはくれません。
この後大島監督は東映で『日本の黒幕(フィクサー)』の監督に抜擢されるも、脚本の最終段階で折り合いがつかなくなり、降板(映画は降旗康男監督が1979年に完成)。
そして次に取り組んだのが『戦場のメリークリスマス』(83)ですが、こちらも製作は難航し、交渉していたキャストは次々とスケジュールの折り合いがつかなくなって降板。
(当初はロバート・レッドフォード、滝田栄、緒形拳といった俳優陣にオファーがなされていました。日本人ふたりに関しては共にNHK大河ドラマの主演依頼があったことでスケジュールの折り合いがつかなくなり、出演が叶わなくなりました)
こうした中、デヴィッド・ボウイが快く出演を承諾してくれたのも、大島監督の世界的名声の高まりとも無縁ではないでしょう。
また、日本側キャストも既成の俳優ではなく坂本龍一とビートたけしを抜擢するという大英断は、当時の若者たちに一気にこの映画への期待を募らせてくれました。
特にビートたけしは当時パーソナリティを務めていた「オールナイトニッポン(木曜第1部)」で本作の製作裏話をあることないこと面白くしゃべり続け、映画の公開中も伝説のTVバラエティ番組「俺たちひょうきん族!」の中で「戦場のメリーさんの羊」なるハチャメチャ大爆笑コントを展開し、本作がカンヌで賞を取れずにスタッフ一同がこそこそ引き上げていくところまで報復絶倒の笑いを以って表現(ちなみにこのときのカンヌのパルムドールを受賞したのが、緒形拳主演の『楢山節考」でした!)。
また当時の日本映画界は戦争映画がブームになっていましたが、大島監督はそれらとは一線を画したものをめざし、見る側もこれを戦争映画という括りではなく、捕虜収容所内で展開される「愛」の映画として認識していた節が多分に感じられます。
映画マスコミは東西の文化対立を描いた映画とみなしましたが、実際に観客の多くを担っていたのは若い女性たちで、男女の別を排した友愛の行方にこそ着目していました。
既に少女漫画の世界では「パタリロ」など美しい男同士の愛憎表現は当たり前になっていたこともあって、そういった風潮に見合った日本映画がデヴィッド・ボウイ×坂本龍一によって体現されたことに感銘&喝采したのです。
またその手のものが苦手な向きにも、トム・コンティ×ビートたけしの男同士の友情描写に涙するという、実に用意周到な内容でもあったと思います。
極めつけは出演のみならず音楽監督も務めた坂本龍一による、あのテーマ曲の世界的大ヒット!
以前、坂本龍一に取材した折、世界中、言葉の通じないどこの国に行っても『戦場のメリークリスマス』の音楽を作曲した人だと紹介されるだけで、その後の仕事がスムーズになると言っていました。
つまりはそれだけ、この作品がワールドワイドに迎え入れられたということです。
ちなみに私はこの作品、今はなき1000人以上収容できる東京の大劇場・新宿ミラノ座で見ましたが、ドラマのすべてが終わり、エンドタイトルが始まってからの感銘は今も忘れることはできません。
通常エンドタイトルは黒地に白文字でスタッフキャストの名前が挙がっていくもので(ここで退席してしまうもったいない人の、昔も今も何と多いことか!)、本作もその例には漏れません。
しかし坂本龍一の音楽と、黒地に白文字が挙がっていくシンプルな構図から発生するリズムとが見事に調和され、ひとつのライヴを堪能しているかのような醍醐味と、そこまでの映画そのものの感動が見事に調和し、その意味では比類なき秀逸なエンドタイトル足り得ていたと思います。
(事実、このとき1000人以上の観客のほとんどは退席することなく客席にくぎ付けのままでした)
こういった映画館ならではの体験を、是非今回の4K修復版でも体感していただきたいと思います。
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