2021年04月24日

『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』レビュー:今、なぜか大島渚!

『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』レビュー:今、なぜか大島渚!


大島監督とのたった一度の
個人的な思い出

この後、大島監督はチンパンジーと人間の愛を描いた『マックス・モン・アムール』(86)を発表しますが、1990年に入って新作の企画に着手するも資金不足のため中断を余儀なくされ、96年に病で倒れますが周囲の尽力で1999年に新選組内部の愛憎を描いた『御法度』を発表し、これを長編映画の遺作とし、2013年1月15日に永眠しました。

病に侵されるまで、大島監督はテレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」の常連としても人気を博し、毎回どこで怒鳴るかが視聴者の間で面白可笑しく取沙汰されるなど、そのパフォーマンスも大いに親しまれました(監督自身、テレビ出演は大好きだったそう)。

私自身、大島監督とは一度だけお会いしたことがあります。

1990年代前半、当時編集者だった私は大島監督の現在を訊くといったインタビューの立会い兼写真撮影を担っていたのですが、取材中にカメラを向けると決まって監督は瞬時に目線をレンズに写してキリっとポーズを取るのです。

その光景が妙におかしく、こちらもだんだん乗ってきて何度も何度もシャッターを切り、そのつどポーズをとる監督とのやりとりは、後から思えばまさにコントのような風情でした。

しかし、いざ編集作業中、プロではない自分が撮った写真を載せて大丈夫なものか? といった不安が持ち上がり、また雑誌ができた際に上司に呼び出され、監督の名前が旧字「渚」ではなく新字体になっていたことを指摘され、「大島監督に謝れ!」と怒られて、すぐに謝罪の手紙を送りました。

数日後、私あてに大島監督から1通のFAXが届きました。

「全然気にしないでください。文章も写真もすごく気に入っています。」

この文面を見た瞬間、私は大島監督の優しさのほんの一部に触れることが出来たようで、瞬く間に真のファンになっていきました。

大島監督はそのキャリアの初期から反骨と怒りの姿勢で現代社会を撃つ作品群をスキャンダラスに連打していきましたが、その根底には「愛」が確実に備わっており、しかしそれは「愛は地球を~」などとは無縁の、愛を絡ませ格闘しあうことによって人間の本質が描出できることを肌で理解していたアーテイストであったと捉えています。

その意味でも『愛のコリーダ(「闘牛」という意味です)』は大島監督の大きな転換期にも成り得ていると思いますし、ふとこの監督は「イマジン」を歌ったジョン・レノンとも相応される存在だったのではないかと思えるときもあります。

コロナ禍に伴う社会の不調と政治の堕落、さらには国際間の緊張が日々高まっていく昨今、大島監督作品は今の自分たちに何ができるのか、何をすればよいのかを巧みに示唆してくれているような、そんな気がしてなりません。


この機会に『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』はもとより、ぜひ大島作品の多くに触れていただけたら幸いです。

(文:増當竜也)

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