2022年01月01日

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』はネタバレ厳禁映画なので、代わりにシリーズを復習してみた!

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』はネタバレ厳禁映画なので、代わりにシリーズを復習してみた!


スパイダーマンは
いかにして誕生したのか?



そもそもスパイダーマンは1962年8月、スタン・リー原作、スティーブ・ディッコ作画のマーベル・コミック「Amazing Fantasy」誌の最終刊(♯15)に初めてお目見えしたヒーローで、そのときの反響の大きさから1963年に「Amazing Spider-Man」を創刊し、以後の基本設定などを構築しつつ、さらなる人気を得ていきました。

当時は大人がヒーローになるのが当たり前だった時代、高校生のピーター・パーカーが特殊なクモに咬まれたことから超人的能力を身に着けた“スパイダーマン”となって悪と戦う活躍ぶりはもちろん、幼い頃に両親を亡くしているがゆえの孤独であったり、戦うことで取り返しのつかない代償を得てしまうなど、ティーンエイジャーとしての等身大の悩みを抱えたヒーロー像は、若者たちの熱い支持を得ることになったのです。

その後もスパイダーマンは設定や形式などを変えつつ、さまざまなマーベル・コミックに登場し続けていきます。

日本でも池上遼一・作画の翻案漫画「スパイダーマン」が、1970年1月号から1971年9月号までの「別冊少年マガジン」に連載されました。

21世紀に入ると2004年9月号~2005年11月号「コミックボンボン」に小学生がスパイダーマンになる「スパイダーマンJ」(山中あきら・作画)、2019年7月~2020年3月の「マガジンポケット」では日本人高校生がニューヨークを舞台にスパイダーマンに扮する「スパイダーマン/偽りの赤」(大沢祐輔:漫画)が発表。

そんなスパイダーマンの映像化ですが、テレビアニメーションとして1967年より1970年まで放送された「スパイダーマン」が最初です。
(日本でも「怪傑くも人間」の邦題、富山敬の吹替で1974年7月から1975年3月まで放送。80年代には「スパイダーマン」として田中秀幸の別吹替版も放送)

正直、その後もスパイダーマンのアニメ化は1981年版、1994年版、1999年版、2003年版、2008年版、2012年版、2017年版など多数あり、さらにはマーベル・ヒーロー集結番組やスピンオフへの出演、LEGOアニメ版(2019年)もあったりして、もはやこれだけでひとつの大きな論考が出来るほどなので、ここでは省略。

では実写は?となると、1977年から1979年にかけてニコラス・ハモンド主演のテレビドラマ“The Amazing Spider-Man”全15話が作られ、そのうちパイロット版を含む長尺エピソード3作はアメリカ以外の諸国で劇場公開されています(日本では最初の2本が劇場公開され、3本目はビデオ発売のみ)。

1978年には、何と日本でも実写ドラマ化! 東映がマーベルと契約して製作した日本版「スパイダーマン」です。

ここでのスパイダーマンは、父を悪の異星人に殺されて、自身はスパイダー星人からクモの力を与えられて超人と化したオートレーサー山城拓也(香山浩介/現・藤堂新二)と、かなり日本人好みの設定に変えられています(原案表記は八手三郎)。

何と巨大ロボット・レオパルドンに乗り込んで戦ったりもしますが、スタン・リーもこの造型などには好意的だったとか(またこのパターンが、後のスーパー戦隊シリーズに踏襲されていきます)。

1978年5月から1979年3月まで全41話が放送され、78年7月の《東映まんがまつり》では第10話と第11話に挟まるオリジナル・エピソードがワイド画面の劇場用映画として上映されています。

そして21世紀に入って、いよいよアメリカ本国での劇場用映画超大作としてのスパイダーマン映画の製作が開始されるのでした。

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