(C)2022 八目迷・小学館/映画「夏へのトンネル、さよならの出口」製作委員会
(C)2022 八目迷・小学館/映画「夏へのトンネル、さよならの出口」製作委員会

映画コラム

REGULAR

2022年09月09日

映画『夏へのトンネル、さよならの出口』が青春版『インターステラー』と言える傑作の理由

映画『夏へのトンネル、さよならの出口』が青春版『インターステラー』と言える傑作の理由


「時間」という「代償」を描く

前述した「欲しいものが何でも手に入る」「だけど入ると時間があっという間にすぎる」ウラシマトンネルの特徴は、言い換えると「時間という代償を支払わないと、欲しいものが手に入らない」ということでもある。その「代償」というシビアな概念を重視した作品であることは、原作者の八目迷がインタビューでもはっきりと語っている。

「奇跡という概念を作中で起こす場合は、私自身何かしらの「代償」が必要だと考えています。そうでなければ、それはただのご都合主義になってしまうと考えていますので。本作における代償は「時間」そのものです。これは本作に係わらず現実でも言えることですが、時間はあらゆるアクションを起こすにあたって絶対的に必要な対価だと思っています。価値あるものを得るためにはそれ相応の時間をかけなければならず、そういったメッセージも作中に込めたつもりです」
引用元:独占インタビュー「ラノベの素」 八目迷先生『夏へのトンネル、さよならの出口』 - ラノベニュースオンラインより
(以下からの八目迷の言葉も同インタビューから引用)

物語の作り手として、これは間違いなく真摯な姿勢だ。ともすれば、本作は現実にはあり得ない現象を描きながらも、実は現実的な「時間をかけてこそ手に入れられるものがある」という普遍的な訴えがされていると言っていい。

(C)2022 八目迷・小学館/映画「夏へのトンネル、さよならの出口」製作委員会


また、ウラシマトンネルは「恐ろしい」場所としても描かれている。中は際限のない暗い道が延々と続く不気味な場所に見えるし、原作小説では望まない形で願いを叶える「猿の手」の物語のような悪意があるかもしれないと語られていたりもする。何より、その中で長い時間を過ごせば、外では数日、いや何週間という単位で時間が進んでしまう。時間は本来は誰にでも平等に与えられているものだが、それを奪われてしまうというのは、何よりの恐怖なのではないか。

(C)2022 八目迷・小学館/映画「夏へのトンネル、さよならの出口」製作委員会


そして、この「時間という代償」こそ、『インターステラー』に通ずる要素だ。八目迷はその物語内での「膨大な時間を浪費してしまった、その取り返しのつかなさ」に心をうたれたと語っており、同様の戸惑いや恐怖は今回の映画『夏へのトンネル、さよならの出口』にもしっかり受け継がれていた。

そして、本作では確かにそのような「代償」が描かれてこその「奇跡」が描かれている。いや、奇跡というのも語弊があるのかもしれない。ネタバレになるので詳細は伏せるが、主人公2人がやがて手に入れたものは、偶発的な奇跡なんかじゃなく、それぞれの努力や想いが結実したからこその、必然的なものとも言えるのだから。『インターステラー』ともまた異なるその結末に、感動を覚える方はきっと多いはずだ。

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

(C)2022 八目迷・小学館/映画「夏へのトンネル、さよならの出口」製作委員会

RANKING

SPONSORD

PICK UP!