(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会
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映画コラム

REGULAR

2022年11月11日

『すずめの戸締まり』が新海誠監督の「到達点」である「3つ」の理由

『すずめの戸締まり』が新海誠監督の「到達点」である「3つ」の理由

3:「日本」そのものを鼓舞する「使命」

そして、筆者個人が『すずめの戸締まり』の観賞後にいろいろと考えてみて「すごい映画」だと思えた理由は、「その土地に住む人たち、ひいては『日本』そのものを鼓舞する作品」だったことだった。


例えば、劇中の災いの元となる扉は「廃墟」にある。それは人が住まなくなった、もっと言えば「捨てられた」場所であり、ネガティブに捉えられやすいものだ。少子化や過疎化が進む現代では、ある種の「衰退」の象徴とも言ってしまえるだろう。実際に新海誠監督は、来場者プレゼントの「新海誠本」の中で、かつてにぎやかだったのに今は廃れてしまった場所が増えたことで「日本が壮年期に差し掛かっている感覚があった」とも語っている。

そして、劇中では人々を不安にさせる地震が起こる。『君の名は。』では彗星、『天気の子』では豪雨と、それぞれ物語の根底に、土地を破壊し、そして多くの人が死ぬ危険性もある災害が取り入れられていた。

そして、新海誠監督は「いま一番恐れ、また関心を抱いていることは『日常が急に失われてしまうこと』であり、その最も身近な体験が災害で、主人公がその状態をどう乗り越えるのか、という物語を作り続けるのは必然なのかなと思います」とも語っている。「また災害を描く」ということもまた、新海誠監督が言うところの「同じところをぐるぐる回っている」なのだろう。

地震がいつどこで起こるかわからない、いや、日常が急に失われてしまうかもしれないという不安は、新型コロナウイルスの脅威に怯え続けた(日本のみならず世界中の)人々の姿に重なる。しかも、新海誠監督は、「脚が一本なくて不自由で、椅子の中に理不尽に閉じ込められてしまっているような草太の感覚には、コロナ禍の時の気分が入っているのではないか」とも語っているのだ(ちなみにパンフレットによると、椅子というモチーフは田舎のバス停にポツンと置いてあった、一人掛け用の木造りの椅子を見かけたことが発想のひとつとのこと)。

『すずめの戸締まり』の企画を練り始めたのは2020年の初め、企画書を提出したのは2020年4月の東京都で1回目の緊急事態宣言が出された時だったそうだ。そのため、新海誠監督は、急に訪れたコロナ禍から影響を受けた部分は(前述した椅子のこと以外は)それほど多くはないとも語っている。


だが、実際に出来上がった『すずめの戸締まり』は、日本というこの場所にある、人々が住まなくなった廃墟が示す「衰退」、日常的に起こる地震という「不安」、そしてコロナ禍での「不自由さ」が間違いなく反映されており、現実ではあり得ないことが起こるファンタジー作品でありながら、「今の日本」を描いた作品であるとも強く思わされる


そして、「日本中で旅をする」ロードムービーであることが、その「今の日本を描く」ことと密接に結びついているのだ。

では、新海誠監督は『すずめの戸締まり』は「今の日本」を描いたその先で、何を提示するのか……? もちろん詳しくはネタバレになるので書けないが、この困難な時代に突入した日本、そして全ての「生きている人」にとってのエールだった、ということだけは告げておこう。アニメ映画というエンターテインメントで、新海誠監督が、ここまでの「使命」を背負い、そして観客に豪速球にメッセージをぶつけてくれることこそに、感動があったのだ。

その「使命」もまた、新海誠監督が同じことをぐるぐる回っている、作家性の幅が広くはないと自虐的に言うほどの「らしさ」なのであるが、その結果として「ここ」にまで至ったことにも、感慨深さもあった。

また、本作の立ち位置は2021年の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』にも近いのかもしれない。庵野秀明監督はタイトルに「:||(リピート記号)」をつけていて、「繰り返しの物語」でありつつ「最終的な答え」を示していたこちらも、これまで「ぐるぐる回っていた」からこその内容と言えるのだから。

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そんな、庵野秀明監督に続く、新海誠監督の「到達点」を、ぜひ劇場で目撃してほしい。



(文:ヒナタカ)

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