2021年05月16日

『茜色に焼かれる』レビュー:現代社会の心無い仕打ちの中を真摯に生きる弱者に贈る人間讃歌

『茜色に焼かれる』レビュー:現代社会の心無い仕打ちの中を真摯に生きる弱者に贈る人間讃歌


■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT

最近の日本映画でここまで現代社会の闇の数々と堂々対峙した作品はないのではないか? そう思わされるほどに意欲的な、腹を括った石井裕也監督作品です。

冒頭いきなり、日本国内に住む者なら誰もが知る“あの”ショッキングな事件をモチーフにした出来事が描かれますが、実はこれとて導入部にすぎません。

映画はその7年後、コロナ禍に見舞われた“今”の時代を背景に、田中良子(尾野真千子)と純平(和田庵)の母子には次から次へと、まるで悪い冗談のように痛ましい出来事が頻発していきます。

それはまさに弱者に対する現代社会の心ない仕打ちの縮図のようで、それを行使するのが徹頭徹尾ゲスのような男たちというあたりも、男性社会の圧力的強権みたいなものを改めて意識させられる構図に成り得ています。



しかし、それでも決してくじけることなく(とはいえ、もちろん人間ですから、本音を漏らす瞬間はあります)、もがき苦しみながらも懸命に生き抜こうとする母子の姿そのものにこそ本作の美しさや力強さ、逞しさを見出すことができるでしょう。

とかく社会の“ルール”に裏切られっぱなしであることを嘆くこともままあるヒロインではありますが、実はこの母も子も「(天国の父ちゃんに誓って)お互い嘘はつかない」というルールを破って生きているところもあり、そこにも忸怩たる人生の処世術みたいなものを痛感させられてしまいます。



自分自身にふりかぶる災難は作り笑顔でしのぎつつも、我が子のことになると怒りが露になる「母」の力強さと、同級生と再会したとき思わずぶりっ子風に声が甲高くなる「女」の可愛らしさ。その双方を持ち合わせたヒロインの真摯な生きざまには誰もが胸を打たれずにはいられず、その意味でも本作の尾野真千子の名演は後々語り継がれていくことでしょう。

一方で、恋に目覚めて思わず熱くなってしまいがちな「子」を体現する和田庵からも、普遍的ともいえる思春期の揺れが好もしく描出されていました。

いっそ闇落ちしてしまったほうが楽かもしれないほどに混迷する今の時代、しかし茜色の夕焼けはなかなか暮れることなく、この母と子を美しく照らし続けながら、ほんのかすかかもしれませんが「希望」を分け与えてくれているような、そんな人間讃歌でもあるのでした。

(文:増當竜也)

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(C)2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ

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