『テオレマ』『王女メディア』/鬼才パゾリーニが説く「天国も地獄も等しくこの世にある」こと
『テオレマ』『王女メディア』/鬼才パゾリーニが説く「天国も地獄も等しくこの世にある」こと
貧困、宗教、神話、艶笑
そして生地獄の果ての殺害
1955年、貧困地区の若者たちを題材にした長篇小説「生命ある若者」が出版されて文学賞候補になるも、その赤裸々な内容が物議を醸して発禁処分に。
その前年、脚本家として映画界に進出し、フェデリコ・フェリーニやマウロ・ボロニーニなど数多くの才人監督の脚本を執筆(共同も含む)。
そして1961年『アッカトーネ』で彼は監督デビューしますが、これは乞食(アッカトーネ)とあだ名される男の青春悲劇で、続く『マンマ・ローマ』(62)は娼婦の母とぐれてゆく息子の関係性をともにドキュメンタリー・タッチで描いていますが、この時期の彼の作品をイタリア映画のネオレアリズモと照らし合わせる向きもあったものの、本人はそれとの影響を否定しています。
1964年、「マタイによる福音書」を忠実に映像化しながらキリストの生涯を描いた『奇跡の丘』を発表。パゾリーニ自身は無神論者であり、ここでもハリウッド映画のような神格化されたキリストではなく、あくまでも「人間」として生きて、死に、そしてあっけらかんとした風情で復活してしまうキリストの姿を等身大のものとして描いたものでした。
1967年には、母と交わり父を殺したギリシャ悲劇「オイディプス王」を題材にした『アポロンの地獄』を発表。これはまさに母を溺愛し、父を憎み続けたパゾリーニ自身のキャリアを反映させたと思しき作品でもあります。
『テオレマ』(C)1985 - Mondo TV S.p.A.
この後『テオレマ』やカニバリズムを題材にした『豚小屋』(69)『王女メディア』などを経て、1970年代に入ると聖なるものと性なるものを大らかとも下世話ともいえる笑いで重ね合わせていく「生の(もしくは艶笑)三部作」『デカメロン』(71)『カンタベリー物語』(72)『アラビアンナイト』(74)を発表。
しかし、この後でパゾリーニは「生の三部作」を全面否定するようになり、それを証左するかのように1975年、マルキ・ド・サドの「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」を原作に、舞台を第2次世界大戦下のイタリアが連合国に降伏した後、ファシスト残党たちが最後の晩餐と言わんばかりに、狩り集めた美少年美少女たちにこの世の生地獄ともいえるありとあらゆる残虐非道な行為を強いていく『ソドムの市』を発表します。
人糞食やSMの域を優に越えた拷問の数々など、鑑賞中に嘔吐する者まで現れるほどで、そういったあまりにも不快な描写が連発していくがゆえに、、世界中で上映禁止となった文字通りの問題作。
しかもパリ映画祭での上映直前の1975年11月2日、彼はローマ近郊オスティア海岸で激しい拷問を受けた上に車で轢殺された死体として発見されました。
まもなくして同作にエキストラ出演していた17歳の青年が「パゾリーニから性的悪戯を強要され、その正当防衛で殺害した」と自白し、9年7か月の刑が確定されましたが、実際は単独犯ではおよそ不可能な犯行としてみなされており、今なお死の真相は不明です。
(青年は後に「自分が犯行グループから家族を盾に脅され、やむなく罪をかぶった」とも発言しています。犯行グループは共産主義者であったパゾリーニにかねがね反発し、ファシストを変態扱いする『ソドムの市』制作に激怒したネオファシストの犯行ではないかという説も……)
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