『テオレマ』『王女メディア』/鬼才パゾリーニが説く「天国も地獄も等しくこの世にある」こと
『テオレマ』『王女メディア』/鬼才パゾリーニが説く「天国も地獄も等しくこの世にある」こと
人間の原初的な残酷さと復讐を描く
『王女メディア』
一方で『女王メディア』はパゾリーニにとって『アポロンの地獄』に続いてのギリシャ悲劇への挑戦ではありましたが、20世紀の歌姫マリア・カラスが唯一出演した映画であり、音楽も『アポロンの地獄』さながら世界中の民俗音楽(特に日本の地唄や筝曲!)とロケ地のトルコ・カッパドキア地区岩窟群との融合が醸し出す異様な雰囲気など、スペクタクル大作としての資格も十分に備えています。
しかし、前半部の台詞はほとんどなく、後半のメディアの夫に対する復讐劇の発端などもほとんど描かれないので、やはり『テオレマ』同様ストーリーの大まかな流れは事前に知っておかないと置いてけぼりを喰らうこと必至。(後半、ほぼ同じシーンをわざとリフレインさせる実験的かつ困惑的な編集もなされているので、そこも見る側を混乱させがち)
MEDEA (C) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.
ただし、そこさえ押さえておけば、この作品が神話の中に秘められた生贄や儀式といった人間が内包する原初的で野蛮な残酷性を強調しつつ、理不尽な男たちに対する女の悲劇が醸し出されていきます。
ふと、この作品を見ながら『楢山節考』(58)や『笛吹川』(60)などの木下惠介監督作品を思い出してしまいました。
木下監督もゲイとして知られ、また母親に対して惜しみない愛情を注ぎ続けた監督で、そこから発展した『二十四の瞳』(54)などヒューマニズム映画の名匠としてのイメージが強い一方で『日本の悲劇』(53)『女の園』(54)のような人間の心の闇を冷酷に描いた問題作や、また実験精神も旺盛な天才監督でした(もっとも映像そのものの技巧が多い点では、パゾリーニとかなり異なりますが)。
さすがに木下監督は『ソドムの市』は撮れないでしょうが、パゾリーニは意外に『二十四の瞳』のような作品もネオレアリズモっぽいタッチで描けてしまうかもしれません。
いずれにしましてもパゾリーニと木下惠介、美意識のベクトルこそ違えども、どこか決定的に同じものを感じずにはいられません。
MEDEA (C) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.
ちなみに『王女メディア』のマリア・カラスは、それまで名だたる巨匠たちの映画のオファーをすべて断り続け、またパゾリーニの『テオレマ』に嫌悪感を抱きながらも、当時愛人だったギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスがケネディ大統領未亡人ジャクリーンと結婚してしまったことから、本作のメディアに同じ女性としてのシンパシーを感じ、出演を決意したという説があります。
また彼女は撮影中、周囲が驚くほどにパゾリーニとウマが合い、それこそかなり惹かれていたものの、彼が同性愛者であったことから恋に発展することはなかったという噂も……。
パゾリーニの時代の
イタリア映画の相似性
『テオレマ』(C)1985 - Mondo TV S.p.A.
さて、常に芸術的に語られがちなピエル・パオロ・パゾリーニ監督とその作品群ではありますが、同時にマカロニ・ウエスタンや残酷ホラー、エロチック・コメディなど、彼と同時代的に世界を席捲し続けたイタリア映画特有のジャンル陣との相似性もそろそろ考慮していくべきではないかという気がしないでもありません。
この時期のイタリア映画人全体のジャンルの枠を超えた交流の数々は実にユニークで、たとえばイタリアン・ホラーの帝王ダリオ・アルジェントと『ラストエンペラー』(87)などのベルナルド・ベルトルッチがセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン超大作『ウエスタン』(68)の原案を務めていたり、『サンゲリア』(79)など“マスター・オブ・ゴア”こと残酷ホラーの第一人者ルチオ・フルチがマカロニ・ウエスタン『真昼の用心棒』(66)を監督していたり、パゾリーニ自身もマカロニ・ウエスタン『殺して祈れ』(67)に出演しています。
(余談ですが、マカロニ・ウエスタンこそはフランスのヌーヴェルヴァーグやアメリカン・ニューシネマなどと同等の、イタリアならではの血と暴力による映画運動として捉えていくと、実に面白い発見が多々うかがえそうです)
『王女メディア』MEDEA (C) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.
ベルトルッチはパゾリーニの監督デビュー作『アッカトーネ』の助監督を務めた後、パゾリーニ原案の『殺し』(62)で監督デビューを果しました。
一方でパゾリーニは『ロゴパグ』(63)『華やかな魔女たち』(67)『愛と怒り』(69)といったオムニバス映画にも積極的に参加しながら芸術肌の巨匠たちと名を連ねていますが、結構短編演出が性に合うところもあったのでしょうか。
とまれこうまれ、こうした事象の数々もまた、彼が芸術も娯楽も同じ地平としながら、ごく自然に活動していったことの証左なのかもしれません。
さらにはそうこう考えていくことで、『アッカトーネ』も『奇跡の丘』も『テオレマ』も『王女メディア』も『アラビアン・ナイト』も、そして『ソドムの市』も、ひとりの同じ人間=ピエル・パオロ・パゾリーニがクリエイトしていたことも容易に理解できてしまうような、今はそんな気がしています。
(文:増當竜也)
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