『テオレマ』『王女メディア』/鬼才パゾリーニが説く「天国も地獄も等しくこの世にある」こと


テレンス・スタンプが体現する
『テオレマ』の答えの数々


(C)1985 - Mondo TV S.p.A.

そうこう考えていきながら『テオレマ』『王女メディア』を鑑賞していくと、かなりの部分で理解しやすい作品になっていきます。

特に『テオレマ』はパゾリーニ作品の中でもかなり難解な作品とは言われていますが、確かに何の予備知識もなしにいきなり見始めたら(特に昨今の説明台詞まみれの日本のドラマに慣れ切ってしまっていると)何が何だかさっぱりわからなくなることでしょう。

その伝では、どちらの作品もチラシなどに記されたストーリーの概略くらいは読んでおいたほうが得策です。いや、逆にそれさえやっておけば、初見でかなりのところは理解できる2作品ではあるのです。

もともと詩人であり小説家でもあったパゾリーニですが、こと映画に関しては説明的なことを文字や言葉にするのを避ける節もあり、特に『テオレマ』『王女メディア』はおよそ安易なストーリーテリングといったものを拒絶しているのではないかと思えてしまうほどです。

しかし、技巧的に凝った画作りこそしていないものの、編集や音楽効果の妙、そして何よりもキャストそのものの魅力を最大限に抽出していくことで、作品の魅力は不思議なまでに増大していきます。


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その代表格が『テオレマ』の謎のストレンジャーを演じるテレンス・スタンプの謎めいた魅力で、彼はなぜブルジョアジー一家の大邸宅に身を寄せたのか、なぜメイドに息子、娘、妻、夫といった家族全員と「関係」を持ったのか、そしてなぜ突然いなくなったのか?

この「なぜ?」なる答えのすべてがテレンス・スタンプという俳優の醸し出すオーラそのものから発散されています。

そして彼がいなくなってから、家族全員の運命が崩壊していきますが、それぞれがどのようにおかしくなっていくかは見てのお楽しみとして、これまでもこれからもさんざ論考されていく『テオレマ』のテレンス・スタンプこそはキリストのメタファーであるようにも受け止められます。

キリストをこの世に現れたストレンジャーと捉え、彼が消えた後の世界がキリスト教宗派同士はもとより異教との確執や争いが現代に足るまで続いていることを思うに、『テオレマ』のブルジョア家族こそはストレンジャーとその残したものによって翻弄され続ける世界の縮図と捉えることも大いに可能ではないかと思えてなりません。

ちなみに「テオレマ」とは「定理」、つまりは「決まり事」とでもいった意味がありますが、その決まり事をぶち壊していくのも映画『テオレマ』の、そしてパゾリーニ映画の本質ではあるのでしょう。

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