『テオレマ』『王女メディア』/鬼才パゾリーニが説く「天国も地獄も等しくこの世にある」こと


すべての相反する要素が
同じ地平のパゾリーニ作品



このように、ピエル・パオロ・パゾリーニの生涯はスキャンダラスに満ちあふれ過ぎたものではあります。

共産主義者であり、同性愛者であったことから体験するに至った、貧困の実態を通しての社会への怒り。

スカトロジーやカニバリズムなども含むグロテスクな要素とエロティシズムを難なく同居させ、一方では母への愛を隠すこともなく、ファシストの父を憎み、正義の理想に燃えた弟が内ゲバで死亡するという衝撃の事件も組織=人が群れることに対する不信感を募らせていったようにも思われます。

さらには『奇跡の丘』と『ソドムの市』を同じ人間が撮れてしまうというのは、一体……?

しかし、そこにこそパゾリーニ作品の本領が隠されているようにも思えてなりません。

キリストをあくまでもひとりの人間として描くことで聖性を醸し出し得た『奇跡の丘』も(パゾリーニは無神論者でありつつ、「だからこそ宗教に対するノスタルジーがある」とも発言しています)、この世の生き地獄を描いた『ソドムの市』も、同じ次元で繰り広げられている事象のひとつに過ぎないという、いわば「天国も地獄も同じ地平にある」というのがパゾリーニ作品なのではないでしょうか。

即ち聖なるものも性なるものも、高貴なものも下劣なものも、幸福も不幸も、エロもグロも、パゾリーニ映画の中では同等です。

もちろんコミュニストとして、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの告発といった要素も確かにありますが、この両者とて同等に位置づけようとしている節も感じられないではありません。

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