映画コラム

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2023年07月22日

『君たちはどう生きるか』がわかりやすくなる「8つ」の考察|宮﨑駿が“アニメ”または“創作物”に込めたメッセージとは

『君たちはどう生きるか』がわかりやすくなる「8つ」の考察|宮﨑駿が“アニメ”または“創作物”に込めたメッセージとは



1:眞人のリアクションの薄さと、悪夢のような支離滅裂さの理由


キャラクターそれぞれの解説・考察の前に「悪夢のような支離滅裂さ」がある理由に触れておきたい。

特に気になったのは、部屋にやってきたアオサギが人間の言葉でしゃべったのに、主人公の眞人がただ「しっしっ」と追い払ったこと。「しゃべった!?」と驚くであろう観客とかなりの乖離があるのだ。それは頭の傷の痛みもあってのことかもしれないし、物語の序盤で(後述するナツコへの嫌悪感もあって)ほとんどしゃべらない冷静沈着な眞人らしい言動ともいえるが、それだけではないだろう。

それ以外でも、下の世界はペリカンやインコなどの生き物が存在しており、それぞれの世界のつながりもどこかつぎはぎで、母であるヒミやおばあさんだったはずのキリコが若返った姿でいたりと混沌としており、まるで悪夢を観ているような感覚がある。全体的なトーンも、かなりダウナーだ。


このような作風になった理由は、陰惨で残酷な場面もある小説「失われたものたちの本」からの影響が強いと思われる。

宮﨑駿監督は「刺激を受けたが、原作にはしない」と明言しているのだが、第二次世界大戦のさなかであったり、主人公の少年の鬱屈した感情だったり、死んだはずの母からの声が聞こえるなど、ほとんど「原案」と言っていいほどに共通点が多い。その中には、以下のような記述もある。

「デイヴィッドは、白日夢を見るようになっていました。彼には、そうとしか説明のしようがありません。それはまるで、たとえば夜遅くに読書をしたりラジオを聴いたりしているうちに疲れてきて、ほんの刹那、睡りに落ちて夢を見はじめたというのに、自分が寝てしまったのも分からないものだから、世界がとても怪しげなものに見えてくるような感じなのです」

『失われたものたちの本』43ページ

下の世界に行く以前から、まるで恐ろしい悪夢が現実に侵食してきたような恐ろしさがあるのは、まさに“白日夢”だからだろう。

眞人がアオサギがしゃべったりしても驚かなかったり、ナツコが森に入っていくのを見てもスルーしてしまうのは、「夢の中で変なことが起きても驚いたりするリアクションをしない」ことへの反映ではないか、とも思うのだ。

2:悪意が“自分を傷つける”かたちで表出した眞人=かつての宮﨑駿?


眞人は、石で自分の頭を傷つけた。同級生と取っ組み合いのケンカにもなっていたこともあったが、彼はそれ以上の深い傷を自らつけて、父やナツコに「自分で転んだ」とウソまでついたのだ。

その理由のひとつは、母の妹であるナツコが新しい母になること、お腹の中に赤ちゃんがいることへ、そこはかとない拒否反応または嫌悪感をつのらせていたことだろう。さらに、父は後に転校先へ車で乗りつけたり「学校なんて行かなくていい。どうせろくに授業もしていないんだから」などと言ったりと、一方的な“善意”を押し付けてくる存在でもあった。


そのような環境にいて膨れ上がっていった眞人の悪意が、他の誰かを傷つけるのではなく、まるで自分への“罰”のように表出したのだろう。もしくは、自分の苦しみを物理的な深い傷として、その原因でもあるナツコと父に見せようとしたのではないか。最終的に、眞人は自分自身でつけた頭の傷を「悪意のしるし」だとも言ったのだから。

だが、眞人はとてもやさしく、誠実であろうと奮闘していた少年であったとも思う。ナツコの寝室から盗んだ(2本だけしかなかった)タバコも、屋敷のおじいさんにあげて(その見返りのためか)刀の研ぎ方を教えてもらっていた。

悪意のままに迫ってきたり、ニセモノの母を作ってだましてきたりしたアオサギには、攻撃をしていたが、後にはくちばしに空けた穴を埋めてあげたこともあった。ヒミの炎により“わらわら”が燃えたことに、声を荒げていたこともあった。何より、今の自分は好きではなくても、“父が好きな”ナツコのために危険な場所へも自ら赴いた。

つまり眞人は、本質的にはやはり他の誰かが傷つくことを嫌う、いや他の誰かのための行動を常にしている性格なのだ。だからこそ、自分を傷つけてしまうことも厭わない危うさもあったのだろう。


そのような矛盾に満ち満ちた眞人と、この映画の監督である宮﨑駿とは、空襲を経験していたり、幼い頃から母が不在(寝たきり)だったりするなど共通点が多い。しかも、両者は吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」を読み感銘を受けていた。

その小説が提示する教訓はとても多く一言では表せないが、「大きな苦しみを感じるのは、自分が正しい道を進んでいるからだ」があることを告げておこう。

眞人は現実で苦しみ、下の世界でさまざまな経験をして、自分の中に悪意があることを認め、現実へ戻ることを決めた。

宮﨑駿が、母を失うなどして大きな苦しみを受け、それでも“正しい道”を進んでいった、かつての自分自身の姿をファンタジーを持って描いたのが、この映画なのだろう。(眞人が託されたメッセージは他にもあるが、それは記事の最後に記す)

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