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<考察>『関心領域』問い直される「悪の凡庸さ」について

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5月24日(金)よりホロコーストを題材とした異色作『関心領域』が公開されている。

2023年・第76回カンヌ国際映画祭にてグランプリを受賞したほか、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞、音響賞の二冠に輝いた作品である。

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ホロコーストを扱った“問題作”公開



本作は、アウシュビッツ強制収容所群を扱った作品でありながら、ナチスによってガス室等で虐殺されるユダヤ人を直接描かないことで話題となった。

タイトルは、ポーランド・オシフィエンチム郊外に設けられたアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む地域を示す言葉。その一方で、すぐそばで虐殺が行われているにもかかわらず、何事もないかのように振る舞う人々の心理を象徴している。

監督はジャミロクワイMVを手掛けたあの人



そんな『関心領域』を手掛けた監督は、ジャミロクワイ「ヴァーチァル・インサニティ」のMVで知られるジョナサン・グレイザー。彼は長編映画をいくつか手掛けているが一貫して、ジャンル映画を変わったアプローチから描いている。

長編デビュー作『セクシー・ビースト』では、悠々自適な隠居暮らしを送っている元ギャングのもとに銀行強盗の参加を呼び掛けるため仲間が訪れるといった作品。フィルム・ノワール特有の、大きな富を前に犯罪を企て人生が狂わされる話かと思いきや、ひたすら元ギャングが誘いに抗っていく内容であった。

続く『記憶の棘』では、家庭に見知らぬ人物が侵入し関係性が破壊されていくテオレマものでありながら、その手のジャンルを好む観客を裏切っていく。物語上の裏切りを読み解いていくと、過去に縛られた者の葛藤が浮かび上がっていくギミックとなっている。

(C)Seventh Kingdom Productions Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2014
(C)Seventh Kingdom Productions Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2014

『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』
では、男を誘い出し、皮を剝いでいく宇宙人を描いたSF映画ではあるが、説明的場面を排除し、独特な皮剥ぎシーンで繋いでいく。前衛的でありながらルッキズムを批判した作品となっている。

このように、ジャンル映画を外して描いてきた監督だけに先述の通り、ホロコーストを間接的に描く内容となっているのだ。

『関心領域』を読み解くにあたって、落とし穴となる部分がある。それが「悪の凡庸さ(陳腐さ)」だ。

一般的に、誰しもがシステムの中で虐殺のような凄惨なことを容認してしまう状況を示す概念である。本作を語る上でも、ついこの言葉に頼りたくなるのだが、慎重に使わないと映画の本質を見誤る可能性がある。

本記事では、「悪の凡庸さ」や『関心領域』を深く知るための補助線となる映画に触れながら読み解いていく。

※本記事では、物語の核心に触れるようなネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

「悪の凡庸さ」を問い直す一本

■『関心領域』の物語構造について


まず、『関心領域』の物語について振り返っていく。本作は、アウシュビッツ強制収容所の近くにある所長の屋敷を舞台にしている。そこで暮らす人たちは、銃声や悲鳴がうっすら聞こえるにもかかわらず何食わぬ顔で生活を送っている。その生活を、主に固定カメラで観察するよう捉えていく。その中で観客はギョッとする瞬間に立ち会うこととなる。

たとえば、服がリビングに並べられて、必要なものを回収していく場面がある。立ち止まって考えると、その衣類はユダヤ人から強奪したものであることが分かる。奪い殺した者の衣服をサンドラ・ヒュラー演じるヘスが、鏡の前で着飾るシーンに気持ち悪さを抱くであろう。


映画は淡々と生活する人々を捉えていくため、「虐殺は関心の外側にあるのでは?」「悪の凡庸さに飲み込まれた映画」だと思うかもしれない。では、「悪の凡庸さ」とはなんだろうか?

この概念のルーツとなったハンナ・アーレント「エルサレムのアイヒマン」を読むと、我々が想像するものとは異なることに気づかされる。同時に、映画の捉え方も少し変わってくるだろう。

■誤解が多い概念「悪の凡庸さ」


第二次世界大戦中、ナチスのユダヤ人虐殺に関与した重要人物としてアドルフ・アイヒマンはブエノスアイレス近郊で捕まり裁判にかけられる。

哲学者であるハンナ・アーレントは、この裁判を研究し、虐殺が行われた仕組みを考察した本「エルサレムのアイヒマン」を出版する。その中で「悪の凡庸さ(陳腐さ)」といった概念が生まれた。しかしながら、本書の中では2度しか使われていない。


それはあたかも、この最後の数分間のあいだに、人間の邪悪さについてこの長い講義がわれわれに与えてきた教訓——恐るべき、言葉に言い表すことも考えてみることもできない悪の陳腐さという教訓を要約しているかのようだった。

(「エルサレムのアイヒマン」より引用)

実際に「悪の凡庸さ(陳腐さ)」が使われている部分を読むと、具体的な定義について語られていないことが分かる。そのため、直感的イメージで捉えるとアーレントの意図とは異なる使い方となってしまう問題がある。


副読本「<悪の凡庸さ>を問い直す」にて、この問題は整理されている。

まず、アーレントは「凡庸さ」を「ありふれていること」として使っておらず、アイヒマンのような有能で野心的でよくいる存在ではない様を表現するために用いている。

次に、組織の歯車として虐殺を行ったから自分に責任はないといった主張は通用しない立場をアーレントは取っている。

そして、一般的な「悪の凡庸さ」に説得力を持たせるものとして「ミルグラム実験」があるが、彼女はこの実験を批判している。

ミルグラム実験とは、目の前の被験者が回答を間違う度に電気ショックを与えるよう命令する。電気ショックはどんどん強くなる。もちろん、実際には電気ショックは与えないのだが、参加者の多くが致死量レベルの電気ショックを流すまでにいたった実験である。


命令であれば、誰でも非人道的なことを行ってしまうことを証明したこの実験は、ハーレントの「悪の凡庸さ」と結びつけられた。しかし、彼女はこの実験を「誘導と共生は同じだという無邪気な思い込み」と批判している。

つまり「悪の凡庸さ」とは、単に社会の歯車として悪に加担してしまう状況を示しているのではないのだ。映画も同様に、登場人物がホロコーストのシステムの中で虐殺せざる得ない状況を描いているのではなく、むしろ虐殺を意識しながらも「関心領域」の外側に追いやろうとしているといえる。

具体的な場面に注目する。川辺で子供たちが水遊びをしていると、灰が流れてくる。それを見て、ヘスは慌て始め、子どもを川から避難させ、全身を洗う。虐殺に伴う灰が有害物質であることを親は知っているのである。だから、あそこまでヘスは狼狽するのだ。

▶︎「エルサレムのアイヒマン」を読む

▶︎「<悪の凡庸さ>を問い直す」を読む

『関心領域』を深く知る“5つ”の作品

『関心領域』はシンプルな作品でありながら、別の作品で補助線を引くと深く映画の構図に迫れる作品である。

ここでは、5つの作品を紹介しながら『関心領域』との関係性について説明していく。

1.『SHOAH ショア』



ホロコーストの記憶を戦時中のフッテージを使わずインタビューだけで構成した9時間27分におよぶドキュメンタリー『SHOAH ショア』は、観客の想像力の中で虐殺のイメージを作り出す上で重要な比較材料であろう。

実際に『関心領域』と通じる場面があり、ガス室の図を見せながら淡々と虐殺のメカニズムについて語っていく場面は、『SHOAH ショア』における元SS伍長フランツ・ズーホメルが地図を見せながら虐殺について語る場面と類似している。

また、トレブリンカの農民たちが収容所のすぐそばで銃声や悲鳴などを耳にしながらも感覚が麻痺し、関心の外側へ虐殺が追いやられていったと語る場面は、『関心領域』に登場する人物の精神に直結するものがある。

フランスの老舗雑誌カイエ・デュ・シネマでは、『関心領域』の評とあわせ、『SHOAH ショア』やこの作品を手掛けたクロード・ランズマン監督の関連作品について分析している。このことからも、『SHOAH ショア』は重要な作品といえよう。

2.『オキュパイド・シティ』



2023年のカンヌ国際映画祭では『関心領域』のほかにA24からホロコーストを扱った作品が上映された。それが『オキュパイド・シティ』である。

コロナ禍のアムステルダムの風景を背にナチス占領下の記憶が語られていく、4時間におよぶドキュメンタリーだ。

『SHOAH ショア』とは異なり、インタビューを行わず、歴史的事実をナレーターが語っていくスタイルを取っている。また、アムステルダムといえばアンネの日記の舞台となった隠れ家があるが、そこにはカメラを向けず、街の記憶を均等なグラデーションで捉えていく内容となっている。

カンヌ国際映画祭でA24が『関心領域』と『オキュパイド・シティ』を発表したことは重要な意味を持っているだろう。

3.『There Will Be No More Night(Il n'y aura plus de nuit)』



『関心領域』では、突如暗視スコープの映像に切り替わる場面がある。夢特有の、ぼやけた画を表現しているようにも見えるこの場面。フランスのドキュメンタリー映画を踏まえると腑に落ちるものがある。

それが全編暗視スコープで捉えた『There Will Be No More Night(Il n'y aura plus de nuit)』である。本作はイラクやシリア、アフガニスタンでフランスとアメリカ兵が記録した暗視スコープによるフッテージを並べた作品である。

まるでゲームのように思える画の中で、爆撃が行われ、死が映し出される。フィルターによって人間と人間との心理的距離が遠くなり、命が軽くなってしまう様を観客に突き付けた本作。

『関心領域』はフィクションでありながら、ホロコーストは実際に行われており、フィクションを凌駕する凄惨さがそこにある。このことを観客に意識させる描写として、暗視スコープの場面があるのではないだろうか。

4.『アウステルリッツ』



映画の終盤で、吐き気を抱きながら階段を降りる人が廊下の深淵を見つめる。すると、現代のアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館へとうつる。

虐殺の痛ましさを関心領域外に押し込もうとしている者が「歴史はお前を見ている」と言われているような気がしてゾっとする場面である。

この場面を補足するものとして、セルゲイ・ロズニツァ監督がダークツーリズムとしての元収容所観光を批判した『アウステルリッツ』がある。元収容所が観光地となっているため、ガイドの話を聞かずに写真撮影に没頭したり、娯楽として消費している人たちが映し出されている。

「歴史はお前を見ている」一方で、歴史を見ている側も真摯に向き合う必要がある。説明を排した音を通じて歴史と向き合わせる『関心領域』に対して画で向き合わせる『アウステルリッツ』を併せて観ると理解が深まるであろう。

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5.『オッペンハイマー』

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『関心領域』は『オッペンハイマー』と重なる部分がある。どちらも野心的な者が、虐殺を念頭に入れながらも出世や科学的成功を取り、黙々と虐殺に加担していく様子が描かれている。

まさしくハンナ・アーレントが想定する「悪の凡庸さ」を体現した人物が描かれるのである。『オッペンハイマー』では、「悪の凡庸さ」に染まった結果、裁かれることとなり、彼の葛藤が表面化していく内容だった。

『関心領域』では明確に描かれなかった「悪の凡庸さ」に染まる者の葛藤を読み解くうえで『オッペンハイマー』は良いヒントとなることであろう。

関連記事:予習&復習におすすめ>『オッペンハイマー』とあわせて観たい「4つ」の映画

最後に


「悪の凡庸さ」
は、会社や社会といった群の中で身動きが取れなくなり悪へ加担してしまう言い訳として使いたくなる。そして『関心領域』は「悪の凡庸さ」を扱っている作品であるため、その論を補強する映画に見えるかもしれない。

しかしハンナ・アーレントはそのような使い方を批判しており、映画もまた、意識的に関心領域の外側へ悪を追いやってしまう問題についての作品となっている。

もし、本作をきっかけに「悪の凡庸さ」について興味が出てきたのなら、上記に挙げた作品に触れたり、以下の参考資料に触れることをオススメする。

参考資料

  • 『SHOAH ショア』DVD-BOXリーフレット
  • 「新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」(ハンナ・アーレント 著、大久保和郎 訳、みすず書房、2017年8月23日)
  • ・「<悪の凡庸さ>を問い直す」(田野大輔、小野寺拓也 編著、香月恵里、百木漠、三浦隆宏、矢野久美子 著、大月書店、2023年9月20日)
  • ミルグラムの電気ショック実験(公益社団法人日本心理学会、サトウタツヤ)
  • CAHIERS DU CINEMA JANVIER 2024 N°805

(文:CHE BUNBUN)

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