NHK大河ドラマ「青天を衝け」徹底解説!【※ネタバレあり・第8話まで進行中!】
第4話のあらすじ&解説
第4話のあらすじ
栄一(吉沢 亮)は仕事にますます励み、もっとよい藍を作るにはどうしたらよいかと思い巡らせていたが、ある妙案を思いつく。一方、幕府はペリー(モーリー・ロバートソン)の再来航が迫り混乱していた。
斉昭(竹中直人)は、次期将軍候補である息子・慶喜(草彅 剛)に優秀な家臣を付けようと、変わり者の平岡円四郎(堤 真一)を小姓に据える。
そしてついに、日米和親条約が締結。
開港のうわさは血洗島にも届き、栄一たちはがく然とする。
そんな中、父・市郎右衛門(小林 薫)の名代として、多額の御用金を申し渡された栄一は、その理不尽さに、この世は何かがおかしいと感じ始める。
第4話の解説
ほぼ同じ内容を動画でも展開しております。図解を用いているので合わせてお楽しみください。■歴史的背景「ペリー再来日に備え、揺れる幕府」
時は1853年の。ペリーが再来日を宣言し、一度去った後のお話です。将軍は徳川家慶の死後、頼りなき徳川家定が就任。口うるさくないのが良いのか悪いのか、阿部正弘をはじめとした老中たちが幕府を実質的に動かしていました。
幕府関係者の大半が鎖国継続を支持する中、言い分はわかるもののその方針で本当に日本の国を守りきれるのか不安に思うものも多くいました。
そして翌年1854年にペリーが再来日。品川沖に台場(砲台を置く埋立地)の確認をしたペリーは強硬な態度に。結果的に横浜において1ヶ月の交渉の後で日米和親条約が締結されました。
開国は、「桜田門外の変」で殺される井伊直弼や、堀田正睦らが中心となって推進されました。一方で最後の最後まで鎖国継続、通商反対を貫き通していたのが徳川斉昭でした。徳川斉昭は第5話においても強硬な態度に出ますが、これらはあくまでも国を思い、天皇を敬っているからこそ。時に暴走こそしますが、彼には悪意はなく、ドラマにおいても決して悪役という立場ではないという点は覚えておきましょう。
なお、徳川斉昭の「通商反対」については、実は「日米和親条約」において受け入れられています。「日米和親条約」は、下田と箱館の開港をする条約で通商に関しては盛り込まれていなかったのです。もちろんアメリカは不服に思う部分があったため、これに関しては1858年の「日米通商航海条約」におい取り決めされることとなります。
■その頃徳川慶喜は?
徳川慶喜に関しては、平岡円四郎との出会いが描かれました。世間知らず、作法知らずの平岡円四郎ですが、丁寧に作法を教える徳川慶喜に対して非常に好感を覚える回でした。
なお、徳川慶喜は平岡円四郎に対して「諍臣」になってほしいと打診します。これは「自分が間違ってると思ったら、遠慮なく進言する」ということ。
人の意見を聞く謙虚な徳川慶喜という図を決定づけるエピソードでした。
■その頃渋沢栄一は?
その頃渋沢栄一は血洗島村において読書に商いにと忙しい日々を送っていました。
今回特に印象的だったのは藍農家の番付表を作って公開したこと。その年で最も良い藍を作った農家を「大関」としてもてなしたのです。また、そこで「どうやったらこんな良い藍ができるのか」をヒアリングすることで、他の農家も翌年参考にできます。
競争原理と協力姿勢、文字通りの「切磋琢磨」が実現することで、村全体の藍の質向上に繋がりました。後に500社以上を起業する渋沢栄一の商売人の片鱗がここにも見えたというわけです。
一方で渋沢栄一を怒らせるエピソードも。岡部の陣屋の代官、利根良春が莫大な御用金を要求してきたのです。これには一同不満を持つものの、代官の言うことは絶対の世の中なので承服します。
しかし、渋沢栄一は食って掛かりました。それは無礼に値しますが、視聴者からすれば栄一の言い分は至って常識的なもの。
それでも承服せねばならず、渋沢栄一は憤りました。この怒りから、渋沢栄一は社会に対して疑念を抱き始めます。それは後に「尊王攘夷運動」へと繋がっていくのです。
■渋沢栄一と徳川慶喜の対比
第2話、第3話で描かれた渋沢栄一と徳川慶喜の対比は今回も見られました。
が、今回は少し特殊でした。
今回は、「徳川慶喜=人の意見を聞く者」「利根良春=人の意見を聞かない者」という対比でした。
平岡円四郎は、そんな徳川慶喜に惚れ込みます。そして渋沢栄一は、人の意見を聞かない利根良春に憤りました。
こういった対比はおそらく第14話付近まで続くと推測されるので、鑑賞する際に頭に入れておくとより楽しむことができるでしょう。
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