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映画コラム

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2021年03月11日

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』もっと面白くなる「5つ」のポイント解説(※後半ネタバレ全開!)

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』もっと面白くなる「5つ」のポイント解説(※後半ネタバレ全開!)


4:(ネタバレ)ヒロインたちからの卒業、そして創作物の向き合い方についての物語

レイとアスカは、後のオタク文化も多大な影響を与えた、ポップカルチャーにあまりに浸透していたキャラクターでした。
最後に大人になったシンジがくっつくのが、新劇場版から登場した、型破りな性格のマリであるということは、やはり「レイとアスカというヒロインからの卒業」を意味しているのでしょう。

そのアスカが、今回でレイと同じくクローンだったこと(だから新劇場版では苗字が惣流から式波に変わっている)が判明するというのも、やはり「作り物」としてのアニメのメタファーなのだと思います。

そして、今回のシンジは、クローンであったアヤナミレイ(仮称)を、他に名前がつけられない、綾波レイだと認めます。
シンジは、(旧劇場版では同じ浜辺で「気持ち悪い」と最後に言われてしまった)アスカにも「好きだった」と過去形で告白します。
その「(アニメを)(そのヒロインを)好きだった」気持ちは、大切にしていいんだよ……そう庵野監督に告げられているようでした。

ラストシーンは、アニメであるはずのシンジとマリが、実写である駅の外の世界に出ていくという、アニメと現実がシームレスにつながったものでした。
庵野監督が旧劇場版で打ち出した、実写映像を交えたメタフィクション的な構造および、「アニメばかり観ていないで現実に戻りなさい」とも解釈できたメッセージの本質は、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でも変わっていません。(その旧劇場版の終幕はほとんど観客への悪意とも捉えられるほどの、陰惨なものでもありました)

しかし、今回は「アニメで得たものが現実に繋がっている」んだと、アニメを現実からの逃避のためではなく、現実を生きるためのものであると、再定義しているような、そんな優しさを感じたのです。

また、この映画そのものが庵野監督から妻である安野モヨコへのラブレターであり、シンジ=庵野監督、マリ=安野モヨコとも捉えられますよね。
劇中に『シュガシュガルーン』が出てきますし、安野モヨコ作画の絵本を子どもが読んでいたりもするのですから。

庵野監督の「これからも同じクリエイターである妻と一緒にいたい」という気持ち。

そして、アニメおよび『エヴァンゲリオン』を観てきた受け手たちに、「アニメもいいけど、現実で素敵な人を見つけてね(現実でもいいことがあるかもよ)」という気持ちがあらわれたのが、あのラストシーンなんだと思います。

だからこそ、終盤で今までの『エヴァンゲリオン』シリーズのタイトルが表示されたり、アニメが絵コンテになるというメタフィクション的な描写が、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』には必要だったのでしょう。

レイやアスカというヒロインたちからの卒業を描いたことで、同時に『エヴァンゲリオン』という作品そのもの、ひいてはアニメおよび創作物の向き合い方についての物語になっているというのは見事という他ありません。何かを卒業をしたとしても、「好きだった」気持ちを大切して欲しい。そういうメッセージが確実にあるのですから。

また、今回はクローンが第3の少年=シンジが好きになるように仕組まれたプログラムまでもがあることが示され、『Q』からは「エヴァの呪縛」という「アスカが14年経っても未だに14歳の少女のまま」という設定もありました。

これは「ヒロインは絶対に主人公を好きになる」「現実でどれだけ時間が過ぎようともアニメの中のヒロインの年齢は変わらないまま」という、ある種の「アニメの中のキャラクターを縛り付ける」ことのメタファーなのでしょう。

そんなアニメの中のアスカとレイもまた、シンジ=受け手から卒業し、自由になったのだろう……という感慨もありました。

その上、貞本義行によるマンガ版の最終14巻に収録されている「EXTRA STAGE」で、マリはシンジの母であるユイが好きだったことが明かされています(新劇場版ではユイの旧姓が碇から綾波に変わっており、別の世界の人物ではあるのでしょうが)。その意味でも、最後にマリが(ユイに似ている)シンジを選ぶ理由があったのです。

さらに、大人になったシンジの声を演じていたのは、神木隆之介でした。

ご存知『君の名は。』で主人公の声を務めた彼を最後に「送り出す」というのは、同じくセカイ系(主人公の行動が世界の命運と直結するなどの作品群)の作家である新海誠監督に「これからのアニメのことは任せますよ」という、次世代へのバトンタッチの意味も込められていたのではないでしょうか。

さらに、旧劇場版で「結局、シンジ君の母親にはなれなかったわね」と言っていたミサトが、加持との子どもを生み、彼が14歳まで立派に成長していた…というのも次世代へのバトンタッチを示唆していたのだと思います。

母親となった、おそらくシンジのことも自分の息子のように思っていたであろうミサトも「見送ることができた」感動がありました。

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