映画コラム

REGULAR

2017年10月06日

『あゝ、荒野』 菅田将暉の濡れ場に興奮し、魂を削り取るような拳闘に圧倒されろ!

『あゝ、荒野』 菅田将暉の濡れ場に興奮し、魂を削り取るような拳闘に圧倒されろ!



4:実は近未来の物語だった!寺山修司への圧倒的なリスペクトも満載!




©2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ


本作の原作となるのは、なんと50年以上も前(1966年)に出版された、寺山修司による小説です。主役2人のキャラ設定や、一部のシーンやセリフは映画でも再現されていますが、年代設定が2020年の東京オリンピックの後(2021年という近未来!)になるなど、大胆なアレンジも加えられていました。

小説のあとがきにて、寺山修司は「大雑把なストーリーを決めておいて、あとは全くの即興描写で埋めていくという、モダン・ジャズのような手法で書いてみようと思っていた」「最初からわかっていたものは何一つとしてなかった」などと答えています。つまりは良い意味で行き当たりばったりで、その自由奔放な語り口も魅力になっていました。

映画では、この原作にあったエッセンスを十分に採り入れた上で、終幕に向けてあらゆる要素が“計算”されたかのような、物語としての圧倒的な完成度を備えていました。多数の人間が織りなす、関係性が多層構造で積み上がっていく“群像劇”としての魅力はさらに増し、(役者の魅力も相まって)彼らの葛藤はよりダイレクトに響いてくるでしょう。

やや唐突に挟まれる“自殺防止研究会”のパートも、その自由かつ哲学的な思想も盛り沢山だった小説に、多大なリスペクトを捧げていると言っていいでしょう。ドローンや動画共有サイトといった現代的なものが登場する一方で、ちょっとでも寺山修司の演劇を知っている人であれば、「寺山修司だ!」と気付ける、奇妙なビジュアルのパフォーマンスも展開するのですから。

そして、主役2人の物語と、まったく関係のないように見えるその自殺防止研究会のパートは、やがて有機的に結びつき、大きな意味を持つようになります。“スポ根”としての醍醐味にとどまらず、群像劇としての面白さ、哲学的思考をも促してくれる本作の、なんと贅沢なことでしょうか!

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