『おおかみこどもの雨と雪』賛否両論の理由を考える:なぜ狼の姿でベッドインしたのか?【解説/ 考察】
3:作中で描かれた主人公の“愚かさ”、そしてそれに対する“批判”とは
“彼”をなくした後の花は、はっきり言って周囲に対して“排他的”でいます。出産は病院に行かずに自分自身で行い、公園では母親たちの会話に加わらない、子育てに関する勉強は独学、あまつさえ定期検診や予防接種を受けようともせず、田舎へと移り住んでしまいます。
おおかみこどもであることを公にしたくないからといって、これは子どもを社会から断絶する行為に他なりません。それでいて花は自分がこどもを守らないといけないという使命感からか、それを“正しいこと”のように続けている……これに拒否反応を覚える方がいるのも無理からぬことでしょう。
その後の田舎暮らしでも、花は“あいさつされてもすぐに立ち去ってしまう”ほどに周囲の人たちコミュニケーションが取れていませんでした。さらに、いくら独学で勉強しても作物を枯れさせてしまい、雪を「私たち、これからどうなるの?」と心配させてしまっていました。
しかし、強面のおじいちゃんの韮崎(にらさき)さんから畑の耕し方を教えられてからは、その生活は一変します。畑を多めに耕したことにより物々交換ができるようになり、(韮崎さんからの働きかけもあり)花は多くの人と“助け合う”という関係が築かれるようになりました。
また、花が「林の中の枯葉を拾ってもいいですか?」と聞くと「そんなことを聞くやつはいないよ!」と、「種イモは土に植えるものですか?」と聞くと「それ以外にどんな使い道があるっていうんだい?」と返されるシーンもありました。花は独学ではわかりようがない“常識”を身につけていっているのです。
それでいて、作中では“誰かの意見が絶対に正しいということはない”ということまで提示されています。
たとえば、花に一緒に植える野菜や水のやり方について「これはこうだ!」「いいや違う!お前には任せておけん!」などと言い合いながら教えていた2人のおじさんがいましたね。あれだけ花の助けになってくれた韮崎さんでさえも、雨が学校に行かないことに「小学校から学校に行かないやつは見込みがある。わしやエジソンのようにな」と言って、その娘に「また適当なことを言って」と返されています。
こうして様々な意見や、それに対する批判があることで“何か1つだけの価値観を持っていることの危険性”がわかるようになっているんですね。
花はそうした田舎暮らしを振り返り、「人目を避けるために田舎に来たけど、今では里のみんなにお世話になっている」としみじみと口にしました。言うまでもなく人は1人では生きていけないですし、母親も周囲の助けを借りなければ子育てをすることなどできないでしょう。
こうしてみると、花がしていた“排他的”な子育てが間違っているものであると、しっかり作中で批判がされていた、と感じるのです。
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(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会