映画コラム

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2017年03月24日

『おおかみこどもの雨と雪』賛否両論の理由を考える:なぜ狼の姿でベッドインしたのか?【解説/ 考察】

『おおかみこどもの雨と雪』賛否両論の理由を考える:なぜ狼の姿でベッドインしたのか?【解説/ 考察】


6:雨は“自然を味方に”していた



赤ちゃんの時からおてんばだった雪は、小学校でヘビを素手で捕まえて驚かれたりしたことをきっかけに“周囲の子どもと合わせる”必要性がわかり、そして“人間”として生きることを選択していきます。母親の花と同じように……。

一方で、雨は自然の中で狼として暮らすことを決断しました。秀逸なのは、母親である花が、雨に“追いつけない”という描写があることです。雨が川に落ちて溺れそうになった時、花は(さっきまで雪の上で笑っていたのに)積もった雪に足をとられてなかなか辿りつけませんでした。終盤に、花は嵐の中で雨を追いかけても道から外れて落下して、気絶をしてしまいました。

花は、狼の姿のまま去ろうとしている雨に「私、まだなにもしてあげていない」と言いますが、すぐに「元気で、しっかり生きて」と旅立ちを肯定できるようになっていました。

この“突然の旅立ちの肯定”も、いきなり育児を放棄しているようだ、と否定的な意見を呼ぶ理由でもありました。ただ、筆者は「なにもしてあげていない」というほどに花が母親としての責任感を感じていたということ、花がここで“自身の汚れた手”を見つめていたこと、そしてナレーションの「一夜にして世界が生まれ変わったようだった」という言葉で、存分に納得することができました。

花は“人間の母親でならなければならない”という価値観にも囚われていたのでしょう。最終的に雨が自然の中に旅立っていったのは、花がその前に雨に言っていた「お母さんは狼が好きよ。世界中が狼を嫌っても、お母さんだけは狼の味方」という言葉を覆すものだったのではないでしょうか。

なぜなら、雨は自然の中で“先生”と呼ぶキツネを見つけ、雄大な自然の先で湖を見つける喜びを知り、花がどれだけ追いかけて“汚れた手”になろうとも、追いつけない存在になった……つまり、花の言う「世界中が狼を嫌っても、お母さんだけは狼の味方」なんてことはなく、世界(自然)は狼(息子の雨)の味方であってくれたのです。それがわかったからこそ、花は「元気で、しっかり生きて」と言うことができたのでしょう。

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(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会

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