『風立ちぬ』を深く読み解く「10」のこと!
8:“他の人にはわからない”ラブストーリーだった?
本作の後半は、堀辰雄の小説「風立ちぬ」の展開をなぞらえたラブストーリーになっていきます。ここにおける二郎と菜穂子の関係および愛情こそ、「他の人にはわからない」が表れていると思うのです。
例えば、二人のやりとりではこんなシーンがあります。軽井沢の地で、二郎はクリスティーナ・ロセッティの詩「風」を読み上げてから紙ひこうきを飛ばしますが、屋根の上で止まってしまいます。二郎は登って取ろうとしますが、あわや落ちかけてしまいます。その紙ひこうき下にいるカルストプのすぐそばを通って、たまたま菜穂子のいるところに届きます。菜穂子はその紙ひこうきを投げ返しますが、受け取ったのはカストルプで、彼は紙ひこうきを握りつぶしてしまいました。
さらに、二郎は今度はゴムで飛ぶ紙ひこうきを作り飛ばしますが、一度は失敗して後ろに倒れます。もう一度飛ばすと今度は菜穂子があわや落ちかけてしまい、菜穂子の帽子を二郎は木に突入しながらも必死に取りにいきます。その時には、カストルプは飛行機を取ったりはせず、微笑んでいました。(このやりとりは、序盤で二郎が風で飛ばしてしまった帽子を菜穂子が受け取ったことと対になっています)
この紙ひこうきを使ったやりとりでわかるのは、二郎が“飛行機そのものを愛する者へのコミュニケーションにしてしまっている”ということです。事実、その前の二郎は夜に明かりが灯っている菜穂子の部屋を見ているだけで何もしできませんでした。スパイでもあるカルストプが二人の邪魔をしなくなったというのも、そのやりとりが他人には不可侵な者であることを象徴しているのでしょう。二郎と菜穂子がそれぞれベランダから落ちかけてしまうというのは、ふたりの関係性が文字通りに“死んでしまうかもしれないほどに危うい”ことを示しているのではないでしょうか。
さらに、二人の関係を端的に表しているのは、結婚した後でのことです。二郎は菜穂子が寝ている横で仕事を始めてしまい、菜穂子が「お仕事をしている時の顔を見るのが好き」と言います。それだけではなく、二郎はなんと「タバコを吸いたい、ちょっと離してもいい?」と聞き、菜穂子は「だめ。ここで吸って」と答えるのです。
言うまでもなく、結核にかかっている愛する者の側でタバコを吸うなんてことは言語道断、客観的に見ればどうあっても“正しくない”ことです。しかし、菜穂子は紙ひこうきを使った二郎のコミュニケーションを受け入れ、そしてタバコを吸いながら側で軍用機の仕事をすることをも肯定するのです。(そういえば関東大震災の時に、本庄は積まれた本の前で「タバコあるか?」と二郎に要求していたこともありました。その本にタバコの火が燃え移るかもしれないのに!タバコそのものがやはり“正しくなさ”の象徴かもしれません)
そして、菜穂子は最終的に二郎と共に最期の時を過ごすという選択肢を諦めます。それこそ「美しいところだけ好きな人に見てもらったのね」という言葉通りの……これは「ただ美しい飛行機を作りたい(それが人殺しの道具になることや犠牲となることのような“醜いもの”は見ていない)」二郎の願いともシンクロしているのです。
本作は“宮崎駿による理想の堀越二郎”を描いていると前述しましたが、はっきり言って劇中の二郎は決して良い人間ではありません。美しい飛行機を作るという夢には一生懸命ではあったとしても、上司の黒川が言ったようにエゴイズムに満ち満ちていたかもしれないのです。その二郎を受け入れる菜穂子の行動は、ある意味では狂気的で、他の人の理解など得られそうもない……だからこそ、その愛情は究極的であるとも言えるのです。
また、少年期の二郎は河原で下級生をいじめている者たちに喧嘩を仕掛けたり、東京大震災が起こった時も菜穂子とお絹を助けるというヒロイックな面も見せていました。二郎はそのように本質的には“良い男”なのかもしれませんが……時代や状況がそのままの二郎にはさせず、エゴイスティックな人物へと変えてしまった、とも考えることができます。
その東京大震災が起こった時も……二郎は一瞬だけ、上空に飛行機の幻影を見てしまっています。地震は軍用機の爆撃など関係のないことのはずなのに、それを火が立ち昇る災害の地で“想像してしまっている”のです。その状況においても飛行機を作りたいという夢を持ち続けている二郎……やはり、彼は矛盾と狂気の中で生きていたのでしょう。
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