2024年4月1日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」。
日本史上で初めて法曹の世界に飛び込んだ女性をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。仲間たちと切磋琢磨し、日本初の女性弁護士となる“とらこ”こと猪爪寅子を伊藤沙莉が演じる。
CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、寅子が明律大学女子部へ進学して法律を学ぶ第1週~第5週の記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
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もくじ
第1回のレビュー
新しい朝ドラこと連続テレビ小説「虎に翼」がはじまりました!
第1週「女賢くて牛売り損なう?」(演出:梛川善郎)の冒頭、川を流れる小さな笹舟が出てきて、大河ドラマかと思いました。
今度の朝ドラは、「らんまん」に続き、大河ドラマ的路線のようです。
大河ドラマ的路線とは、偉業を成し遂げた歴史的偉人の、志高い、スケールの大きな物語ということです。
【朝ドラ辞典2.0 大河ドラマ(たいがどらま)】朝ドラはホームドラマで、主人公の周辺半径5メートルの世界を描くものという印象があるが、時々、偉業を成し遂げた歴史的偉人の、志高い、スケールの大きな物語もあって、「大河ドラマのようだ」という声があがることがある。
時に昭和21年(1946年)。主人公の猪爪寅子(伊藤沙莉)が河原で新聞を読んでいます。
日本国憲法が交付され、その第14条には、すべての国民が法のもとに平等である、とされていました。
それまでは、平等ではなく、女性の身分が男性より低かったのです。
男女平等になったおかげで、寅子は弁護士になることができました。
はじめて、裁判所を訪れた寅子。でも街はまだ戦争の跡で少し荒れています。疲れた感じの人たちが、新聞を読んでいます。新聞を読める人も読めない人も、彼らにも希望の灯りが灯ったでしょうか。
裁判所の前に巨大な建造物が倒れているのは、これまでの制度が倒れたという意味のようにも見えます。
そこから時は遡り――なぜか寅子は仏頂面。艶やかな着物とは不似合いな表情です。
そしてタイトルバック。歌は米津玄師さん。絹糸のような細く強い希求になる絞るような高音が差別される者の嘆きと希望を伝えます。アニメーションから実写に変わるのも良かった。
すてきすぎて、米津さんの歌に毎朝泣かされていたら身がもたないかもしれません。どうしよう。
そして、本編。日本国憲法交付から遡って、昭和6年(1931年)、女性は結婚するのが幸福とされていた時代。寅子は女学生。結婚が最大の幸福の形とはまったく思わないのに、お見合いをさせられて、わざと嫌われるように振る舞います。
ペラペラ生意気なことを語る様子からは、寅子の賢さがわかりました。
「ブギウギ」でおなじみ梅丸少女歌劇団に入りたいと言う寅子。子供の頃、お芝居も上手だったという回想もあります(男の子役)。
セリフだけで済ませず、子供時代のお芝居の様子もちゃんと撮影しているのが嬉しい。この丁寧さを最後まで頼みます。
3度目のお見合い。今度のお相手・横山太一郎(藤森慎吾)はなんとなく昭和初期のチャラ男のようで、帝大出でニューヨーク勤務していたエリートなんだけどちょっといけすかない雰囲気ですが、寅子は気に入ったようで、調子に乗って自分の意見を言い始めたら……。
重い部分と軽やかな部分のバランスが良いはじまりでした。
「はて?」が口癖の、いろんなことに疑問を感じる利発なヒロイン・寅子を、伊藤沙莉さんが親しみやすく演じています。
寅子の母・はる役の石田ゆり子さんは華があり、
父・直言役の岡部たかしさんは飄々とし、
気鋭の裁判官・桂場等一郎役の松山ケンイチさんは不思議な切れ者感あり、
友人役の米谷花江役の森田望智さんはのんびりした口調で、この時代の女性の認識(女性は良き妻、良き母になることが幸福)を代弁します。
兄・直道役の上川周作さんはスパイスになり、
下宿人の佐田優三役の仲野太賀さんは、渡辺謙、長谷川博己に続いて朝ドラから大河に出演が続くという期待感。
俳優陣も充実しています。
大河ぽいけど、いわゆる朝ドラらしい、ご飯にお味噌汁、ちょっと立派な焼き鮭と美しい卵焼きの朝食のような朝ドラな気がした第1話でした。
さて、「はて?」は流行語になるか!
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第2回のレビュー}–
第2回のレビュー
結婚することが女性の最大の幸せなのか、わからない。
どうせ結婚するならせめて対等に話せる相手がいい。3度目のお見合い相手・横山太一郎(藤森慎吾)は米国暮らしも経験し、物わかりがよさそうと思った寅子(伊藤沙莉)は勇んで、「がむしゃらに一番を競いあう無邪気な闘争心も、ときに人生には必要ではないかと思うんです」と意見を滔々と語りはじめると、太一郎の機嫌が悪くなってしまいました。
彼のはいわゆる理解のある先進的な人間であるしぐさだったのです。実際は能力のある自分に自信があり、自分の話を聞いてくれればいいだけ。
自分の知らないことを知ってる寅子は太一郎にとっておもしろくない存在でした。
結果は当然お断り。
兄・直道(上川周作)はわざと断られるように振る舞ったのだと言いますが、寅子は今回はそんなつもりはなかったようで……。まあ、もし、直道が鋭いとしたら、寅子は相当策士です。前2回は、だめな子を装っていましたが、今回は、自分らしく振る舞った末のこと。
それでだめなら仕方ない。まあ、ちょっと、賢さをひけらかし過ぎていた気もしますので、やっぱりわざとだったのか? いや、夢中になると空気が読めなくなるタイプなのかもしれません。
「女は男みたいに好き勝手にはいかないからね。受け入れちゃいなさい」と言うのは、寅子の友人で、直道の婚約者・花江(森田望智)の家の女中・稲(田中真弓)。
令和でこそ、女性は立ち向かっていますが、この時代は、諦めてしまっていたようです。
諦めて、爪を隠して生きてきた。寅子は、母・はる(石田ゆり子)や花江の母が、両家の結婚の仲人を招いた晩餐会の段取りをしたのは彼女たちにもかかわらず、男性たちに花をもたせ、出しゃばらず、ニコニコ、お酌している姿を「スンッ」と表現し、「私、あの顔苦手だわ〜」と批判します。
そんなとき、たまたま、下宿生の優三(仲野太賀)の通う夜学にお弁当を届けに行った寅子は、「婚姻状態にある女性は無能力者」という学生の言葉を耳にして、「は?」と首を傾げます。これはこの学生の個人的な見解ではなく、とある法律の根拠を回答しているのであります。
寅子のもやもやが止まらなくなっているところ、講義をしていた等一郎(松山ケンイチ)や法学者・穂高重親(小林薫)にはさまれてしまいます。
このふたりは、これから寅子にとって重要な存在になるようです。
清流のごとくいい流れで物語が進んでいきます。吉田恵里香さんは豊富な語彙力となめらかに紡ぐ才を感じます。
「女性は無能力者」というセリフは、ドラマ視聴者を挑発しているようにも感じます。これを聞いてどう思うか。志向を促しているのでしょう。
はて?と考える寅子の場面に、はてはてはてはて……という声入りの劇伴が流れます。子供の教育番組のBGMのようです。
たぶん、今回の朝ドラは、法律について、人間の平等について、考える物語になりそうです。
ただ、女性が無能力者であるわけもなく、人間は平等であるのも当然なので、良し悪し、正しい間違っていると賛否両論、激論を戦わすという類のドラマではなく、当たり前のことが当たり前にならないとき、どうしたらいいのかという前向きな話し合いが生まれるといいなあ。ディスカッションやディベートではなくブレスト的な鑑賞。これができたら朝ドラの進化ですよ。
小林薫さんが出てきて、ナレーションが尾野真千子さんで、「カーネーション」(10年度後期)を思い出すキャスティングです。
尾野真千子さんのナレーションは、寅子の心の声の代弁のようで、耳にやさしい。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第3回のレビュー}–
第3回のレビュー
寅子(伊藤沙莉)が優三(仲野太賀)の通う夜学にお弁当を届けに行くと、たまたま、「婚姻状態にある女性は無能力者」という民法の言葉が授業に出てきて、はて?となります。
穂高重親(小林薫)も桂場等一郎(松山ケンイチ)も、授業を邪魔した寅子を叱らず(ナレーション〈尾野真千子〉では叱られると予測していた)、言いたいことがあれば言っていいと、彼女の意見に耳を傾けます。
学生が寅子の話に笑ってもそれを窘めるほどでした。
法律を専門とする方々は皆、このようにフラットな思考の持ち主だったら素敵。みんな法律を学ぶといい。
この当時・昭和初期の憲法では、妻はなにかをするにあたって夫の許可を得ないとならず、家事に関してのみ夫の代理人であるとされていました。
それが戦後、大きく変わっていくわけですが、変わるまでは女性はそういうものと思って粛々と生きていたということです。
寅子はようやく、母・はる(石田ゆり子)が公の場でスンッとなってしまうわけを悟りました。
穂高は、寅子に才気を感じ、女子部法科に入ることを勧めます。そこから法学部に入り学ぶことができるのです。
やる気になった寅子ですが、6年もかかることは少し気がかり。
それを親に相談したときのことを考えると気が重くなります。
幸い父・直言(岡部たかし)は、実はお見合い結婚に懐疑的で、寅子を応援すると言いますが、はるはそれを許すかどうか……。
目下、実家の香川に行っているはる抜きで直言と寅子は女学校に願書に添える内申書をもらいにいきますが、担任の先生(伊勢佳世)は「出過ぎた発言をお許しください」と直言に断ったうえで「あまり学をつけすぎてもお嫁の貰い手が……」と丁重に意見を言います。
この女教師があとでひとり教室に残っている姿が気になりました。伊勢佳世さんのたたずまいから想念が立ち上ってきます。きっと先生も思うことがあるのでしょう。
さて、ここで第1週のサブタイトル「女賢しくて牛売り損なう?」というサブタイトルに目を向けてみましょう。朝ドラのサブタイトルにしてはネガティブというかシニカルです。女は賢いようで賢さを振りかざして結果、損失を被るということわざなのです。担任の先生の
「あまり学をつけすぎてもお嫁の貰い手が……」という心配と重なります。
なぜこの件を女性に限定しないといけないのか。男性は賢さによって損をしないのか。寅子だったら疑問に思うでしょう。
こういうことわざもあるから、女性は公の場で余計なことを言わずニコニコとお酌をするしかなく、お見合いでおしゃべりすると怒られてしまう。
寅子の親友・花江(森田望智)はこう言い切ります。
「どうしても欲しいものがあるならしたたかに生きなさい」(花江)
花江はしたたかに、着々と、自分の目標(結婚)を達成しようとしていたのです。
その口調からおっとり屋さんに見えましたが、実はかなりの策士。そう思うと、この口調もあえて狙っているのだろうとわかります。完全に作り声ですし。
花江やはるのように内心を隠して、上っ面を作って行動しないといけないのは、世の中のせい。
もっと自由に素直に好きなことがやれるように、世の中が変わるといいなあと思うし、令和のいまはようやくそうなってきているような気がします。
このドラマは、鋭い爪を隠しながら虎視眈々と目的実現に向かう世の女性たちに大いに支持されるでしょう。
法律の話や生き方の話はちょっとお固い感じもしますが、実在する銘菓をモデルにしたらしき、クッキーやおだんごが出てきて緩和されます。
穂高が桂場に渡した竹もとのお団子を売ってる神田駿河台のお店で、寅子と直言が甘味を食する流れもさりげなく、このお店が人気店なのだとわかります。このへん、法律の朝ドラをつくるうえでのしたたかな戦略といえるでしょう。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第4回のレビュー}–
第4回のレビュー
ほしいものを得るためには「したたかに」と、花江(森田望智)に助言された寅子(伊藤沙莉)は女子部法科に入るため、笑顔をたやさず家事手伝いを粛々とこなしていきます。
そうこうしているうちに、兄・直道(上川周作)と花江の結婚式。
「どこを切り取ってもここには幸せしかありません」とナレーション(尾野真千子)が入りますが、その声は浮かない感じで、寅子も浮かない表情をしています。
直言(岡部たかし)に請われ、余興で寅子は歌を歌い、直言が踊ります。みんな愉快に手拍子をたたき、盛り上がりますが、ここに幸せは見いだせず、この場でも男性陣は無礼講で、女性たちは一歩下がったふうにスンッとしているように寅子には見え、歌は自棄になります。
それに花江だけは気づいていて、宴のあと「我慢してくれてありがとう」とささやきます。
酒の席で、男性たちが声も態度も大きく乱れまくっている姿を見るのはなんともいやなものです。お酌をしたり、興味のない話に相槌を打ったり、聴きたくない歌にわーって盛り上がる振りしたり、というのはうんざりです。
歌は「あやまるのはいつもパパ」とパパのダメなところをあげママのほうが強いという歌で、ダメなパパがかわいく、怒ってばかりのママを揶揄している曲にも思えますが、男性優位の世の中でも女性がいなくちゃはじまらないと誰もが思っている歌にも思えるような……。いつの時代も、こんなふうに歌に思いがこっそり託されてきたのでしょうか。
ドラマの主題歌、米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」は悔しい思いをなんとか昇華しようとしているような歌詞で、いくつかのフレーズを聞くたび筆者は泣きそうになります。ここまで、はっきり世の中に対する反抗の歌詞のある朝ドラの主題歌はいままでなかったと思います。声も曲もタイトルバックの絵もきれいだけど、アグレッシブです。
話を戻して、披露宴の歌です。友人と兄の結婚式で歌うのがこれほどいやなものか、バレるほど悔しい顔で、歌う寅子。結婚制度への疑問がどんどん大きくなっているのでしょう。
結婚すると、家事を夫の代理人として行う以外は、権利がまったくなく、「無能力者」とみなされるかと思ったら、結婚式なんて地獄の入口にしか思えないのでしょう。そんなところに行こうとする友人をニコニコ笑って見送るなんて無理!
ですが、この時代のエリート銀行員は、ここまで昭和の軽くておバカな宴会ノリじゃないような気もするのです。
女性の権利を獲得するという題材なため、極端に、女性たちが賢さを隠し男性の機嫌をとっているように描いていますが、明治生まれで苦労して勉強してきた祖父を持つ筆者としては、男性はこんな感じじゃないなあと思ってしまいました。飲みの席では羽目を外していたかもしれませんが。法律で有利になってはいたけど、その分責任もすごく重いし、本当に勉強してすごく働いていました。だからこそ頑固で融通がきかず、それがいやではありましたが。
真面目で勉強家の男性像も過去の朝ドラには描かれています。「とと姉ちゃん」のお父さんや「まんぷく」の萬平さんなどですね。
岡部たかしさんは素敵だし、演じているお父さんも実は寅子の気持ちをわかっていて法科に入れるように尽力してくれる人ではありますが、この時代の経済界で働いて、あれだけの立派な家をもてるほどの人物にはどうも見えなくて……。でもそれには理由があると想像します。
たぶん、時代に沿いすぎて堅苦しい話になりすぎないように、令和の視聴者に親しみやすくしようとしているのではないかと。
伊藤沙莉さんのキャスティングもそうで、この父娘が、当時の勉強家エリートのイメージの中央値から少しズレて見えるのですが、あえてそうしているのだと思います。
さて、宴会のあと、穂高(小林薫)とばったり。直言とはる(石田ゆり子)と知り合いでした。世界は狭い。
これなら法科に入る話も早いかと思いきや、はるにちゃんと話す前に計画を知られてしまい……。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第5回のレビュー}–
第5回のレビュー
私は私の人生に悔いはない。でも この新しい昭和の時代に 自分の娘にはスンッとしてほしくないってそう思っちゃったのよ!」
(はる)
全部が全部そうではないとはいえ、この世には、父と娘が仲良くて、母と娘が対立するという構造は少なくありません。ただ母と娘が仲良しのパターンもあります。
「虎に翼」では、父と娘が仲良く、母と娘は対立のパターンのようです。
寅子(伊藤沙莉)ははる(石田ゆり子)が公の場で賢しさを隠して「スンッ」とした顔をしていることに疑問や不満を感じていました。しかも、はるは法科進学を許してくれません。
はるにも言い分があり、寅子が頭がいいことはわかっているからこそ高等女学校に行かせたと明かします。
自分は行けなかったのだと。そこから、はるの過去――。
はるは、香川の旅館の5人きょうだいの4番目で、進学させてもらえず、旅館のために結婚することを期待されていた(「旅館にとってうまみがあるか」という表現)ことに反発し、直言(岡部たかし)を選んだ過去がありました。
最初は現状からの逃避で、誰でもよかったのかかもしれなかった。けれど、いまは後悔していないと言います。直言はものわかりもいいし、経済的にも恵まれているから悪くなかったでしょう。
そのときはるは「自分の子供の幸せを一番に考える母親」になると決意。つまり、法科進学は寅子が地獄を見る危険性があるので反対しているというわけです。そう、近しい人の反対はたいてい、心配してのことなのです。が、心配し過ぎて、可能性の芽を潰すことも往々にしてあるもので……。
「夢破れて 親の世話になって行き遅れて嫁のもらい手がなくなってそれがどんなに惨めか想像したことある?」
(はる)
なんておそろしいセリフ。
「頭のいい女が確実に幸せになるには頭の悪い振りをするしかないの」
(はる)
はるはこう言って寅子を説得します。「頭のいい女が幸せになるには」ではなく「頭のいい女が確実に幸せになるには」と「確実に」が入っているところに、はるの本気を感じます。
あの人気ドラマ「逃げ恥」では、こういうことを”呪い”と看破し絶賛された役を演じた石田ゆり子さんが、ここでは呪いをかけようとする役を演じています。俳優っておもしろい。
はるはそのままお見合いのための新しい晴れ着を新調しに行くと強引に決めてしまいます。問題をそのままにして、一見穏やかな口調で強引に話をすすめるところも、はるの処世術でしょう。
女の問題を語る場が台所であるというのも意味ありげです。
寅子はしぶしぶ待ち合わせの場所・甘味処・竹もとに行くと、そこには、桂場(松山ケンイチ)が美味しそうな団子をいままさに口に入れようとしているところでーー。
寅子は、団子を食べたそうな桂場のことはまったく無視して、自分の問題をぶつけます。
桂場は団子を食べずにもったまま寅子の話を聞き、意見を述べます。
彼は意外にも寅子が法科に進むことを肯定していませんでした。
女性には難しいと言われ、反発を覚えた寅子が激しく反論していたら、
「お黙んなさい!」と援護する声が飛んで来て。
それははるでした。
はるは激しく桂場を断じ、感情が高ぶったまま店を出て、呉服屋を通り越し、法学専門書店に向かいます。さすが本の街・神田。専門書店があります。
「若造め〜」と怒りにまかせ、はるは六法全書を買って、寅子に与えます。
そのときのセリフが冒頭に引用したものです。
はるは娘の人生に関与できるのは自分だけと思っているのでしょう。だから桂場に反発した。もちろん、自分にも、親の決めたこと、社会の決まりのようなことにナットクできない時期もあったと気づいて、娘の好きにさせてあげたいとも思ったでしょう。
あるいは、はるは、自分の人生に悔いはないと言いながら、どこか自分にもほかの人生があったのではないかとふと考えたのかもしれません。
「スンッ」としていると指摘されて、そんなことはないと言い切れないものがあったのだろうなあと。この「スン?」と聞き返したときのはるの表情を映さなかったところがにくい演出でありました。
裏の段取りは全部自分が仕切っても、夫に花を持たせるスンっとした日々は確かになんだか味気ない気がします。
現代でも賢く優秀な女性たちが、結婚したとき夫さんを立て、出過ぎないようにしていることは少なくありません。おかげで夫の地位や名誉や経済的環境に守られていることもあるわけですが、ある時期、例えば子供が自立したあとなどに、ようやく自由にぐいぐいと本来の力を発揮しはじめることがあります。賢いので時期を見計らっていたのでしょう。能力のある人は意思さえあれば、いつだって遠くに出ていけるのだと筆者は思います。
学校では、寅子のことを、先生(伊勢佳世)がなにか言いたそうに見つめていて、街には物想う女性たちがとぼとぼと歩いていて、甘味屋では、はるの剣幕に、女の子がびっくりした顔で手を止めています。女性讃歌のドラマという意思の強さをひしひしと感じました。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第6回のレビュー}–
第6回のレビュー
「得意げになっているのが丸わかり」の表情がうまい伊藤沙莉。
第2週「女三人寄ればかしましい?」(演出:梛川善郎)のはじまり、寅子(伊藤)が昭和7年春、明律大学女子部法科に入学した華々しい日からはじまりました。
今週のサブタイトルも第1週に続いて女性を小馬鹿にしたことわざです。毎週、そうなんでしょうか。
「地獄へ行ってまいります」と寅子は決意して御茶ノ水へ向かいます。
女性が男性と肩を並べようと思ったら地獄のようなことになると覚悟しているのですが、口笛を吹いて、割と気楽な感じです。まだ母・はるの言う「地獄」の意味がたぶん、わかっていないのだと思います。
口笛と劇伴が、結婚式で寅子が歌った「モン・パパ」です。男性が女性に顔負けのこの歌がドラマのテーマの一端を担っているのかもしれません。
入学式は、知性と教養のある女性ばかりが60人も集まって、希望に満ちていました。
年齢も出身地も違う人達が集まっています。男爵令嬢もいました。
「(入学生は)婦人の社会進出という明るい未来そのものだ」と学長は挨拶し、新聞記者竹中(高橋努)の取材に穂高(小林薫)も「ご婦人方が権利を得て新しい世界を切り開くために ぜひ法律を味方につけてほしいね」と言います。
この撮影のとき、寅子はうまく答え、得意げに写真に写ります。
ここまでは地獄感はあまりありません。
なんとなく「地獄」の語感がアドベンチャーゲーム感覚のように思えます。
寅子が校舎で教室を探して迷子になっていると、水の江瀧子のような男装の麗人・よね(土居志央梨)が前を歩いていました。
水の江瀧子とは、梅丸少女歌劇団のモデル、松竹少女歌劇団に所属した男役のスターです。愛称はターキー。男装の麗人として憧れの的でした。
「ブギウギ」の梅丸で行われた桃色争議を実際、やった人物でもあります。
つんけんしているよねを追って、女子部の校舎につき、先輩がたに校内を案内してもらいます。先輩たちは法服を着用していて、これから余興で法廷劇をやってくれると言いますが、一期生は7人しかいなかった。最初は80人もいたのに、辞めてしまった。いったいなにがあったのか。
そこへ男子学生が「魔女部」と囃し立てます。
これが「地獄」だとしたら「幼稚」だと寅子が思ったところ、いよいよ「わりと地獄」の状況が登場します。
婚約者にこれ以上法学を学ぶならと婚約解消された人物が泣いていました。
「わりと地獄」な空気を変えようと陽気に振る舞うと「うっとおしい」とさっきのよねが遮ります。こっちのほうがもっと地獄。
「うまく立ち回っているつもりか」
「おまえみたいなのがいるから女はいつまでもなめられるんだよ」
と詰め寄られ、尻もちをついてしまう寅子。でも負けずに反論します。さすが。
序盤、学友同士でギスギスが起こるのは「ブギウギ」と同じですが、寅子は勉強しているので、この状況を理屈で捉え言語化しようとします。
家に戻って花江(森田望智)と優三(仲野太賀)相手に、ぶつくさ。
法律とはなにかという寅子の問いに、司法試験にまた落ち浪人生活2年目となった優三は「自分なりの解釈を得ていくものと言いますか……」と曖昧に答えます。
さらっと済まされましたが、ここ、とても重要な気がします。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第7回のレビュー}–
第7回のレビュー
直道(上川周作)は寅子(伊藤沙莉)が女子部に入ったものの、もって3日と予測します。自信満々でしたが、はずれて1週間が経過しました。
学校ではまずつるむ人たちができるもの。
寅子は、男爵令嬢の桜川涼子(桜井ユキ)と弁護士夫人の大庭梅子(平岩紙)、朝鮮半島からの留学生・崔香淑(ハ・ヨンス)とつるむようになりました。このあだ名みたいなものが寅子は「尻餅」であったことにびっくり。尻餅って……。
この4人は他の人たちと少し扱いにくいとされているようですが、さらに上をいくのが男装の山田よね(土居志央梨)。
無駄にイライラを撒き散らしています。男装しているだけでも目立っているのに、妙に自意識を振り撒いていて、なんだか変な感じです。
ある日、法改正が延期になる見通しと聞いた一期生の1人がめそめそ泣いていて、女子部の皆はざわつきます。入学式でも法改正が行われたら、女性が弁護士になれ、女性の社会進出も拓かれるだろうというようなことが言われていたのに、その道が閉ざされたのです。
みなが最初から諦めていた感を漂わせていると、
よねが現れ「めそめそヘラヘラ。めそめそヘラヘラ。全員うっとおしい。やめちまえ」とキレます。
いや、どうせ無理なのだと思うのも、傷ついた気持ちを紛らわす一つの方法なのでしょうし、そこまで他人を否定しなくても……と思いますが、よねもきっとがっかりしたのでしょう。がっかりしたのはみな同じなのだと思います。
寅子は気になって、教室を出ていったよねを追いかけ街へ出ます。
電車に乗ってたどりついたところは、裁判所でした。
そこでは、怖いおじさん(湯浅崇、や乃えいじ)に怒られたり、裁判の傍聴が趣味の、心優しいお節介おじさん笹山(田中要次)に出会ったり。湯浅さんとや乃さんは「舞いあがれ!」のお好み焼き屋の常連だったとSNSで話題になりました。
さて。この回では、女子としての苦労がいくつか挟まれていました。
入学式のときの取材記事が新聞に出たら、変な切り取り方をされていました。前置きだけ使用されて、悪い印象を持たれるものになっていました。
そのため、近隣の人たちから白い目で見られてしまいます。発言の切り取りの印象操作は今の時代、問題になっていますから、寅子の置かれた状況は分かりやすい。
前回、前置き部分を妙に間をとって語っていて、それが彼女なりの思慮深さだとも感じたのですが、こういうときは余計な枝葉を言わずに、大事なことだけ言うべきだと勉強になりました。前置きとは自己防衛という自意識でしかなく、案外それは他者には通じないものなのです。
寅子は憤慨しますが、取材慣れしている涼子は、自分の意思と関係なく書かれることに慣れてしまっているようです。
先述した、法改正が難しいと諦め気味であることも含め、
こういうものだと慣れてしまうのは良くないことで、本当にこのままでいいのかちゃんと正していかなくてはいけない。寅子はその道を行くのでしょう。
他に女子的に不利なことは、女子トイレが少ないこと。これはかなり大きな問題でしょう。
問題ではありませんが、女子特有なのは、お弁当を分けあうこと。この場合、梅子が大量におにぎりを握ってきて、自家製梅干しと共に振るまっていました。みな、それぞれちゃんとお弁当をもってきているのに、おにぎりを食べちゃって、お弁当はどうするのか。こういう時ってそれぞれのおかずをシェアしたりするのでは?と思ったけれど、こういう時の女性グループのルールってどうでしたっけ?
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第8回のレビュー}–
第8回のレビュー
寅子(伊藤沙莉)はよね(土居志央梨)を追いかけて裁判所にやって来ました。よねは裁判の傍聴に来たようです。
裁判傍聴が趣味の、心優しいお節介おじさん・笹山(田中要次)いわく、今日はつまらなそうな民事裁判しか残っていないとのことでした。
寅子も傍聴してみます。はじめての裁判所。はじめての裁判傍聴。それはもうわくわくでしょう。
そこで行われていたのは離婚裁判。
東田甚太(遠藤雄弥)と妻・峰子(安川まり)が争っています。東田の暴力が原因で離婚を申し立てているのです。いや、離婚裁判は勝訴して離婚は成立しているはずでしたが、東田が控訴して、もめているようです。
峰子はほかに、嫁入りの際に持参した物品の数々を取り戻したいと訴えています。むしろこっちが重要らしい。
田中裁判長は栗原英雄さん、東田側の弁護士は長谷川忍さん(シソンヌ)、峰子の弁護士はシソンヌじろうさんが演じています。
遠藤雄弥さんは、現在再放送中の「ちゅらさん」で和也という、出番は少ないけれど重要な役を演じているのですが、ここではあからさまに嫌な感じの役です。
寅子は東田の態度で「あの男ならやりかねない」と思い込みます。
峰子は母の形見を返してほしいだけなのに、それが認められないなんて、令和の観点だと理不尽だしありえないですが、この時代は揉めてしまうのです。
裁判のあと、よねは「女は常に虐げられて馬鹿にされている。その怒りを忘れないために私はここに来ている」と寅子に語ります。
ものすごい時代だったのだなあ。
とても興味深い裁判でしたが、笹山がつまんなそうな民事裁判しか残っていないと言っていたのは女性の権利を主張するものが彼にとってはつまらないことなのかもしれません。それはそれでまた残念。
家に帰った寅子が優三(仲野太賀)に聞くと、民法第801条1項に夫は妻の財産を管理するとあると教わります。第2話で寅子が優三の授業をのぞいて聞いた「結婚した女性が無能力者」ということの最たる例がこの裁判でした。
「筋が通らない」と寅子は憤慨します。
「いまの日本で結婚することはそういうこと」「結婚って罠だよ」
結婚って罠。パワーワードです。確かに、財産が夫のものになってしまうというのは結婚によって女性の権利が益々奪われるということですね。
早く憲法改正されてほしいと思うのも無理はありません。
翌日、女子部で、改正が遠のいたことに、生徒たちががっかりしていると「法廷に正解はない」と穂高(小林薫)が言い出します。
寅子とよねが傍聴したケースについて「君たちでどんな正解があるか考えてみないか」と提案され、寅子たちはやる気になります。
男爵令嬢の桜川涼子(桜井ユキ)と弁護士夫人の大庭梅子(平岩紙)、朝鮮からの留学生・崔香淑(ハ・ヨンス)もキリッとなります。よねも。やる気が刺激されたのでしょう。
実際の裁判の事例をもとに、学校でシミュレーションしてみるというなんだか面白そうな展開です。ドラマ仕立ての情報バラエティー的な印象もあります。弁護士がじろうさんだからちょっとコントのようにも思え、親しみがわきました。
法律の話なので堅苦しくなりがちかなと心配もありますが、こういう形式だと誰もが見やすいかもしれません。
それでもなお理屈が語られ堅苦しさもぬぐえないなか、息抜きは直道(上川周作)の存在。1人マイペースで、いつも独自の解釈で「わかってんだよー」「違う」と自己満足に浸っています。伊藤沙莉さんが会見で、上川さんの芝居を賞賛していましたが、確かにそう。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第9回のレビュー}–
第9回のレビュー
続きが気になって仕方ない!
はじめての裁判傍聴でぶち当たった、女性問題。
婚姻状態にある女性は財産の管理も夫に委ねられていて、嫁入りのときに持ってきた母の形見なども自由にできない。それにナットクできない寅子(伊藤沙莉)が女子部でその話をしていると、穂高(小林薫)がみんなで考えてみようと宿題にしました。
張り切って考えようとする寅子とよね(土居志央梨)が図書館で判例集を取り合います。男爵令嬢の桜川涼子(桜井ユキ)と弁護士夫人の大庭梅子(平岩紙)、留学生崔香淑(ハ・ヨンス)も加わって、竹もとで甘味を食べながらみんなで考えることになりました。
梅子のおごりでスイーツ界の淑女・みつまめを食べながら語り合う一同。よねだけひとり席なのはお約束。
お弁当といい甘味といい、最もお金持ちそうな男爵令嬢・涼子がふるまわず、梅子であるのは年功序列なのか、はたまた、お金持ちがおごるとひけらかした感じに映る危険性があるからでしょうか。涼子のおつきの玉ちゃん(羽瀬川なぎ)にまで梅子はごちそうするのです。
令嬢が自分のところの使用人におごってもらって、「お相伴に預かりなさい」と礼儀正しく平然と受け入れているのは、貴族(日本では華族)ってそういうものなのでしょうか。そのへんの身分による感覚の違いに戸惑うのですがこのドラマではそこは主軸ではなくリーガルドラマなので、気にせず先に進みましょう。いや、貴族と庶民の身分制度も男女格差と同じく法律の問題であります。なお、華族制度は昭和22年に廃止されます。
甘味の美味しさに感動する間もなく、寅子たちは判例集やら穂高の著書などを引きながら議論します。そこで、女性がいかにこの時代、不利であるかが語られます。
「諦めたらそれで終わりじゃないですか」とスラムダンクみたいなことを言う寅子。
でも、いろいろ論じたすえ、どうにもならない、着物は取り戻せないという結論に達します。
それでも寅子はあきらめたくない。
勉強は続き、穂高は「いい、実にいい」と満足げ。
1週間後の授業の日、いっそ、みんなで裁判を傍聴するのはどうかと提案し、穂高は「課外授業か」と嬉しそうに許可します。
そのとき梅子、涼子、崔香淑はそれぞれの家庭事情を想います。なんだか意味深。
寅子が民事訴訟法第185条を、
「法律や証拠だけでなく社会 時代 人間を理解して 自由なる心証の下に 判決をくださなければならない」と理解したので、裁判官がどう判決を下すか見に行くと言うのです。
これは優三(仲野太賀)が、第6回で法律とは「自分なりの解釈を得ていくものと言いますか……」と言っていたことに繋がってきます。
寅子はいつもまだるっこしい話し方をします。新聞取材でも前置きをしてそこを切り取られてしまいましたし、よねはせっかちなようで「言い訳はいい。結論だけ伝えろ」と寅子の話し方にいらいらするようです。寅子も、よねも、どちらもこういうタイプいますよね。
よねは法律で決まっているからと潔いのですが、寅子はその決まってるとはいえほかに方法はないかと考えるため、結論を出すことに時間がかかります。いろんな可能性を考えているからです。
家でも、ダイニングと居間の間をうろうろうろうろ行ったり来たりしているところは、彼女のあれやこれや考えてる脳みそが視覚化されています。
裁判当日、ぞろぞろと裁判傍聴にやってくる女学生たち。
笹本(田中要次)は女性ばかりで満席になった傍聴席に面くらいます。
田中裁判長(栗原英雄)と穂高は軽く会釈し合います。知り合いなのでしょう。
東田(遠藤雄弥)側の弁護士(シソンヌ長谷川忍)、峰子(安川まり)の弁護士(シソンヌじろう)はそれぞれの主張を述べます。人情ありそうな弁護士とクールな弁護士の差が鮮やかで、ふたりの滑舌がよく、言葉が粒立ってわかりやすく、その場の緊張感も伝わってきました。
休憩後、判決が出ることになり、固唾をのんで待つ一同。
いつの間にか、桂場(松山ケンイチ)ものぞいています。
裁判長が「主文。」と読み上げたところでつづく。ええーここでつづくだなんて、明日のお楽しみのほうがいいのはわかりつつも、判決聞きたかった!
田中裁判長が、裁判のはじまる前や休憩中に、ものすごく真剣に、いろいろ考えている様子が伝わってきました。責任重大なお仕事です。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第10回のレビュー}–
第10回のレビュー
開始早々、田中裁判長(栗原英雄)が大岡裁き的(古い)な名判決。
峰子(安川まり)は着物を取り返すことができました。
感動に打ち震える寅子(伊藤沙莉)ほか、傍聴席の面々。
この短さだったら、第9回の最後に結果を出していい気持で続くでもよかっただろうけれど、あえて、結果を次回に回したのはもっとよかった。
主題歌をはさんで、裁判長は、傍聴している女学生たちに特別に判決の主旨を語ります。
法律で夫が妻のものを管理するのは、妻を守るためであり、結婚生活が破綻している場合、夫の権利をふりかざすのは権利の濫用となる。
笹山(田中要次)はご機嫌で寅子とみんなに「ありがとうね」と礼を言って帰っていきます。面白みのない民事裁判が面白く感じたのでしょう。
「新しい視点に立った見事な判決だったね」と穂高(小林薫)が言うと、よね(土居志央梨)はナットクがいかないようで、「法は力をもたない私達がああいうクズをぶん殴ることができる唯一の武器」であるべきで、今回の判決では、結局、何も変わらず、東田(遠藤雄弥)のような男がこれからものさばり続けるであろうと不満を述べます。
「法とは規則なのか武器なのか それもまた正解はなし」
(穂高)
穂高は課題を残して去っていきます。そのあと、桂場(松山ケンイチ)と大人っぽいお店でお酒を飲みながら語らっていました。
とりあえず、寅子たちはまた甘いものを食べて帰らない? などと言いながら裁判所をあとにしようとした、そのとき、東田が「一生離さない」と妻をなじっていました。「一生離さない」というと愛の言葉みたいですが、執着や抑圧の表れ。物品は取り返せたけれど、離婚裁判がまだ続きます。でも母の形見があるから頑張れると峰子は言います。
暴力を振るおうとしたので寅子は思わず助けに入ります。どうなるの?と思ったら、にゃにゃにゃと猫(寅か)のように爪で対抗。力はたぶんないけれど、勢いで相手を怯ませました。このときの遠藤さんは、怯みながら似た感じのポーズで対抗したすえ、すたこらさっさと逃げていくちょっと滑稽な動作がユーモラスで。ただ悪者顔していただけではない巧さがありました。
シソンヌの弁護や、遠藤さんの悪者描写、伊藤さんの猫攻撃の動きなどに、おもしろみを少しだけいれて、真面目になり過ぎないようにバランスをとっています。そのうえ、判決が前向きで胸がすくもので、朝、いい気持ちになれる知的エンターテイメントです。
この調子で進行すれば、1話完結の週イチ連続ドラマの体裁をうまく朝ドラに持ち込むことができた成功例になるかもしれません。
でもここでまたよねが、殴らせたら現行犯になったと物騒なことを言います。
よねが法律を「武器」と言うと、寅子は「盾とか傘とかあたたかい毛布とかそういうものだと思う」と言います。
寅子は、何かと反抗的なよねのことを「地獄の道に向かう同志」と言い、仲間にしようとします。「私、よねさんのことわりと好きよ」だとけろりと彼女のいいところをいくつもあげて褒めるのもなんとも明るくさわやかです。このへん、「ONE PIECE」的。脚本の吉田恵里香さんはいまの世の中のニーズを確実に抑えて取り入れています。
梛川善郎演出はちゃんと子供たちの情景もいれていますし、旧来の朝ドラぽさを守っている。よねが働いているカフェーは少しいかがわしく、女性が虐げられているとよねが常に怒りを抱えているのもわかる気がしてきます。このへんも旧来の朝ドラぽさ。新旧の価値がうまく混ざりあっていて、旧い朝ドラファンも、新しい朝ドラファンにも愛されそうです。
よねの境遇は、「もっとよねさんのことを知りたい」と、恵まれた家庭でのびのび育った寅子が簡単に言えるものではない、根深いものがありそうです。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第11回のレビュー}–
第11回のレビュー
昭和8年、1933年が十字レイアウトになっていました。そんなビジュアルからして
いい感じ。
第3週「女は三界に家なし?」(演出:橋本万葉)では寅子(伊藤沙莉)が入学してから2年半、女子部の存続が危うい。じょじょに人が減っていき、入学希望者も激減で教授陣も頭を抱えています。
先輩たちは、久保田聡子(小林涼子)と中山千春(安藤輪子)しか残っていません。寅子の同期も60人から20人に減っています。
久保田はリーダー格だった人物で、中山は婚約者に振られ泣いてばかりいる人物です。泣きながら勉強は続けているから立派ですね。
なんとかすべく法廷劇「毒饅頭殺人事件」を行うことになり、寅子も協力を惜しみません。「毒饅頭殺人事件」の概要を、猪爪家が演じるモノクロトーキー映画仕立てで説明するのが面白かった。
女子たちが語らうとき、たぶん梅子(平岩紙)のおにぎりを食べているのですが、
みんなそれぞれお弁当を持ってきているのに、大きなおにぎりも食べる健啖家さんばかりなんですね。来期の「おむすび」にリンクさせているのでは……とも思ってしまうのですが。
寅子は元気、授業の合間に水泳をしています。わざわざそんな描写を入れているところが手が込んでいます。
活発に動き回る寅子でしたが、月経が重く、そんなときは学校を休みます。4日も休んでしまうほど辛いようです。月経について朝ドラで書くのは珍しい。女性のドラマですが、そこには触れることはいままでありませんでした。
脚本の吉田恵里香さんと演出の高橋万葉さんは「生理のおじさんとその娘」(23年)というドラマでもタッグを組んでいますので、その流れからの展開でしょう。
お父さん直言(岡部たかし)は、寅子が休んでいる理由を水泳や学校の活動が忙しいからとのんきに思っているのと、母はる(石田ゆり子)はいつかのことを考えて料理を習いに通ったらと言い出すのは、男性と女性の差異だなあと感じます。
月経と結婚(生殖)が結びつくのは生物学的なもので、どうにも切り離すことができず、心身ともに女性の負担になっているわけですが、意識だけでもなんとか軽減し女性が自由になることが人類の進化なのでしょう。
男女差だけではなく階級差も描きます。
法廷劇の衣裳作りに、御学友が集まりました。
「珍しいですか、庶民の家は?」と聞かれてしまう桜川涼子(桜井ユキ)。
「トラちゃんのおうちは庶民の家じゃないでしょう」と崔香淑(ハ・ヨンス)が言う理由は女中がいるからで、「女中さんのいる家なんて普通でしょう」と大庭梅子(平岩紙)が言います。
花江(森田望智)を女中と思い込んでいるのです。これは由々しき問題。
寅子としては、女学校の友人でもある花江が女中のような存在と化しているのは見逃せません。
女学校を出たら結婚するのだと、したたかに作戦を練っていた花江ですが、いざ、嫁いでみたら、姑・はる(石田ゆり子)にこき使われているような気持ちに陥っています。
花江はあんなに調子に乗っていたのになんだろうか。姑との関係なんて会った瞬間にわかるではないかという気もしないではありません。が、SNSを見ると圧倒的に花江に理解や同情、共感する声が多く、世の結婚している女性たちの想いを花江は体現しているようです。そんな花江に寅子は優しい。そこが寅子らしさなのでしょう。
確かに、テレビを見ていて、その先は危ない道と思うことは、実際の体験からではなくテレビでやっているのを見て知っていることが少なくありません。
結婚に限ったことではなく、何も知らずに夢見て向かった場所で、思いがけないことが待っていたということはあるものです。
石田ゆり子さんが姑役だってことも思いがけないことであります。
「家のことは私がやっておくから」とはるに一見優しげに言われたあとの花江の不満げな表情に落雷のような激しい音が入り、戦いを予感させる不穏な、でもあくまでコミカルな終わり方でした。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第12回のレビュー}–
第12回のレビュー
寅子(伊藤沙莉)の家で行われた法廷劇の衣裳づくりに、花江(森田望智)も参加してチクチクチク……。
女中に間違えられた花江は、姑はる(石田ゆり子)への不満もあって機嫌が悪く、なんだか空気が悪いため、早々に解散することに。
そこへ、涼子(桜井ユキ)の家の執事・岸田(奥田洋平)が立派な箱に入った手土産を持って迎えに来ます。
ニコニコしているけど慇懃無礼な岸田。寅子の父・直言(岡部たかし)が帝都銀行に勤務しているので「ホッといたしました」と言います。
男爵家がつきあう相手はある程度、家柄が良くないといけないようです。寅子の家がいわゆる庶民の家でなくて良かった。梅子(平岩紙)も女中はどこの家にもいるというような感覚なので、寅子の仲間たちは、いい家柄が揃っていると言えます。香淑(ハ・ヨンス)も外国からの留学生ということは恵まれているほうなのではないでしょうか。
よね(土居志央梨)はカフェーで働いているので苦学生なのか。彼女の家庭環境は未だ謎です。
恵まれたお嬢様の嫁入り前の時間稼ぎや、奥様の暇つぶしとは違うと苛立っているようですが……。そして、カフェーでも、男たちの偏見に苛立っています。よねはどこに行っても居心地が悪くてイライラ。涼子の書いた法廷劇の台本も気に入りません。
「私は本気なんだ。本気で弁護士になって世の中を変えたいんだ」と主張するよねに寅子が反論します。
「たとえ あなたの本気が勝っているからって 誰かをけなしていいわけじゃないと思うの」(寅子)
そのときの、よねの表情が印象的でした。
確かに、みんな、それぞれの尺度で本気なのです。
皆、それぞれ思うところあって法を学びに大学に来ていて、目下、涼子の家庭環境がじょじょにわかりはじめているところ。
男爵家の娘である母・寿子(筒井真理子)はお酒ばかり飲んで、退廃的な雰囲気です。家柄がよく代々続く資産があるせいで、だらだら暮らしているようです。お母さんが出てくるとがぜん、昼のメロドラマふうになります。
三代、男子に恵まれなかったので、婿養子をとり続けていて、夫・侑次郎(中村育二)は妻に頭が上がらなそう。涼子にもいい婿をとることが求められているようで、そういう生き方が涼子には耐えられないのでしょう。
なんだかんだで、法廷劇当日。
一生懸命、演じていると、「魔女部」とからかってくる男子学生がヤジをとばします。穂高(小林薫)はやけに上品に咳払いするだけで本気で止めようとはしていないような……。そのため学生は増長していくばかり。
最初は無視して冷静に芝居に集中しようと寅子はしますが、そのうち辛抱たまらず、「退廷なさい。ここは法廷ですよ。慎みなさい」と毅然と言い放ちました。
それでも男子学生は馬鹿にするばかり。
「どうせ誰も弁護士になんてなれねえよ」と言われても、
「いま、わたしたちにその言葉を投げかけることがどれだけ残酷かわからないの」と寅子はあくまで自制的に反論します。
相手を言い負かそうと侮辱や否定する言葉を使うのではなく、自分たちの気持ちを伝える。このセリフは、いろいろ苦しい思いをしている者たちの声の代弁だなあと感じます。
でもついに爆発しそうになります。尾野真千子さんのナレーションが「舞台降りたらダメ!」と小さく叫びますが……。寅子のすごい形相で続くと相成りました。
こんな不良生徒が法を学びに来ているのは、家柄が良くお金があるからでしょうか。彼らがまかり間違えて法律家になったら人々の尊厳は守られない。最悪です。
暗澹たる気持ちになります。
ところで。花江は女中に間違えらるほど、家事ばかりやっています。ただ、はるだって気をつかって穏やかに接しているようで、いわゆる嫁虐めが行われているわけではないようです。
花江のお出汁の味をはるが味見して、「うんいいわね でももうちょっと甘くても」とアドバイス。別になにも意地悪ではない。でもお台所で鍋の中身を甘くしている花江の顔が浮かないことこの上ない。ちょっとしたことが、花江のストレスとなって積み重なっているようです。
豆皿に出汁をいれて試飲する家事描写。何気ない生活描写も当たり前に思わず、意味を問い直すことも大切でしょう。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第13回のレビュー}–
第13回のレビュー
法廷劇の晴れ舞台は、態度の悪い男子生徒のヤジでめちゃめちゃに。
最初は辛抱して舞台を続けようとしましたが、よね(土居志央梨)が男子生徒に尻もちつかされたのを見て、寅子(伊藤沙莉)も耐えかねて舞台を降ります。
そして、仕掛ける、猫(たぶん”虎”なんでしょう)攻撃!
でも、寅子のやいば(爪)にかかったのは、男子生徒ではなく、優三(仲野太賀)でした。寅子を加害者にさせないために割って入ったのです。哀れ、優三。
すかさず、よねは男子の股間を蹴り、もうさんざん。ついに耐えかねて穂高(小林薫)が声を出し、劇は中止。新聞記者・竹中(高橋努)は「ハハハ」と高笑いで惨状を取材し、女性を揶揄したような記事を書きました。
女性らしくない振る舞いをしたということで女生徒たちは処罰されることになります。喧嘩両成敗じゃないんかい。男子生徒はどうなった? 一生懸命準備した演劇を邪魔し、女性たちを口汚く罵ったことが罪に問われないのか。
法律家の集まりなのに。釈然としません。
なぜか、新聞記事をスクラップし、「あっ このトラ、よく撮れてる」とひとりごちるのは直言(岡部たかし)です。この人の鷹揚さはいまのところ救いです。どうもエリート銀行員には見えないんですが、多様性を考えたらこういうエリートもいるのでしょう。
こう見えて……という人が、この回には何人か出てきます。
よねが住み込みで務めるカフェーの店長増野(平山祐介)と、よねに弁護をもちかける弁護士・緒方(戸田昌宏)です。
増野は、女性が男性をもてなすカフェーの経営という裏社会的な仕事をしていますが、いかにも女衒のワルという感じではなく、穏やかで、人情がありそうです。それが、時々サングラスをさげて目を見せることで表現されていました。
よねは、地方の貧しい百姓の家に生まれ育ち、姉・夏(原愛音)に続いて、女郎として売りに出されそうになったところ、夏を頼って男装してカフェーで働くことになりました。
よねは、置屋にお金をごまかされた姉を救うべく、声をかけてきた弁護士・緒方に身を任せ弁護をしてもらい、大金(姉の未払を取り返した)を得ます。でもそれがもとで夏は置屋にいられなくなって……。
それらを「ありふれた話だ」とよねは淡々としています。この時代にはよくあることだったのでしょう。
お金のために体を売って生きるしかない女という立場を捨てる意思の表れが男装だったのです。この一連の出来事を時間をとってワンエピソードとして描かれると重すぎる気もしますが、回想として一気に説明するとこぼれるものがあるような気がします。どっちにしても重い話です。
「だから私は賢くあろうとした」と語るよねと、「法に勝る力なしってね」と法を使って、泣き寝入りしそうな女性を救う弁護士。知識が大事であることを物語っています。
「こう見えて弁護士」と言った緒方は、弁護を引き受けるためによねに迫るといういやらしさで、全然ありがたい存在ではない。それこそ唾を吐きたくなるような人物です。でも知識があるから、人生をうまくわたっているのでしょう。
よねの身の上を聞いて、恵まれて育った寅子たちは知らない世界を知るのです。
お金も知識もなく奪われていくばかりの人たちがいることを。それこそほんとの地獄です。知識を得ることで地獄から脱しようとしているのが、よねなのです。
朝からしんどい話ですが、知識こそが人間を救うのだという希望を持つしかない。勉強せねば。
また、よねの話を彼女がいないところで他者から聞くわけにはいかないとする、寅子の潔白さは法律家にふさわしいものと感じました。
優三の献身がスルーされたことがSNSで話題になりましたが、個人的には演劇がないがしろにされたことがとても悔しい。たとえ、プロのものでなく学生の催しだとしても。
あの、博多大吉さんが注目する、まだ一言もしゃべっていないけれど、白目で話題の生徒で名字と名前がかぶっている笠松まつ(うらじぬの)さんも舞台に立っていたのに(手をのばし止めようという意思を感じさせました)。彼女もきっと頑張って練習したでしょう。もしかして生徒の家族も見にきたかもしれないし、足を運んだ観客に失礼。
こんなふうに、女性や身分の低い人、貧しい人、恵まれない人たちは味わっているのでしょう、砂を噛むようなやりきれなさをずっと。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第14回のレビュー}–
第14回のレビュー
「戦わない女性たち、戦えない女性たちを 愚かなんて言葉でくくって終わらせちゃだめ」
(寅子)
寅子の、人として大切なことを説く言葉が響きました。
女性たちはまだ戦うという土俵にすら立てずにいる。それがなぜか、どうしたら土俵に上がれるのか、そこから考えないといけないということでしょう。
第14回を順に見ていきます。
よね(土居志央梨)の生い立ちを聞いて、何か声をかけたいけれど、なんと言っていいのか迷う寅子(伊藤沙莉)。
こういう逡巡を、ナレーション(尾野真千子)が語るので、視聴者が寅子の感情を間違えずに済みます。伊藤沙莉さんの表情も相まって、とてもわかりやすい。
最近のドラマは、感情を語らず、余韻で見せようとすることも増えましたが、それだといろいろ多岐に想像を膨らませる楽しみもありますが、わからないままストレスにもなります。
今回「虎に翼」の場合は、法律という明文化する行為が題材なので、寅子の逡巡から決定に至るまで、あらゆる可能性を明確に提示することが選択されたのでしょう。そしてそれが多くの視聴者の心を捉えています。
寅子が迷って答えを出せないでいると、よねから話し出します。「余裕があって恵まれたやつらに腹が立つんだよ」と。
でもそこで、寅子は、よねの恵まれた点を発見します。生理で休まずに済むということでした。
さらに、涼子(桜井ユキ)が法廷劇で果敢に立ち向かったよねを讃えます。そのとき「お気立てに難がおありでしょう」や「股間を蹴り上げる」(これを数度繰り返す)など言葉遣いが個性的でした。「お気立てに難がおあり」って慇懃無礼にもほどがある!
寅子は、中止になってしまった毒饅頭殺人事件を検証することにします。饅頭に毒を入れることが可能か、寅子の家の台所で、みんなで実際にお饅頭を作ってみました。
よねも割烹着を着て参加。花江(森田望智)もはる(石田ゆり子)も手伝います。
お饅頭を作りながら、女子トーク。
ここで、いかにも女子トークな、恋愛あるあるみたいになっているところが、
そのあとの、よねのいらだちに繋がります。
「この社会は女を無知で愚かなままにしておこうとする」
(よね)
冒頭に引用したセリフは、このあと寅子がよねをたしなめたときのセリフです。
寅子はややがさつな感じに見えますが、そう見えてとても思慮深い。
そのあと、女性たちにとってこの社会の闇はさらに深いことがわかります。
法廷劇の台本を書いた涼子が、隠していた毒饅頭殺人事件の真実を明かします。
学長(久保酎吉)が、かわいそうな女性を法学部の女性が救うというわかりやすい設定に事件を改変していたのです。
「私の筋書きどおり、よーく書けている」という学長の「筋書き」とは、物語の筋書きと、学長の思惑とが掛かっていたのでしょう。
寅子たちが愕然となった、夫を毒殺しようとした妻の職業と毒の正体は、ミステリー仕立てに敬意を表して記しません。
「女たちはいつの時代もこんなふうに都合よく使われることはある」(ナレーション)。
土俵に立てたと思っても、女性活用をしているというアピールのためでしかない、じつは男性のお手盛りでしかないということが往々にしてあるのは、現代も同じ。だからいつまでたっても女性は戦えないという、虚しさと悔しさが伝わってきました。
毒饅頭殺人事件の真相というミステリー仕立てに女性問題を盛り込む凝った内容で、15分という短かさなのに、とても満足感がありました。
寅子たちの手伝いをするはると花江の描写も凝っています。はるが積極的に寅子たちのなかに入ってきて推理しているとき、花江は台所から出てこない。背中しか映らない花江の思いを感じて、なんともいえない気分になりました。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第15回のレビュー}–
第15回のレビュー
毒饅頭殺人事件を題材にした法廷劇は、特権階級の男性の思惑による歪んだものでした。
よね(土居志央梨)は「無駄な時間を過ごしただけ」とすっかり白けた気分になりますが、そこに割って入ったのははる(石田ゆり子)です。
はるがなんかしみじみいいことを言っていると、うしろで花江(森田望智)が泣いています。感動の涙ではなく、疎外感を覚えていたのです。
「戦わない女側」であることを自覚し、「優秀で強い人には私のつらさが寂しさがわからないのよ」とさめざめ。
第14回で、戦わない、戦えない人もいると寅子(伊藤沙莉)が理解を示していたようなのに、結局、戦う、戦える女と、戦わない、戦えない女は分断しているようで。
よねは、甘えて泣いて弱音を吐く花江と競べたら、寅子たちは弱音を吐かない分、存在を認めることになります。
女子部のみんなは、それぞれ恵まれているけれど辛いこともあって、でも弱音は吐かない。「愛想振りまいているからなんでも押し付けられる」というよねの寅子評が可笑しい。
花江、毒饅頭みたいな役割になっております。はるいわく、作ってみたから、いまがある、ということ。花江がいたから、意地っ張りで捻くれたよねが、寅子たちへの気持ちを少しだけ素直に言えました。
弱音を吐いてもなにも解決しないというよねに、寅子は、弱音を吐いてもいいのだと言います。弱さを受け入れる弁護士になりたいと。
そこで、みんな弱音吐き大会。
一番、印象的だったのは涼子(桜井ユキ)の「私が優秀なのは、私が努力したからなのに、誰も認めてくれない(恵まれた環境のせいにされる)」というやつ。こう思っている人、世の中にいっぱいいそう。
花江も、はるへのストレスを吐き出します。褒めてくれない。いつも砂糖を足してしまうとついに本人の前で言いました。
そこへ直道(上川周作)がやって来て、お母さんの味が故郷・丸亀の味で甘めなのだと解説。
いつもの、「わかるよ」節が、今回ばかりは場を和ませました。ゆるっとした「わかるよ」で気持ちが弛緩し、なんかいろいろ無理がある展開を救ったのです。
直道がいなかったら、ちょっと気持ちの置きどころを見失うところでした。
よねの花江への嫌悪感はわかりますが、といって、急に、花江を下げて寅子たちを持ち上げるのはどうかと思うし、これでは、なぜ、前回「戦えない人」もいると寅子が言ったのか、その言葉の価値が迷子になる。
人間、完璧じゃない。矛盾だらけであるからこそ、本音や弱音を吐き出しながら連帯していこうということなのかなと気持ちを収めようとしながらも、ともすれば、#反省会 に行きそうなところ、直道のおかげで留まることができました。彼は、別居しようと提案もするのです。
直道のふわっとした態度、お父さん直言(岡部たかし)に似ているような気がします。いわゆる男性の優位性を発揮しないで、軽く見られておきながら、大事なところは抑えている。
このドラマには、尊敬できる男性が出てこないなあと思っていたのですが(穂高〈小林薫〉も法廷劇の騒動を早々に止めなかったので株を下げた)、頼りなげに見える直言、直道、そして浪人し続けている優三(仲野太賀)こそ、尊敬できる人かもしれません。
そんな家族に育まれた寅子は心広く、よねに、好きなだけ嫌な感じでいてと受け入れます。
北風と太陽じゃないですが、寅子の鷹揚さに、よねは、カフェーの女性から聞いた、月のものが楽になるツボ三陰交を教え、寅子は生徒たちに声をかけ、みんながよねのまわりに集まってきます。
笠松まつ(うらじぬの)がセリフを発したのはこれが最後だったのでしょうか。
せっかくしゃべったのに博多大吉さんは朝ドラ受けしませんでした。
昭和10年(1935年)。女子部卒業。本科に受かったのは寅子たち5人だけと、ナレーション(尾野真千子)。でも、あの法廷劇の乱闘記事によって生徒が入学し、女子部は存続しました。荒療治といったところ。
5人は西部劇のような劇伴を背景に、戦隊もののヒーローみたいに大学に向かいます。
まだ第3週とは思えないほど話が速く進んでおります。
イケメン枠(?)の花岡(岩田剛典)はすてきな男子生徒役かと思ったら、そうでもなさそうな……。
ところで。
涼子は玉(羽瀬川なぎ)に感謝の言葉を伝えます。玉のほうがきっといろいろあるけど弱音もはかず、置かれた場所でひそかに咲いているタイプでしょう。よねはツボを教えてくれたカフェーで働く女性たちから人生をいろいろ学んでいないのか。あの場所で働いているわりに視野が狭い。でもきっとこれから成長して変化していくのでしょう。まだ第3週が終わったばかりですから。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第16回のレビュー}–
第16回のレビュー
昭和10年(1935年)、寅子(伊藤沙莉)が晴れて明律大学法学部に入学しました。
いよいよ授業開始の前、家ではお祝いが行われています。
「やっと地獄の入口に立っただけ」と言うはる(石田ゆり子)に、寅子は「あれから地獄も変わりましたよ」と軽く返します。
法改正されて、女性も弁護士になれる時代が来たため、お気楽にお酒を飲む寅子。
姿勢を崩し、ぐいっと飲んで、ぷはーっと息を吐く。この飲み方がやけに堂に入っていて、良家のお嬢様ふうではありません。大衆居酒屋や屋台で一杯やってるおじさんのような印象ですが、こういうイメージもいつどのように生まれたのか定かではなく、単に先入観でしかないわけで。この偏見を覆す描写も、男女に対する意識の変化のように感じます。
と同時に、ざっくばらんな飲み方に親しみを感じる層も取りこぼさないという制作上の戦略も感じます。伊藤沙莉さんの起用が生きています。
花江(森田望智)は別居して子供ができて、安定しているようで、優三(仲野太賀)はまだ司法浪人。悲喜こもごもであります。
さて、大学はやはり地獄なのか、どんな男性からの厳しい目が待っているかと”臨戦態勢”で臨んだところ、「ご機嫌よう」と知的そうな見目麗しき男性・花岡悟(岩田剛典)が優雅に迎えてくれました。
【朝ドラ辞典2.0 ご機嫌よう(ごきげんよう)】「花子とアン」(14年度前期)では語り(美輪明宏)が物語の終わりにあいさつで「ごきげんよう」と言っていた。上品な印象を受ける挨拶。
出会ったときも別れるときも使える。
花岡は、寅子たちを「開拓者」と呼び、「ほんとうに尊敬しているんだ」と讃えます。すっかり嬉しくなる寅子たち。ただひとり、よね(土居志央梨)だけは警戒を緩めません。視聴者的には先週の予告で花岡のやな面が出ていたので、よねに賛同致します。
法廷劇でヤジをとばした小林浩之(名村辰)や、バンカラな雰囲気の轟太一(戸塚純貴)などは女性たちに偏見がありそうな人物もいますが、小林はあの事件以来、おとなしくなってしまい(たぶん、法改正もされたから)、轟も、口は悪いけれど純朴そうでけっして悪意ある人物ではなさそうです。むしろ、よねと轟の対立はおもしろくなりそう。
課題に関して白熱した議論を交わし、お昼ご飯も男女一緒に食べるような”THE 平和”な日々。法の力って大きいのだなあと思わせる描写です。
梅子(平岩紙)ははりきっておにぎりを握ってきています。これはもうみんな、おかずしか持ってこないようになっている流れでありましょう。
ところが、ある授業の日、穂高(小林薫)の代わりに教えに来た大庭徹男(飯田基祐)は梅子の夫で……。
たちまち「スンッ」という顔になる梅子。「スンッ」という顔の意味が平岩紙さんの表情ですごくよくわかりました。平岩さんはあっさり顔で、決して表情がよく動かす印象ではありませんが、これまで寅子たちと接しているときの穏やかで優しげな表情と、夫が現れたときの緊張感漂う顔はまるで違っていました。白い顔がますます白くなったように見えるからすごい。
第16回で、印象的だったのは、直言(岡部たかし)が酔っ払って寅子と話す場面。はるは直言に読んでほしいときわざと手帳を開いて置いておくという夫婦の信頼関係を感じさせる話と、「不純でもなんでも父さん、トラが幸せならなんでもいいよ」とやけにセリフがシリアスで。
直言はエリート銀行員に見えないのですが、その分、親しみがわく好人物で、やっぱり世のエリートとはこういうものという偏見を覆すキャラなのです
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第17回のレビュー}–
第17回のレビュー
穂高(小林薫)の代わりに、梅子(平岩紙)の夫で弁護士の大庭徹男(飯田基祐)が民事訴訟の講義を行うことになりました。
穂高は腰痛を理由に講義を大庭に任せましたが、一歩教室を出るとスタスタ歩きだして、なんだか狸親父です。
大庭は一見、スマートなエリート。でも梅子を下げることで話を盛り上げるやり方をする人物でした。
例えば、民事訴訟の判例――犬に顔を傷つけられた女性の慰謝料が1500円のところ、梅子だったら300円だと言ったり、彼女を「こんなおばさん」と言ったり。
身内下げは謙虚という考え方もありますし、「愚妻」という言葉があります。そもそも女性を下に見ているから自然に態度や言葉に出てしまうということでしょう。
大庭が使った「家内」という言葉も、家の中にいる人という意味で、妻の可能性を狭めています。このへんのことは、かつて「マッサン」(2014年度後期)で異国人のエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)が問題視していました。
第一、妻の通っている学校に、頼まれたとしても、わざわざ教えに来て(しゃしゃり出て、という言葉を使いたい)、自分の能力をひけらかし、梅子がさも役に立たないような言い方をするのもおかしな話です。
梅子は最初「スンッ」と澄ましていなしていましたが、やがて「ムッ」となり、夫が帰ったあとは別人のような顔で、「うちの人、若い子と話し慣れてないから、私を使うのよ、話の潤滑油に」とうふふふふと笑いとばします。でも甘味処にいこうと誘ったり、そこで全員(男子の分も)奢ると言ったり、やけに豪気なのは、夫に抑制されてストレスが溜まっているのでしょう。
大学生の徹太(見津賢)はともかく、13歳、8歳の息子もいて、彼らはまだ手がかかるのではないかと思うのですが、おにぎり大量に握りながら学校に通っている梅子ってすごいと大庭は思わないのかなあ。家事は女中さん任せなのでしょうか。
妻を下げる大庭ですが、寅子(伊藤沙莉)たちのことはやけに持ち上げます。
寅子が大庭の「結婚前の女性にとって容姿というものがなにより大事」という言葉に「はて?」と疑問をもつと、「君たちのように利発でかつ容姿端麗なすばらしいご婦人たち」と寅子たち法科に入った女生徒たちを褒めることでその場をごまかしてしまいます。
良く言われてしまうと気が削がれるというか……。褒め殺しです。
花岡(岩田剛典)も「彼女たちは特別です」と賛同。
妙に持ち上げる態度が何かへん。この奇妙さは、のちにわかります。
男女でハイキングに行くことになって待ち合わせたところ、先についていた花岡たちの会話に本音が。じつは花岡は女性を軽んじているようで、「女ってのは優しくしているとつけあがるんだ」とのたまい、寅子たちのことも「five witches」と小馬鹿にしていました。
ただひとり、愚直なまでに、轟(戸塚純貴)は「撤回しろ」と意見を言います。彼は講義で大庭が梅子を笑いものにしたときも、ほかの男子生徒のように笑わず、はて?という顔をしていました。男子の価値観に染まっていない轟、すばらしい。
やっぱり人間とは奥深く、口当たりのいいことを言う人がいい人とは限りません。
でも女性を差別する男子たちにも格差に悩みを持っていました。甘味処に、梅子の息子で帝大生の徹太が現れると、たちまち「スンッ」となってしまいます。甘味処の主人がわざわざ「明律の皆さん」と言うのも意地が悪い。
あの優三(仲野太賀)まで寅子の話を聞くと、帝大生を前にしたら「嫉妬や羨望で普通ではいられないよ」と感情をあらわにします。
男たちは、てっぺんに立てない自分を鼓舞するために、女性下げをしている。
結局、誰もが自分より下を作って折り合いをつけようとしているのだとおもいます。でも寅子たちはそうではない。
最後になりましたが、判例を寅子の脳内で再生した映像で、石田ゆり子さんが犬の役を演じていて、着ぐるみを着てにっこり笑ってしゃがみ、体を左右にかすかに揺らしている姿が衝撃的でした。犬好きで有名な石田さんではありますが、犬を演じるとは、ずいぶん思いきられたなあと。
ただ、こういうお茶目なところをレビューの主題にもってくることができないほど(見出しにはしてしまいましたが)「虎に翼」は中身がぎっしり詰まっていて、毎朝、考えさせられてしまいます。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第18回のレビュー}–
第18回のレビュー
法学部の面々でハイキング。
轟(戸塚純貴)は「男の役目を果たすまで」と皆の荷物を率先して持っていきます。たくましい。
「男も女も関係ないだろう」と反論するよね(土居志央梨)にも今日は議論しない、と爽やか。
男も女もないと思いたいところですが、やっぱり体力差というものは厳然としてあって、寅子(伊藤沙莉)は靴擦れして歩みに遅れをとってしまいます。
花岡(岩田剛典)は紳士的に治療してくれて、なんなら背負うとまで言います。本来なら、これで、ぽっとなってしまいそうなところ、第17回で、花岡の女性に対する本心を聞いてしまったため、心は動きません。いや、プラスには動かないけれど、なんなんだ?と疑問に心は揺れます。
今日は梅子(平岩紙)のおにぎりだけではなく、涼子(桜井ユキ)も豪華なお弁当を持ってきて、男子たちは舌鼓を打ちます。
料理は女の武器という小橋(名村辰)に、花岡は法学部の女性は料理を武器にする必要はないと言います。大なり小なりなにかとぶつかりあう男女差の問題。
そうこうしていると、梅子の8歳になる息子・光三郎(石塚陸翔)に、小橋が、お父さん(飯田基祐)に妾がいるという話をして、寅子が止めに入ります。
夫の女遊びに関しての議論がはじまって、花岡の発言から「私達の学びと女遊びを同列に並べないで」と寅子は憤慨、これまで紳士的にふるまっていた花岡もついにキレはじめ、その勢いで崖から……。
最初に手を出したのは寅子でした。花岡の発言にカチンときた寅子が小突きながら反論。議論が白熱したすえ、花岡が手をかけた柵が緩んでいて、足を滑らして落ちたーー。
花岡と寅子のいる場所を引きで映した画を見れば、それほど高い場所ではないのがわかります。が、落ちた瞬間は断崖のように見える画で、こりゃ命にかかわる大事故だろーと思ってしまいます。
寅子は頭もキレますが、手も出やすい。感情のコントロールが若いときはまだうまくできないというのは、「赤毛のアン」のアンや「若草物語」のジョーのようです。たぶん、寅子が愛されるのは、こういうヒロイン像を踏襲しているからではないかという気もします。
一方、花岡は、内心、女性を見下していますが、紳士的な仮面にうまく隠しているし、怒っても声を荒げません。声のコントロールをちゃんとしているところが立派とも言えます。が、感情は乱れていて、だから落ちてしまったのでしょう。
病院に運ばれた花岡。待合室で心配している寅子たちに、梅子が離婚を考えていることを明かします。
若い頃は、良妻賢母になる自信があり、結婚し男の子を産んだものの、そこから夫は外に女性を作ってしまった(大河ドラマ「光る君へ」の詮子〈吉田羊〉みたいです)。
長男・徹太(見津賢)も父に倣って自分を見下すようになり……。梅子は自分の立場に諦めをもったことを反省し、学んで離婚し親権をとりたいと決意。でも現時点では、親権は父と法律で決まっています。
「いまはだめでも糸口を必ず見つけてみせる」と静かに強く語る梅子の状況に共感し、応援する女性視聴者はたくさんいるでしょう。
梅子は学校に来たことで、寅子たちと出会い、見下されるようなことのない、愛されるに足る人物であることを認識できたのです。
場所を変え、つきあう人を変えれば、おにぎりをふるまったり、優しい声をかけたり、自分のなかにある善を発揮して、喜びに変えることもあるのだなあと思います。
ハイキングで思った男女差。男性はズボン(あえてズボンというワードを使ってみました)で動きやすく、女性は着物やスカートで裾が気になり動きづらそう。足手まといになりかねない。よねの男装がハイキングでは機能的そうです。寅子はなぜスカートを選んだのか。現代における、山ガール的なファッションなのか。「私がいつ男になりたいと言いましたか?」という発言もありましたし、女性であることを大事にしながら、平等を求める。難易度の高い戦いなのです。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第19回のレビュー}–
第19回のレビュー
一筋縄ではいかないドラマです。
まず、花岡(岩田剛典)の扱い。初登場のとき、じつに爽やかに出てきたかと思ったら、実は女性を見下していたことが判明して、敵キャラ?と思ったところ、轟(戸塚純貴)にたしなめられて、あっという間に本音を吐露します。
女性と浮名を流すのも、寅子(伊藤沙莉)たちの陰口を叩くのも、本心からではなく、男子生徒たちになめられたくなかったから。単なるかっこつけだったと。
花岡の種明かしは、梅子(平岩紙)に謝罪する場面で行われます。その様子を、轟と寅子が柱の影に隠れて、朝ドラあるある「立ち聞き」(朝ドラ辞典参照)します。この奥行きのある構図が良かった。単調になりがちな朝ドラの画面にしてはいい画づくりでありました。
このときの梅子が良いのです。
「ほんとうの俺じゃなくて」と反省する花岡に、
「人は持っている顔はひとつじゃないから。たとえまわりに強いられていても、本心じゃなくて演じているだけで全部花岡さんなの」と言うのです。
ほんとの自分じゃないという自己弁護を批評しつつ、「でも花岡さんの思うほんとうの自分があるなら大切にしてね。そこに近づくようがんばってみなさいよ」と肯定もする。梅子がそれをできたのは、彼女自身がほんとの自分を隠して、寅子のいうところの「スンッ」として生きているからでしょう。
誰しも相手によって話すことも態度も変わるもので、それは相手の影響を受けた”自分”なのだという深い話で、演じているのも自分、という考え方、とても潔いと思います。
第18回で、梅子の過去を描いたからこその、花岡との会話の説得力でした。
となると、夫と帝大生の息子にもきっといい面もあるのではないでしょうか。
改めて花岡と寅子が話したとき、寅子は花岡から「これじゃまた君のことばかり考えてしまうだろう」と言われます。
「えっ? えっ えっ え〜」(ナレーション〈尾野真千子〉)
寅子がぼーっと、そしてにんまり浮かれて帰宅すると、それどころではなく。
直言(岡部たかし)の贈賄容疑が持ち上がっていて……。潔いくらいに、つづきを気にさせる手法。
最近、直言の様子がへんだったことを直道(上川周作)は「女がいる」とひとりごちていましたが、予想とまったく違い過ぎる展開に。
ほんとは、病室で、「愚か者」と頬をひっぱたき「思ってもないことをのたまうな」「上京そいてからのおまえ、日に日に男っぷりが下がっている」と花岡を叱咤した轟がすばらしかったのに、ラストのインパクトが強すぎて、病室での話が別の回のように遠のいてしまいました。毎回、15分の内容が濃すぎます。
展開が濃すぎて早すぎて、花岡が崖から落ちてあちこち怪我して入院した要因はそもそも、寅子が彼を小突いて、意図せずとも崖っぷちに追い込んでいったことがきっかけであることが、轟のエピソード以上に記憶の彼方です。
口論になったときなぜ相手を小突く必要があるのかということについては、深く考える間を与えない流れです。ほんとうだったら、取り返しのつかないことになったかもしれないと自分の心臓が止まりそうなほど、ご飯も喉を通らないほど考え込んでしまいそうな極面でしょう。そこは視聴者の想像力や良心を信頼されているのだと思うことにします。
【朝ドラ辞典2.0 佐賀(さが)】はなわやさや香にネタにされる佐賀。九州地方にあり、戦国時代には秀吉が「名護屋城」を作って唐入り(文禄・慶長の役)の拠点にしていた。「虎に翼」では花岡の故郷が佐賀。朝ドラで最初に佐賀が登場したのは1969年の「信子とおばあちゃん」。ヒロイン信子の生まれ故郷が佐賀だった。朝ドラで佐賀を印象付けたのは1983年の「おしん」。ヒロインおしんの嫁ぎ先が佐賀で、そこでの嫁いびりが壮絶で、良くも悪くも忘れられない地名となった。2015年、「ひよっこ」ではヒロインみね子の初恋の相手の故郷が佐賀で、彼はみね子との交際を親に反対され、家業を継ぐため佐賀に帰ってしまう。朝ドラでは何かといい印象がない県で、花岡が一瞬いやなキャラに見えたので、またかと思ったが、いやなキャラは偽悪的なものだったことがわかり、佐賀の印象が悪くならずに済んだ。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第20回のレビュー}–
第20回のレビュー
夜に向いている米津玄師の歌が効いてきました。突如、直言(岡部たかし)に贈賄容疑がかかり、本人はすでに勾留され、捜査令状をもった検察の日和田(堀部圭亮)が数人、部下を引き連れてやって来て、家を捜索します。
「これが猪爪家と検察との戦い。その長い日々の幕開けでした」というナレーション(尾野真千子)のあとの主題歌がいつもと違う雰囲気に聞こえました。
共亜事件のはじまりです。
この事件は、帝人事件がモデルであろうと推測されます。1934年に起こった株式売買による疑獄事件で、その影響で当時の斎藤内閣が総辞職しました。
共亜事件でも、不正な株式売買によって利益を得た政治家たちが逮捕されました。直言は銀行の理事と共に株の取引にかかわり賄賂を贈った罪に問われたのです。
理事が直道(上川周作)の仲人だったと聞くと、直言と理事との関係が深いと疑われるのも無理はなさそうです。
ドラマがはじまる前に行われた会見で、筆者はプロデューサーに、寅子のお父さんが捕まった事実はあるのか聞いたところ、お父さんの逮捕はドラマのオリジナルであると教えてもらえました。
Yahooニュースエキスパート『朝ドラ「虎に翼」は日本初の女性弁護士・三淵嘉子がモデル。史実とのバランスをどうするかCPに聞いた』
モデルのいるキャラクターのお父さんを容疑者として描くのはなかなか大胆です。でもそれによって、犯罪者にはしないだろうという想像もできます。が、先のことは流れに身を任せ、いまは、描かれていることだけ見ていきましょう。
法を学んでいるにもかかわらず、何もできず悔しい気持ちになる寅子(伊藤沙莉)を
優三(仲野太賀)が「これからもつらいことがきっと起こる。でもひとつ救いなのは僕らが法を学んでいることだ」と励まします。
検察が来たとき、毅然と対応したのも優三です。家宅捜査をさせる代わりに、土足はやめてくれと人間としての尊厳を守ろうとするところはほんとうにかっこよかった。ところが、状況が落ち着いたときお腹を下してしまいます。緊張するとお腹にくるタイプなのだという描写のおかげで、あまりに深刻な話になってしまいそうなところが救われました。
もうひとりの救いは、おなじみの直道。ひとり、遅れて帰宅したり、相変わらず「僕にはわかる」と言ったり。今回、彼がわかったのは、すぐに直言が帰ってくること。もはや、直道が「わかる」と言ったことはすべて間違っていると思ってしまうので、お父さんもきっと帰ってこないだろうと覚悟ができました。
猪爪家の男性陣はどこか抜けたところがありますが、末っ子の直明(正垣湊都)だけは幼いにもかかわらず、こんな状況でもしっかりしていて、将来が楽しみです。
また、はる(石田ゆり子)もしっかりしています。弱った顔はしますが、感情をあらわにすることはなく、この状況をしっかり記録しようとします。法を学んでいなくても十分、立派な人だと感じます。検察の人に、大声を出したり、手を出したりしないですから。まあそれは年の功ということでしょうか。
これからはじまる予審の前に、弁護士を頼まないといけない。けれど、誰も弁護を引き受けてくれません。梅子(平岩紙)の夫(飯田基祐)もけんもほろろ。そのときの息子の顔がまたやな感じで。なんでこんなに憎々しい人に育ったのか。
予審とは、法務省のサイトによるとこうあります。
旧刑訴法に定められていた予審制度は,公判前に,予審判事が,必要な事項を取り調べ,被告事件を公判に付するべきか否かを決める手続である。
ナレーションは「予審制度は現在ではもちろん廃止されています」と断っています。「もちろん」という言葉をわざわざつけたのはなぜなのだろうと脚本家に質問してみたい。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第21回のレビュー}–
第21回のレビュー
官僚や大臣たちが逮捕され日本を震撼とさせた共亜事件。取引の実務に関わったとして直言(岡部たかし)も勾留されていました。
国民から敵視される事件のため、直言の弁護人を引き受けてくれる人も現れず、寅子(伊藤沙莉)も大学に行きづらくなっていたところ、穂高(小林薫)が刑事事件は専門外ながら、直言の弁護人を引き受けようと申し出ます。
第5週「朝雨は女の腕まくり?」(演出:安藤大佑)のはじまりは不穏です。
穂高はいい人かと思えば法廷劇では男子学生のヤジを本気で止めないし、仮病を使っているようだし、本音の見えない狸親父です。たぶん、徳川家康の”狸親父”のイメージって穂高ぽい人ではないかなと想像します。つまりじつは大物なんじゃないでしょうか。
穂高を演じている小林薫さんは「カーネーション」(10年度後期)では糸子(尾野真千子)の父で、男尊女卑で家で威張ってるダメ父を演じていたとは思えない、フラットな知性を感じさせる演技です。
穂高といっしょに寅子の家にやって来た花岡(岩田剛典)は、家族同然に居座っている優三(仲野太賀)を意識しています。国民的犯罪事件を前に緊張感漂う物語が少しだけ緩みました。
また、あとで寅子が大学に復帰したとき、彼女と話すとき花岡の回りくどさを「不器用でいろいろ考えすぎちゃう人なのね。ほんとうの花岡さんは」と指摘されてしまうくだりもホッとする場面です。
穂高に促され大学に復帰した寅子ですが、また小橋(名村辰)と稲垣(松川尚瑠輝)に何を言われるか……と思ったら、引きつった微笑みで迎えられます。その理由をナレーション(尾野真千子)が説明。予想どおり小橋らは悪口を言っていましたが、轟(戸塚純貴)が体を張って阻止したのです。
寅子の見ていない場面を描くとき、たとえば、昨日こんなことがあったと梅子(平岩紙)などが回想するなど、たいていは誰かの伝聞になるものです。でも、そうではなくナレーションがまるで神の目のように語ります。
ナレーションは寅子の感情もことごとく説明します。今回もよね(土居志央梨)たちがノートをとっておいてくれていたことに「じわじわ来ている寅子」などとかぶせてきます。 はて? これにはどういう意図があるのでしょうか。
客観性です。ナレーションは俯瞰して物事を見ている存在です。法律の物語なので、誰かの一人称ではなく、俯瞰して物語を見ている目線として置かれているのでしょう。裁判所にある、天秤を掲げている正義の女神かもしれません。
穂高が弁護人を引き受けてくれたにもかかわらず、直言は予審で罪を認めたため、弁護できなくなりました。
いよいよはじまる裁判の前に一時帰宅した直言は、身も心も弱りきって見えます。こういう弛緩した演技は岡部たかしさんの真骨頂。検事・日和田(堀部圭亮)に厳しく取り調べられていたので無理もありません。
でも、いわれなき罪をかぶっているのなら……。
穂高は、家族なら直言の真実にたどりつけるのではないかと、寅子に託します。
「君にしかできないことがある」と。
法を学んでいる寅子の本領が発揮されるときです。
この回、ちらっと登場した水沼淳三郎(森次晃嗣)、若島武吉(古谷敏)のふたり。
クレジットに並んだふたりがSNSで注目されました。
水沼は貴族院議員で、日和田とつながっている人物。若島は逮捕された現職大臣のひとり。
森次さんは、ウルトラセブンの主人公モロボシ・ダン役、古谷さんは「ウルトラマン」のアマギ隊員かつ初代ウルトラマンの中の人(スーツアクター)で有名です。
朝ドラで「べっぴんさん」に「帰ってきたウルトラマン」の団時朗さんが出演されたこともあり、ウルトラ俳優が出るたび、盛り上がります。
地球を守る正義の人を演じたおふたりが演じる水沼と若島、はたして、いい人? 悪い人?
【朝ドラ辞典2.0 ヒーローもの俳優(ひーろーものはいゆう)】朝ドラは国民的番組。ウルトラマンシリーズや戦隊シリーズも国民的番組。というつながりなのか、ウルトラ俳優や戦隊俳優が出演するとSNSが沸く。それだけ知名度があるということで、ネットニュースのネタになりやすいのがメリットであろう。年代的に、戦隊出身俳優は若手、ウルトラ俳優はシニア層の役でキャスティングされている。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第22回のレビュー}–
第22回のレビュー
予審で罪を自白した直言(岡部たかし)。
でも穂高(小林薫)には気になることがあり、言われなき罪を背負っているのなら、それを聞き出してほしいと寅子(伊藤沙莉)に託します。
それができるのは家族なのです。
穂高は調書を書き写す仕事も寅子に頼みます。涼子(桜井ユキ)たちや花岡(岩田剛典)や轟(戸塚純貴)の友情による協力も得て写していくことで、事件のあらましが見えてきます。
こういうとき、さくっとみんなが協力するのではなく、花岡がどう声をかけていいものか躊躇しているところを涼子が助け舟を出すという流れ。言ってみれば、綾波が「こういう時どんな顔すればいいのかわからないの」と戸惑うとシンジくんが「笑えばいいと思うよ」と言うような場面です。第21回の花岡の不器用さが生きています。こういう手間をひとつ加えるだけでキャラが膨らみます。
写した調書をもとに内容の検証も行う寅子たち。たぶん穂高はこれも課外授業にしているのでしょう。
優三(仲野太賀)も当然協力します。はる(石田ゆり子)とうまくいってなかった花江(森田望智)すらも、雨降って地固まるではないですが、世間の目を考えて直道(上川周作)共々、猪爪家から籍を抜いたほうがいいと言われても、いまは一致協力して直言の無実を晴らそうと励ますのです。
事件は重いものですが、これで家族がひとつになりました。
すると、はるが毎日つけていた日記から直言の自白の矛盾が見えてきます。自白した内容と日記に書かれた直言の行動に相違があると寅子が指摘していく場面はわくわくしました。
「無能力者」のように言われていた妻が毎日、コツコツ30年、家のことを書き続けてきた日記がここで役に立つのはなんて輝かしいことでしょうか。その日記も、第4週で、夫婦の間の暗号のような役割もしていたことが描かれていて、盤石です。花岡のエピも合わせて、とても丁寧な脚本だなと感じます。
検察がいろんなものを押収していったとき、はるは日記を隠し、持っていかれなかったのが救いでした。女の手帳などとるに足らないと軽視したかもしれないことから綻びが生まれたということにも痛快さを感じます。
直道の「俺にはわかる。お父さんは悪者顔なだけで、悪いことができるたちじゃないだろう」のセリフも効いてます。お父さんがどうも銀行員エリートの顔じゃないという印象は自覚的だったのです。「悪者顔」だという設定だったとは。わりとだらしないくずっぽい役を多く演じている岡部たかしさんを起用した理由がつきました。
でも、直言の自白は理事に頼まれたもので、そこには相当の責任があるようで簡単には撤回できなそう。この重大事がわりとあっさり家庭内で明かされてしまうのが拍子抜けとはいえ、こういうちょっと調べればわかる事実がなぜかしれっと隠蔽されてしまうことがおそろしいということなのかもしれません。
穂高は寅子に被告人たちの弁護人たちと引合せます。錦田力太郎(磯部勉)や雲野六郎(塚地武雅)、七沼弁護士(若林幸樹)など一癖も二癖もありそうなメンツです。
新劇劇団の老舗・俳優座出身の磯部さんのセリフの明瞭さと声の良さに惚れ惚れ。ちょうどこの間、磯部さんの代表作「風神の門」を見直していたところだったので、個人的に盛り上がってしまいました。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第23回のレビュー}–
第23回のレビュー
穂高(小林薫)がベテラン弁護士たちを集め、直言(岡部たかし)たちの無実を証明しようと呼びかけました。
「法は正しい者を守るものだと私は信じたいんです」という寅子(伊藤沙莉)の言葉に、ベテランの弁護人たちも共鳴したようです。
寅子がさらに、自白の内容と相違のある記録を見つけ出してくると、強面の錦田(磯部勉)も「やってみる価値はありそうだ」と賛同してくれました。
涼子(桜井ユキ)の父のコネで若島大臣邸の訪問記録を手に入れたりして、決定的な大きな証拠は見つかりませんが、小さなことからコツコツと。
はる(石田ゆり子)の日記には14箇所の自白との相違点があったうえ、大臣邸の訪問記録にも訪問した記録がないとか、ちょっと調べたらわかることでも有罪にしてしまえる。権力の横暴さに暗澹たる気持ちになります。権力は白を黒にしてしまう。その逆もまた然り。
あることをないことのように、ないことをあることのように書くのは、マスコミもそうであります。寅子が女子部に入ったとき、恣意的な発言の切り取りを行って記事を書いた竹中(高橋努)に事件のことを書いてくれないかと頼みますが、「ガキが足つっこんでいい事件じゃない」と相手にしてくれません。
聞きつけた別の記者が、「父の無罪を信じる女子法学生」という小さな記事を書いてくれました。
が、署名活動などもしている寅子に反感を覚える人たちもいて、街で狙われます。
それを助けてくれたのは竹中。
共亜事件には大きな力が動いており、へたすると寅子の身に危険が及ぶと忠告します。
そして、内閣を総辞職させるためにこの事件が起きたのだと秘密を語ります。
誰が何のために? 貴族院議員・水沼(森次晃嗣)が影で操っているのではないかとまで竹中はしゃべってくれます。朝ドラにしてはシリアスな展開ですが、わりと簡単に謎が解けていくのは朝ドラらしい。
竹中は「この国はどんどん傾いていくぜ」と語ったあと、
タバコを吸おうとして箱が空っぽだったためいらっとして地面に投げ捨てます。
地面に叩きつけた音が竹中の苛立ちが伝わってきました。
裁判がはじまると、武井裁判長(平田広明)の横に、桂場(松山ケンイチ)が裁判官としていて、はるは顔をしかめます。以前、彼にひどいことを言ってしまったので、心象を悪くするのではないかと後悔したのではないでしょうか。
平田広明さんは「ONE PIECE」のサンジや「TIGER & BUNNY」の鏑木・T・虎徹などでおなじみの声優さん。弁護士・錦田といい、いい声の人たちが裁判所に集結してきました。
傍聴マニアの笹山(田中要次)も久しぶりに現れます。
直言は、日和田(堀部圭亮)が扇子を耳障りに叩く音が神経に触ったようで、倒れてしまい、裁判は一旦休止になりました。日和田はわざとそうやって精神的に攻撃することで、検察側に有利になるような作戦なのでしょう。いかにもいや〜な検察官を鮮やかに演じています。
取り調べでもさんざん暴力的に扱われたうえ、自分が認めないとほかの人達にも危害が及ぶとプレッシャーをかけられ直言は萎縮しています。こうやって罪が作られていくと思うとほんとうにおそろしい。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第24回のレビュー}–
第24回のレビュー
倒れた直言(岡部たかし)が一旦、休憩して戻ってくると、寅子(伊藤沙莉)に「ごめんな トラ」と謝り、検察側の主張する事実をすべて否認しました。この「ごめん」は、嘘を言って「ごめん」ではなく心配させて「ごめん」でした。
直言は自白を強要されたとまで言い、法廷は騒然。
が、日和田(堀部圭亮)は予審で自白したではないかと強気で攻めてきます。このとき、また扇子をパンパン叩きます。直言は今度は「やめてくれませんか」と言い返すことができました。その言い方が岡部たかしさんらしく、真面目なシーンのいいアクセントになっています。
一旦休憩して、穂高(小林薫)と話したことで気持ちの整理がついたようで、よかった。
ここから弁護側が反撃開始。検察側が証拠とする事実が曖昧であることを指摘していきます。が、いったん自白したではないかとなお強気で、記録はいくらでも偽装できると突っぱねます。
弁護側は、身内のはる(石田ゆり子)の日記はいくらでも改ざんできると検察側に言われても、はるが着物を買った呉服屋の記録もすでに調べていたりして、抜かりはありません。
検察側の指摘する証拠はどれも曖昧。「疑いがある」「推測できる」「そう察せられる」と「どれもぼんやりしている」と穂高は指摘。
そして、長時間にわたり革手錠をして自白に追い込んだことは人権蹂躙に当たるのではないかと切り込みます。日和田はひどい暴れようをしたから手錠をしたことを「鮮明に覚えています」と言いだします。「曖昧」と言われたから「鮮明」と言い換えたのでしょう。
こういうやりとりは頭の体操になり、朝の眠い目が覚めて、ありがたい。
革手錠で縛ることは、違法の可能性があるが、直言が暴れたからだと言い逃れようとしますが、
寅子が監獄法施行規則第49条に規定されたことに気づきます。手錠は所長の許可を得ないと使用できないが、それをできたのかと。
「記憶が定かではない」と言い逃れする日和田に、さっきは「鮮明に覚えている」と言ったことを指摘。ついに形勢逆転。
言葉尻を捉えて攻めていくのはじつに小気味いい。
世論も検察側への批判が高まります。それでも1回自白したことを盾にことを押し通そうとしていて……。
裁判で、さりげなく桂場(松山ケンイチ)が助け舟を出していました。松山さんは大河ドラマ「どうする家康」で扇子を小道具に使っていましたが、今回は扇子を小道具に使っている日和田にチクリと言う役割です。
桂場が裁判で余計なことを言ったからか、日和田と繋がっている水沼(森次晃嗣)が目をつけたようで、出世をちらつかせてきます。ここまでの桂場のキャラをふまえると転ぶ人ではないであろうと思いますが、さて……。
第1回公判は昭和11年1月で、それから12月。1年も争っていたのか。長い。でもドラマは15分。
判決ーー。当然ながら、結論は次回に持ち越しです。土日挟まないだけマシですが、気になる〜。
リーガルドラマは情緒ではなく理屈推しで、よくも悪くもシンプル。視てる誰もが間違えようがなく、展開がわかりづらいとかほかの人の解釈が気に入らないとかいうストレスなく見られるのが、人気の要因でありましょう。
こういう場では俳優の芝居が情緒を担います。
狸親父的な小林薫さん。口ぶりは柔らかく、でもチクチクと攻めてくる賢い意地悪さ。敵に回すとこわいけれど、味方にしたら愉快だし頼もしい。
ちらっと出たときのちょび髭がユーモラスかつ当時の人らしさもあり、いいアクセントになって印象に残る錦田役の磯部勉さんもさすがで、ひたすら実直そうな雲野役の塚地武雅さんも。
松山さんも、澄ました顔の下に何かを秘めていることがわかります。
堀部さんのあの異様な圧の強さもなかなか出せるものではない。
そして、岡部さん。人間の弱さを惜しげもなくさらけだしている。
言葉にならない部分を豊かにふくらませてくれる俳優たちの層の厚さが見どころです。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{第25回のレビュー}–
第25回のレビュー
「あたかも水中に月影をすくいあげようとするかのごとし」
(桂場)
「判決を言い渡す」(裁判官〈平田広明〉)
……でタイトルバック。
前回から引っ張って、さらにまだ引っ張る念の入れよう、嫌いじゃない。
タイトルバック明け。
判決は、無罪。
直言(岡部たかし)のみならず、裁判にかけられた被告人16人、全員無罪になりました。
引っ張って引っ張った分、よかった感が倍増です。
やはり検察側の提出する証拠の数々が曖昧過ぎて、証拠不十分どころか犯罪そのものが存在しないとされました。控訴も諦めるほどぐうの音も出ない結果です。
そのときの主文に書かれた言葉が、「あたかも水中に月影をすくいあげようとするかのごとし」というじつに文学的なのもの。
これは桂場の書いたものだと、穂高(小林薫)が言い当てました。
穂高は桂場がロマンチストで、かつ、蟻一匹通さないほど完璧であるとも言います。
こういう人ってかっこいいです。数学者や科学者が数式や化学式や法則に美を見出すようなものと近いかと思います。そういう人は物語のキャラになりやすい。
検察が司法に私利私欲にまみれた汚い足で踏み込んできたことが許せないと、酔いにまかせて語る桂場。その怒りも、穂高は判決文から読み解いていました。
桂場の法への気高い思いと似たようなものを、寅子(伊藤沙莉)も裁判を経験して気づきます。
甘味処で待ち伏せて、桂場に、法律は武器でも防御のものでもなく美しいまま守るべきものということを湧き水に例えて語ります。それに桂場は反応。裁判官になりたいのか?と訊ねますが、この頃、まだ女性は裁判官にはなれませんでした。
ただ、寅子のモデルである三淵嘉子さんは弁護士を経て裁判官になりますし、ドラマの第1話で、法が男女平等を定め女性が裁判官になれる時代のはじまりを描いていたので、これがのちの寅子の進路に大きく関わってくる出来事だったのだとわかります。脚本がいちいち親切丁寧。
甘味処の主人が寅子にごちそうしてくれて、それを食べて満足顔で金曜日が締まるのも、とても気持ちがいいものです。桂場も何度もお預けをくらっていた団子をついに食べていました。
裁判が終わったあと、猪爪家で家族のお祝いが催され、傍聴マニアの笹山(田中要次)が寿司を持ってきてくれるのも嬉しいシーン。寿司屋であると言うからいずれ寿司屋のシーンが出てくるかと思っていたら、こう来たかと。
戻ってきた直言が、行けなかった映画を見に行こうとチケットを差し出すと、はる(石田ゆり子)が堰を切ったように泣き出す場面も良かったとしか書きようがありません。
はるが「私が小うるさいから」と自覚していたり、直道(上川周作)の言葉を真に受け女がいるんじゃないかと心配していたと言ったりするのも、石田ゆり子さんが見事にかわいい女房感を出していました。
そして、岡部たかしさんだから、確かに女がほかにいるかもと思わせるだらしさなと妙な色っぽさが出ていて、はるの悩みにもナットクできるのです。岡部さんはちょいちょい女性にだらしない感じの役を演じていらっしゃるので。
桂場の自分の美学を大事にするキャラも、松山ケンイチさんの代表作、「DEATH NOTE」のLのイメージもありました。そういえば、Lも甘いもの好きでした。俳優のイメージも生かした脚本で、何もかもよくできています。
1年半に渡るほどで、国家権力が関わっている裁判も朝ドラの枠に合わせて、重苦しく難しくなりすぎず、誰でもわかるものにまとめてくれているのもありがたい。
※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。
–{「虎に翼」作品情報}–
「虎に翼」作品情報
放送予定
2024年4月1日(月)より放送開始
出演
伊藤沙莉 、石田ゆり子、岡部たかし、仲野太賀、森田望智、上川周作、土居志央梨、桜井ユキ、平岩紙、ハ・ヨンス、岩田剛典、戸塚純貴、 松山ケンイチ、小林 薫ほか
作
吉田恵里香
音楽
森優太
主題歌
「さよーならまたいつか!」(米津玄師)
ロゴデザイン
三宅瑠人、岡崎由佳
語り
尾野真千子
法律考証
村上一博
制作統括
尾崎裕和
プロデューサー
石澤かおる、舟橋哲男、徳田祥子
取材
清永聡
演出
梛川善郎、安藤大佑、橋本万葉ほか