<ブギウギ ・東京編>6週~10週の解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】
第48回のレビュー
喫茶バルボラで久しぶりに羽鳥(草彅剛)と会うスズ子(趣里)。羽鳥は一井(陰山泰)から六郎(黒崎煌代)の戦死を聞いて、慰めに来たのです。
店内では、客が、戦争の話題でもちきり。「葬式とおまつりがいっぺんに来たみたいです」とスズ子。戦地で亡くなっている人もいるにもかかわらず、皆、ノリノリで、戦況を楽しんでいる様子。なんだかスポーツの話題でもしているかのような熱気を、羽鳥とスズ子は冷ややかに見ています。この温度差。
まわりはみんなおかしくて、主人公側だけ冷静で正しいみたいなムードはちょっと極端かなという気もします。が、ここで庶民が全員、戦争を疑問視するのも偏りますし。難しい。
梅吉(柳葉敏郎)は息子の死にすっかり気落ちして、故郷に帰ると言い出しました。
梅吉の残念なところは、自分の哀しみばかりで、娘のスズ子のことが頭にないことです。彼女の哀しみを受け止めて、一緒に悲しむことをしない。暴力をふるったり、お金を奪ったり、怒鳴ったりはしません。
梅吉の言動は慎重に、とてもソフトに描かれてはいますが、本質は、酷い振る舞いをする人たちと同じです。自分のことしか考えてなくて、いつも他人を頼るだけ。頼れる人にはとことん甘え、そうじゃない人からは離れていくだけ。梅吉のような人が存在することを否定する権利は誰にもありませんが、よっぽどの人格者、あるいは余裕のある人でないと、つきあえないでしょう。
スズ子のモデル・笠置シズ子の自叙伝を読むと、笠置さんのお父さん(養父ですが)はここまで何もしない人ではなく、働いていたようです。なんで、梅吉をわざわざこういう人物に描いたのでしょうか。
お父さんが頼りない分、羽鳥が輝きます。彼は、スズ子の哀しみを理解し、食事に誘い、そこには茨田りつ子(菊地凛子)も呼んで、合同コンサートを開催しようともり立てます。「歌う場所がないなら自分たちで作ればいい」と前向き。
どんなときでも楽しく生きようとする羽鳥。しかも、彼は、自分だけでなく、まわりも楽しくさせようと気配るのです。
合同コンサートは12月23日。その日に向けて、楽団の人たちも張り切りますが、スズ子は声が出なくなっていました。
喉の調子がおかしく憂鬱な気分で帰宅すると、梅吉が家を出る支度をはじめていて。
小夜(富田望生)は、「父ちゃんでねえとだめなんだ」と、スズ子のそばにいてあげてと引き止めますが、その気持ちは梅吉に通じません。
スズ子は、梅吉が自分をほんとうの娘と思ってないからこんな態度なのだと感じ、絶望をさらに深めます。スズ子をそこまで追い詰めるなんて、暴力やお金を奪うよりも実は酷いんじゃないか。
もうだめだと、羽鳥の家を訪れたスズ子に、羽鳥は一曲の歌の譜面を渡します。
「大空の弟」ーースズ子の六郎への思いから歌を作ったのです。
羽鳥、ほんとうに、魅力的な人物です。この人だけが、俯瞰して世界を見ています。
ところで。
梅吉とスズ子が揉めているとき、狭い下宿の隅に、いつも小夜がちょこんと座っていて。それによってその場の息苦しさの度合いが上がり、ひじょうにいい効果をあげているように感じました。小夜がややふっくらしているから、余計に部屋を圧迫して見える。当人もこの場には居づらく、とても気まずいでしょうから、その感情も相まって、梅吉とスズ子のどうしようもない感情が増幅して見えました。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
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