<ちむどんどん・沖縄編>1回~25回までの解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】
第4回レビュー
予想どおり、青柳父子(戸次重幸、田中奏生)のもてなしに豚のアババが使用されていました。
真相を知ったとき、アババの小屋に表札を凝って作るほどかわいがって飼育していた賢秀(浅川大治)がもっと泣いて両親(大森南朋、仲間由紀恵)を責めるかと思ったら「アキサミヨー!」(「嗚呼!」みたいなものでしょうか)と叫び、一瞬「おれのアババを食べないでくれ」と止めるものの、すぐに気持ちを収め、おいしく頂きます。
期待どおり、お父さん・賢三がメッセージ性のあることを語りました。
「生きているものはほかの生き物 植物や動物を食べないと生きていけない。人間も同じさぁな。『頂きます』とは命を頂くこと。だからきちんと感謝しながらきれいに食べてあげる。それが人の道。筋を通すということさ」
「命を頂くこと」という言い回しはよく聞きますが、ここで注目したいのは、それが「筋を通す」ということであるという考えです。
「筋を通す」によってよけいに食べる行為に重みが増すような気がします。
ラフティーに沖縄そばの出汁にと、アババは大活躍。
アババへのリスペクトを感じながらもりもり食べているときに流れる劇伴がバンドネオンの音色がなんとも切なくて、こんなにも生きるかなしみに溢れ、でも明るく力強い食卓はいままで見たことありません。
朝からすごいヘヴィなものを観せられてちょっと参ったなと思ったら、末っ子の歌子(布施愛織)がケロッとしたオチがつけて助かりました。
バンドネオンから賢三が奏でる三線に音色は代わり、暢子たち(稲垣来泉)たちは踊ります。和彦も見様見真似で踊ります。
両腕をあげてゆらゆらと動かすこれは「カチャーシー」という沖縄の人々の生活に根付いた踊りで、「かき混ぜる」という意味があり、みんなで自由に即興的に踊るものです。
賢三は、自分たち沖縄の人たちの生き方を「行き当たりばったりの人生」だと語ります。
「大和世(やまとゆー)」「戦世(いくさゆー)」「アメリカ世(あめりかゆー)」とそのときの状況に合わせていく。そうやって生き抜いてきた……。
「筋を通す」生き方を語ったそばから「行き当たりばったりの人生」を語る賢三。
大人は矛盾を抱えていますが、子どもたちはいたって無邪気です。
東京から沖縄に来て、つまらなそうにしていた和彦が沖縄そばをいままで食べたなかで一番おいしい」と心から笑顔になり、ようやく暢子と打ち解けていきます。
そして、比嘉家の4兄妹たちと文通することに。
暢子の最初の手紙は「なに食べた?」
「きのう何食べた?」みたいです。
海、川、サトウキビ畑……ではしゃぐ子どもたち。
みんなの笑顔に流れる女性ボーカル曲は美しくももの悲しく……。
生きるかなしみが染みる第4回は第1週のピークだと思います。
おそらくこれが「ちむどんどん」の主音でしょう。
「あさイチ」で博多華丸さんも注目していた仲間由紀恵さんの腕の動きの繊細さもそれを象徴しているような気がしました。
でも早くも和彦とのお別れが近づいてきているようで……。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
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