<ちむどんどん・沖縄編>1回~25回までの解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】
第24回:ふーちゃんぷるーは冷めたけど
ほんとうになんくるないさーになってしまいました。優子(仲間由紀恵)が300ドルを前借りして賢吉(石丸謙二郎)に暢子を東京に行かせてほしいとお願いすると300ドルでは足りないと拒否され、良子(川口春奈)が前借りした300ドルをここぞというところで出そうとするとーー
賢秀(竜星涼)が東京でボクサーになって試合に勝ち、日本円で60万円、ドルで1666ドル66セント、つまり、騙された960ドルの2倍にはならなかったけれど、1.7倍くらいにした賞金を送金してきました。
夢の大逆転です!
賢秀の使い所を探して渦巻いていたエネルギーがボクシングに生かされました。あのヘアバンドをして試合に出ています。
東京のボクシングジムの安里会長役は、具志堅用高さんです。
「ほんとうに沖縄の一番星になったわけ?」と盛り上がるところは良かったですが、良子の頑張りがかき消えてしまってちょっと残念と思ったら、歌子(上白石萌歌)がねぎらって、それを優子と暢子も立ち聞きします。
「ちむどんどん」の良さは、朝ドラ名物”立ち聞き”を「だいじょうぶ。ほら、見ている」とつながる、誰かが誰かの努力や善意をちゃんと見ているのだということにしていることです。
第24回は、誰かがきっと見ていてくれるから、おそれず、悲観せず、自分の道を行け、というメッセージを感じる回でした。
下地響子先生(片桐はいり)は学校で歌う歌子に語りかけます。
「感じるままに生きなさい」
「どんな歌でもいい。あなたがそのとき歌いたい歌でいい」
「聴く人がたったひとりでも 聴いているのが森や虫たちだけだったとしても それがあなたの人生」
まさに、感じるままに 自分の道をゆけ です。下地先生、4月から転任になるそうで、これでお別れらしく(残念)、すてきな言葉を残しました。
この言葉で思い出したのが、写真家であり映画監督でもある蜷川実花さんが父・蜷川幸雄さんから言われた言葉。「目の前に二本の道がある、自分以外の全員が右にいっても、自分が正しいと思えば、たとえたった一人でも、左に行ける人間になってほしい。」 (蜷川実花さん公式Twitterより)
ちょうど今日5月12日は、蜷川さんの御命日です。「ちむどんどん」と蜷川さんとは関連がないとは思うので偶然とは思います。当時60〜70年代はこういう考え方をする人たちが多く存在していたのではないでしょうか。
時代が変わっても、いや、時代が変わった今こそ、たったひとりでも自分の思った道を行ける人でありたいと思わされました。
誰もそれどころではなく食べてくれなくても、作りたてがおいしいフーチャンプルーを暢子はひとりでも食べるのです。冷めないうちに、情熱の燃えているうちに即、行動です。
でも、すこし冷ましてからのほうがいいときもあります。熱すぎるとニーニーみたいな失敗もあります。冷めてもやわらかさはちょうどいい。そんな暢子のフーチャンプルーのように生きていきたい。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
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