<ちむどんどん・東京編>26回~50回の解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】
第36回:あれから1年半……再び、クビ宣言
1973年、10月、暢子(黒島結菜)がアッラ・フォンターナに勤めはじめて1年半が経ちました。前菜の一部を任されるようになったものの、料理以外の知識がかなり不足している暢子。その日の新聞を野菜を包むのに使ってしまったり(新聞を読まないから気づけない)、大事なお客様で演劇評論家の淀川春夫(本田博太郎)相手にとんちんかんな会話をしてしまったり。
ここで淀川先生が”演劇評論家”設定なのが70年代だなあと感じます。この頃は演劇の文化的価値がいまより全然高かったのであります。
暢子は東京に来て1年半も働いていてもまだ全然洗練されていません……さすがにもうすぐ2年だったら、少しは常識も覚えるのではないかという気もしないではないですが、1年半って意外と過ぎるのは速いので暢子も前菜が作れるようになるまで大変だったと思うことにします。
オーナー大城房子(原田美枝子)は暢子の無教養が許容できません。再び「クビ」発言。とはいえ彼女は「クビ」と言うけれどすぐに取り下げて代わりの条件を出してくる。暢子を試しているのでしょう。
クビの代わりに、新聞社でバイト(ボーヤ)することになった暢子。全然違う環境であたふたがはじまりました。
ある程度の教養や知識をもった者から見たら、暢子や賢秀(竜星涼)は無知、無教養に思えて顔をしかめざるを得ませんが。少なくとも暢子には知識を与える人物(房子)が現れたのです。
房子自身、小学校しか出ていないにもかかわらず勉強して広い知識と視野を手に入れました。そういう先輩を見倣って暢子も立派な教養ある料理人に成長していくのでしょうか。
筆者が以前、とある人気占い師に取材したとき、多くの人の悩みは主として知識が不足しているから起こることで、知識を持ってほしいと語っていらっしゃいました。家庭のこと経済のこと、知識があれば自身で解決できることもあるのですが、それがないとたちまち迷路に入ってしまうのです。
比嘉家の混迷の要因はこの知識不足によるものでしょう。本来、比嘉家には教師をやっている知識ある良子(川口春奈)がいるわけですが、彼女が家族を導くわけにもいかず。ひとりひとりが勉強しないとならないのです。そして良子も結婚して妊娠し子育てのために教師を辞める選択をします。
その頃、歌子(上白石萌歌)が歌手のオーディションを受けようかと考えはじめていました。そこでラジオからかかっているのは南沙織の「17歳」。71年にデビューした沖縄出身のトップアイドル歌手であります。歌子はこんなふうになりたいと憧れているのでしょう。南沙織こそ、沖縄の一番星☆
一番星を目指す賢秀がビッグなビジネスを目指して働いている養豚場でも「17歳」がかかっています。おそらくですが、同じ曲をかけることで、同じ時期であることを表しているのではないかと思います。
何ひとつ長続きしない賢秀が長居するつもりはないと言いながら1年半も養豚場にいるとは珍しい。彼もいよいよ一番星になれるチャンスが来たのかもしれません?
淀川先生役の本田博太郎、東洋新聞社のデスク・田良島甚内役の山中崇が軽妙なせりふ回しでキャラを立たせて場面を弾ませます。新展開に期待。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
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