<ちむどんどん・東京編>26回~50回の解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】
第44回:お父さんの思い出が出てくるとホッとする
暢子(黒島結菜)はおでん屋の我孫子ヨシ(大島蓉子)が戦後の闇市で房子(原田美枝子 過去:桜井ユキ)に助けられた話しを聞きます。房子は戦争でたったひとりの妹を亡くしていました。親もすでに亡くなっていて房子がたったひとりで生きてきたことを暢子は知ってしんみりします。
ここで思い出してみましょう。
第8週はミラノの料理人のピザにまつわる戦争の思い出を暢子は知りました。
第9週はヨシのおでんと戦争の思い出を聞きました。
暢子は戦後の生まれで戦争のことを知りません。彼女の父母は戦争の話を娘にしていません。一度だけ
幼い暢子が母・優子(仲間由紀恵)が泣いている姿を目撃したことがあり、視聴者は優子が戦争体験を思い出していたことを知っています。
何も知らない暢子が食を通して、誰かの過去を知る。「最後の晩餐」的ないいコンセプトです。NHK のよるのドラマやBS ドラマの8〜10回シリーズだったら、大好評でありましょう。
ただそれを半年間、毎回やるわけにもいかないので途中にはさみこんでいるのだと思います。比嘉家のてんやわんやに心が疲れていた視聴者もいるでしょうから、ちょうどいい箸休め的な感じです。いや、戦争の記憶を箸休めにしたらいけないですね。たぶん、これから、何も知らない暢子は知らなかった世界を”食”を通して知っていくのでしょう。
賢秀(竜星涼)がまた我那覇(田久保宗稔)に騙されて「おれは疫病神」と凹んでいる(優子がまたお金を貸していたことに驚き。比嘉家はどんだけへそくってんだ)と、暢子は足てびちを差し出します。その味は比嘉家の思い出でした。
少年時代、賢秀がやんちゃして「おれは疫病神」とへそを曲げていたとき、みんなで食卓を囲んだこと。どんなときでも「家族」。おいしい食事を共にすれば仲直りです。
「邪魔者とかはいない。けんかしても仲直りできるのが家族。この先何があっても みんなおまえの家族」(賢三)
足てびちをお父さん・賢三(大森南朋)が作ってくれたこと、作り方を教えてくれたことを思い出す暢子。「迷子になったときは一回入り口に戻る。それが人生の基本だ」
三郎(片岡鶴太郎)の助言がここで効いてきます。暢子は父の教えを思い出し、おでんを煮込み始めました。
喧嘩した和彦(宮沢氷魚)の気持ちも理解できて……。
暢子は頭で考えずまず感情が先走ってしまうタイプですが、料理の構造に置き換えれば物事の理屈が理解できます。人には得意分野があってそれを生かせばいい。ニーニーもそれに出会えればいいんですよね。
それにしても、お父さんが沖縄そばだけでなく暢子に料理を教えていたのがわかって、こういうのをもっと子ども編で見たかったなあと思ったのですが、そうすると子ども時代が長くなってしまう。主人公の子ども時代が長いと視聴率が取りにくい。という過去の例からの判断だったのでしょう。ちょっともったいなかったですね。子ども編をじっくりやる朝ドラがあってもいいような気がします。
それはともかく、戦争の思い出のみならず、食の思い出が「ちむどんどん」のコンセプトなんだろうと思います。
そして「邪魔者とかはいない」も。だから賢秀がどんなことをしても邪魔者にしてはいけないのです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
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